さあ、マジックアワーだ!

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光りと影の波間に漂う

あの乳白に映る空気が街の空を覆うと

そろそろと陽が暮れるのだろう

まわりでこの景色を眺めている人間が

意外にも数えるほどしかいない

みんなボケGoで俯きながらウロウロしている

もったいないなぁと思う

…今日が地球最後の日だぞ!…

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冬めいた空気が格別に心地いい

公園の坂道をトボトボと歩いて下ると

駐車場の広場にモノクロームのとばりが降りる

なぜこれほどマジックアワーが気になるのか

自分でも分からないのだが

あの美しさがひょっとして人間に似てやしないかと

ときどき思うのだ

最後に一瞬だけ輝いて、そして死んでゆく

その年頃に更に近づくと

もっと見えてくる美しい何かがあるような気がして…

死を意識することは

だって、よく生きることに違いないのだから

広告業界裏話

電通ブラック

いまさら、ですが、

広告業界はほぼブラックでした(一応過去形)

しかし、現在は働く環境改善がどこも進む中での

この事件ですので、私たちも考えさせられます。

工場のように、キッチリ計れない仕事。

これがいろいろな問題の根源にあるのも確かなこと。

電通だけじゃありません。

私の知り合いで、

電通系の制作を請け負っている会社のボスをやっていた人間がおりますが、

私見ですが、下請けの状況はさらに厳しいと感じました。

私は当時、独立系の制作会社にいましたが、

やはり一週間のうち、2日は会社に泊まり込みで仕事をしておりました。

夜中の3時頃に、事務所の椅子を集めてそこで寝る。

寝付けないときは、近くにあった青山ラーメンで餃子を食い、

事務所に戻って再び寝転がる。

しかし、いいアイデアがでないとき、

締め切りが迫っていると、むくっと起きてデスクに向かう。

そうして夜が明けてしまい、

今度は近くの喫茶店のモーニングを食いながら、

更に状況は悪くなり、憂鬱になる。

そんな日々を過ごしていると、だいたい麻痺します。

アイデアのパクリ

オリジナルの定義がそもそも難しいのだけれど、

明らかにパクられると結構アタマにきます。

コピーテキストは、それ自体に著作権がつきますが、

いざ争いになったとき、その証明が難しいらしい。

まあ、少額訴訟が多いので、まず簡易裁判所扱いとなりますが、

簡易裁判所って行ったこと、あります?

あまりやる気が感じられないこと、この上ないので、

こっちもしらける。

勝てる気がしない。ついでに手間がかかる。

簡易ですまない場合は、地方裁判所。

地裁経験はまだ経験がありませんが、

まああまり行きたいところではない。

しかし、この先は何があるかは分からない。

万が一、行かねばならぬ案件が出たら、

そんな折りは、帰りには近くの中華街で、

うまい飯を食うと決めている。

でないと、人生が暗くなる。

制作費への無理解

カタチのない成果物に全く理解のない方が、

かつてはいっぱいおられました。

そんな経営者がモノを頼んできた場合、

私たちは戦々恐々とした訳です。

どう理解してもらうか。

私たちもアタマに汗して働いているのですが…

しかし、それが分からない。

まず、えいっとひねり出したアイデアとか企画が、

いいか悪いかが分からない。

デザインとかの判断基準が皆無。

コピーライティングに関しては更にひどく、

「日本語なんか誰でも書けるだろ」

ま、最近になってこんなケースはないのですが、

あまりにえげつない価格のダンピングを要求されたりすると、

早々にこちらからお断りです。

もう意地です。

猫に小判ですから。

しかし、こうしたケースでも、

会社に体力がないと媚びてしまいます。

で、そんな仕事を続けていると、こちらが空しくなるばかりか、

同じ仕事で生計を立てているまわりにも影響を及ぼすので、

ここはもう崖っぷちでも頑張るしかない。

割と体力も使います。

出版業界からみると…

自身が出版社からの転職組なのでよく透けて見えるのですが、

出版業界の方々と話をしていると、

そこはかとなく広告業界を見下しているのが分かります。

まあ、この業界はいい加減で軽い奴が多いのも確か。

対して出版関係の方々はインテリ、気難しい系が多い。

で、一体、広告業界のなにを見下しているかというと、

人の金で宣伝をしているとか云々…

ふむふむ、これはね、確かにおっしゃるとおりです。

私も最近では少々疲弊していまして、そのあたりに

何か違和感がありまして脱出口を探しているのですが、

まあ、達成まであと5年はかかりそうです。

内容はいまは言えませんが…

いや、言いたいことはそういうことではなく、

ちょうちん記事ばかりを粗製濫造している出版業界。

あなた方は質が悪い。

人は広告と記事とをしっかり分けて読んで、情報を取り込んでいる。

そしてジャッジする。

だから、これは広告ですと宣言しているものより、

意図的な記事でも人は信用してしまう確率が高い。

こうした記事のなんと多い事か。

これはこれで、自滅。

出版社が沈んでゆく一因かと思います。

賞にまつわる話

若い頃は賞を取ることをかなり意識しまして、

広告の講座などへも頻繁に通いました。

いつか必ずヒットを飛ばすぞと、息巻いていました。

あるとき、広告学校という講座で知り合い、

何度か飯を食った○通に勤める友人が言うには、

参加作品を提出する前に審査員の先生がみてくれると。

うん?

これに私は異常に反応しまして、

よくよく話を聞くと、これはこの会社ではよくある慣習らしく、

だから彼は何の悪気もなく私に話したのですが…

予定通り彼は新人賞みたいなものをとり、

さらに後年、彼はなんとか大賞というのもモノにしました。

こうなると、何が実力かコネか訳が分からなくなる。

私はというと、一応純粋に賞というものを信じ、

目標にしていたので、そのショックは相当なものでした。

以来賞というものに全く興味がなくなり、

全く違うベクトルで仕事をしてきました。

誰かの役に立つ、という行為は、

いわば人の幸せの定義でもあるらしい。

ささやかでもいいので、そんな目標が最善ではないかと…

銀行でケーサツを呼ばれた件

駅前の○×銀行は、月末の金曜日ということもあって、

店内は混雑している。

なにもこんな日にとは思ったのだが、他に時間がないので、

嫌々行くこととなった。

まとまった金といえばそのような気もするが、

アレコレと滞っていたものを一気に動かそうとすれば、

それなりの金額を動かすこともある訳で、

その日が一掃する実行日だった。

送金、振り替え、口座の移動、手元に下ろす金等々、

合計としては結構な金額を出金することとなった。

散々待たされ、やっと呼ばれてカウンターに行くと、

ベテランとおぼしき行員の女性は見事な手さばきで、

次々と仕事をこなしている。

で、私の差し出した雑多な用紙に目を通すと、

ちょっとお待ちくださいといって、

一瞬ためらうのが分かった。

と後ろの女性となんだかヒソヒソ話を始め、

再び、こちらへむき直すとおもむろに、

「このお金の送金先ですが、どういうお方ですか?」

呆気にとられた私は知り合いですがとこたえる。

では、下ろす現金は何にお使いですかと再び問うのだ。

これは、いろいろ入り用でしてね。

そうですかと何の感情も示さない彼女が、

私の免許証の提示を求めてきた。

これはよくあることではある。

が、次に吐いた言葉に驚いた。

「ちょっとお巡りさんに来て頂くので…」

「うん?」

何を言われているのかよく分からない。

その女性が席を立つ。

と、しばらくして恰幅の良い目つきの鋭い女性が奥から現れた。

この女性は他の行員とは明らかに雰囲気も違えば、

そもそも皆と同じ制服ではなく、

黒の地味なものを纏っている。

この人が、こっちをじろっと見た。

というか、冷淡に睨んでいるようにも思えた。

まあいい。

彼女がこちらへと私たち夫婦を誘導する。

振り返ると、他のお客さんが私たちをジロジロ見ている。

奥さんがなんか感じ悪いわねとつぶやく。

なんだか雰囲気がおかしくなってきたぞ、と私。

銀行のソファがズラッと並んだそのすぐ横、

ついたて一枚の席に私たち夫婦は座らされた。

その間、お茶の一杯もでるでもなく、

手持ちぶさたでまんじりともなく座っていると、

どこから見ても警察官という出で立ちの年輩警察官が現れた。

「どうもどうも」

なんか気安いなぁと思う。

「あのいまね、振り込め詐欺って多いでしょ。

で、こういうことになっているんですけれどね」

「フムフム…」

でですね、と延々と、

自宅の住所やら電話番号やら、

送金先の人物の詳細やらをアレコレと突っ込んで聞いてきて、

いちいちメモっている。

(職務質問ってこんな感じなのかね?)

振り込む理由を明快にこたえると、

警察官はフムフムと考え倦ねている。

まあここまでは、振り込め詐欺の被害を防ごうとして、

皆さん頑張っていらっしゃるなぁと思うことにしたのだ。

が、どうも風向きが変わったのは、

警察官の次の質問からだったのだ。

「ところで、隣にいらっしゃるのは、えっーと奥様?

のご様子ですが…どうでしょう?」

これで、いろいろな謎が解けてきた。

我々が金融詐欺だかなんかしらないが、

そんな犯罪者ではないかと疑われているのだ。

で、このあたりから奥さんがカッかとしてしまい、

あぁもうこれはかなりまずいなぁと思いましたね!

「お巡りさん、ひょっとして私たちがアベック詐欺とでも

思っているのかな?」

こうなると私も腰を据えるしかない。

「いやいやとんでもない!」

気安いお巡りさんが更におどけて、

加速するように、余計に尚も砕けはじめたのだった。

いま何が起きているのか、

察しというか、置かれている立場というか、

そんなものをいち早く察知した奥さんの怒りがおさまらない。

おお、顔が上気している。

「何がふざけているって、ついたて一枚で、

ケーサツが来て散々問い詰められて、

あたし達ってどう見られている訳?」

「なあ…」

私は元来、勘は良いのだが、

ときどき察しが悪いとよく言われたりもするので、

奥さんの様子を見ていて、

そうだ、俺も怒るぞ!

とスイッチを入れることにした。

で、おいおい支店長を呼べよ、

とは思ったのだが、それは言わず、

プンプンしてさっさと店を出ると、

おいしいコーヒーでも飲まないかと奥さんを促す。

と上の件で私たちはグッタリとしてしまい、

後はほぼ使えない一日と相なった訳だが、

一度だけ私が銀行で吠えたのを、

翌日の朝に思い出した。

それは俺の金だぞ!

閉所恐怖症

閉所恐怖症の身として、まず困ってしまうのが、ビルなどのエレベーターだ。

なんというか、あの上下に移動するときのわずかな時間が問題なのである。

たかが数秒か数十秒なのか知らんが、毎回手に汗握ってしまうから、

非常に疲れてしまう。

これは妄想なのだが、あの四角い箱がどんどん狭くなって、

壁がどんどんこちらへ迫ってくる感覚が、なんたって息苦しい。

現代なのか都会生活なのかよく分からないが、

いまはどこでもエレベーターが欠かせないのはよく分かってはいる。

が、どうも全然慣れないなぁ。

そこがそもそも閉所恐怖症なんだけど…

似た部類に地下鉄がある。

最近では、新宿駅から乗る丸ノ内線に辟易、というか、

恐怖さえ抱いてしまったのだから、当分あの地下鉄には乗りたくない。

続いて後日、横浜へ行く際にみなとみらい線にも乗ったのだけれど、

この時も、やはり掌から汗が噴き出していた。

己の人生を振り返って、この原因は一体どこから来るのだろうと、

私なりに探ったことがある。

で幾つか思い当たる節があった。

まずガキの頃だが、横浜にもまだ戦争の傷跡が残っていて、

学校の裏山にポッカリと大きな穴があいていたのだが、

それが防空ごうだった。

柵も立て札もなにもない。

いまと違って、出入りは自由であった。

私たちはよくその穴に潜って遊んでいたのが、

そこがあるときいきなり落盤し、

運悪く、私は落盤した土に埋まってしまった。

と、その様子を遠くで見ていた大人が駆けつけてくれて、

私は助かったのだが、そのとき、

口の中にはいっぱい土が入っていたことをいまでも覚えている。

あの圧迫されたときの身動きのとれない怖さと苦しさは、

何年経っても忘れられるものではない。

次に、もうひとつ思い当たる節があった。

それは、やはりガキの頃だが、

いたずらをするとよく親父が私を押し入れに閉じ込めた。

これはよくある話しではある。

が、私の場合、一度閉じ込められると、

最低3時間くらいは出してもらえなかったので、

これには暗闇の恐怖というのも加わってしまった。

ところで最近、

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだ際、

主人公が東京の地下深くの洞窟を延々と進むシーンがあって、

寝しなにそのあたりを読んでいた私はハアハアとなってしまい、

安眠を妨害された覚えがある。

なかなかタフな人間というのは、こんな主人公のことをいうのか、

と感心した次第である。

その点、まあ私はへなちょこではある。

更にいま何故か流行っているアドラーという心理学者に言わせると、

トラウマなんていうものは言い訳に過ぎない、というのだ。

アドラーといえば、彼の考えを前面に打ち出した

「嫌われる勇気」が有名だ。(彼の著書ではない)

街の本屋でよく平積みしてある、あのベストセラー本である。

そのアドラー曰く、

『人は過去に縛られているわけではない。

あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。

過去の原因は「解説」になっても「解決」にはならないだろう』

そしてアドラーは、こうも言う。

いろいろな病因の深層心理にあるのは、

社会に出るのが嫌だという共通因子。

よってトラウマなんていうものは、

ただの言い訳に過ぎないらしい、と。

アドラーという人は、なんと強い人であろうか。

そしてとてもパッションがあって、

人生に常に前向きな方向性を示す。

私の場合、社会に出るのが嫌だったのは確かではある。

が、なにを今更の年代でもあることだし、

いい年をして、今頃になって社会の出入りもクソもないのである。

で、人生に前向きか否かは、比較対象となる判断基準がないので、

現時点で己を考察するのはちょっと難しい。

まあ、とにかく閉所恐怖症の原因はトラウマではなさそうだと。

しかし、この際アドラー流に解釈を加えるとすれば、

私の場合は社会に出たくないという根本原因を、

今後は「死にたくない」といった潜在的要因に置き換えることで、

説明が立つような気がしてきたのだ。

かなりねじ曲がった解釈ではあるのだが、

死んだらあの狭い棺桶に閉じ込められてですね、

しっかりこんがり骨になるまで焼かれるんですね。

こうなると、もはやトラウマなんてもんじゃない。

おっと、書いていて、すっげぇ怖いんですが!

ビリー・ジョエル…誠実ということ

ボクは暇さえあればオネスティを聴いている。

この曲はビリー・ジョエルが1978年にヒットさせたものだが、

なんと言っても詩が良いですね?

オネスティは直訳すると誠実さとでも訳すのでしょう。

古い言葉です。

誠実であることはかなり難しい。

誠実であろうとしても、結果的に相手に誤解されることもあれば、

反感、非難を浴びることもある。

だから人は、ちょこちょこと、

そしてアレコレと誤魔化すのですが、

この歌は違う。

直球で相手に誠実さを求める。

まあ、そう言うからには

当の本人も愚直で真面目である訳だし、

そこにはかなり窮屈な人間関係が求められる。

この歌詞に、作者であるビリー・ジョエルは、

一体何を込めたのだろう。

彼は現在も現役で、以前は日本公演もやっているが、

「桜」とか「上を向いて歩こう」とか日本の歌も披露してくれる。

真面目であるしサービスにも富んでいる。

彼は大都会ニューヨークでヘラヘラになりながらも、

ヒットを連発していたのだろうし、

前述の講演のことでも分かるように、

彼は相手のことを一番に思うから、

期待に応えているうちに苦しくなる。

そして繊細な彼の神経が徐々に崩壊していった。

別のヒット曲「プレッシャー」を聴いていると、

彼の哲学的な歌詞とその思考の行方に、

かなり窮屈ではあるが、

人生に対する真摯な姿勢とでも言おうか、

ある種の狂気を感じてしまう。

過去、彼は神経衰弱で精神病院に入院したり、

アルコール依存症、鬱を患ったりしている。

しかし、彼は立ち直る。

繊細、だけど復活する力も持ち合わせていた。

最近流行りの言葉でいうところの「レジリエンス」、

復元力が強いのだろう。

彼はいま、ニューヨークから離れ、

海辺の田舎町に住んでいるらしい。

そこで誠実に暮らしている、のだろうか。

ああ、

誠実に生きるって難しいんだなぁと、

つくづく思う訳です。

記憶の海を漂う

あなたの人生を振り返ってみてください、

如何でしたか?

こんな小難しい質問を誰かに投げかけられたら…

うーん、皆さんかなり戸惑うことになるでしょう。

ところが、こうした質問に対する回答は皆、

同じ思考を辿ってこたえるらしい。

それは「記憶の集合体」を語ること。

言い換えれば、覚えている過去の記憶を総合的にまとめ、

それを主観で言い表す、とでもいおうか。

NHKのEテレで毎週「TED」という番組を放映している。

アメリカの番組をそのまま持ってきたものだが、

毎週、その道のプロ・専門家が、広い会場でプレゼンテーションを行う。

別称「スーパープレゼンテーション」と呼ばれる所以は、

登場する方々のプレゼンがとても感動するものばかりだからだろう。

最近では、記憶力の世界チャンピオンという方が登場。

物事の覚え方のコツなどを話しているのだが、

これはめずらしくつまらないなぁと思いながら観ていた。

まず記憶力の素質は皆たいして変わらないということ。

そして記憶しておくポイントは、物事を関連づけて、

物語として、または立体的に覚えてゆくこと等々。

こういうことに一切興味がない私は、

フムフムと寝転がって観ていたのだが、

最後の3分という話の総括の頃だろうか、

彼が目からウロコが落ちるような、

ハッとすることを口にした。

曰く、

「人は人生を振り返るとき、それは記憶しかない。

だから皆さん、忘れずに覚えておきましょう」と。

この言葉がやけに気になった私は、

体を起こしてひととき、うーむと考え込んでしまった。

その人の人生がどうであったか、

それは覚えている事以外は当然のことだが、語れない訳だ。

この至極当たり前の事に私はハッとさせられた。

そして私たちは、それが良い思い出だろろうとなかろうと、

月日が経つうちに記憶は変化し、ときに編集され、

更に記憶は進化しながら積み重なってゆく。

この過程での記憶の変化、編集には、

主観が多いにかかわっているので、

それがどのような記憶であろうと、

その人の心理状態というか性格なども大きく影響している。

よって、例えふたりの人間が同じ経験をしても、

それが良い思い出となるのか否かは、

それぞれのパーソナリティにより、

記憶の形態も掛け離れたものになる可能性がある訳で、

そこに後年、記憶の編集などが加わることにより、

それぞれの歩んできた道が大きく異なるように語られる、

ということとなる。

おおざっぱに言えば、

それがどんな事柄であろうと、

記憶とは本人が良しと記憶していれば、

それは良い思い出となるであろうし、

その逆もまた然り、なのである。

なんでもポジティブに、とかいう人がいるが、

私はこういうのがあまり好きではない。

が、こと人生における記憶に関しては、

この考え方を採り入れたほうが良さそうだと、

「TED」を観て以来思うようになった。

これは、私がいままで見落としていた、

とてもシンプルかつ重大な発見だった。

一度きりの人生だと思うからこそ、

やはり振り返るときくらい肯定したい…

こう考えるのは私だけだろうか。

小説と枕の快楽

枕元にいつも一冊、長編小説が置いてある。

寝る前のひとときに、

現実と全く違う世界を歩く楽しさは、

やはりとびっきりの物語でなければならないと思う。

あるとき、それは藤沢周平の小説から始まった。

彼の小説は、江戸の町が主な舞台で、

それがあるときは市井の下級武士だったり、

或る問題を抱えている町人だったり、

傘張り浪人、職人、嫁入り前の娘とか、

いろいろな江戸の住人が主人公となって、

その人を取り巻く世界がくるくると動きだし、

主人公の息づかいが伝わるほどに、

物語がいきいきと描かれている。

その物語の舞台である江戸の町を、

藤沢周平の小説を元に地図をつくった読者もかなりいると聞く。

それほどに、彼の小説には人を引き込む魅力がある。

いや、で今回の話題は枕なのである。

小説に引き込まれる興奮と相反し、

こちらとしては寝る前のひとときとはいえ、

現実は、明日やらねばならない事もある。

要は寝なければならない訳だ。

そこで、ワクワクさせる物語に負けないほど、

こちらを最高級の眠りに誘う心地良い枕が必要となる。

それがあるときは、

イトーヨーカ堂で買った980円のパイプ枕だった。

その枕は、それ以前に買った通販生活の1万2000円の枕より、

数倍深い眠りを約束してくれたので、

ヘタっても薄汚れても数年使っていたのが、

最近になって、どうも体に異変が起きてしまい、

買い換えを考えていた。

異変は突然訪れた。

朝、洗面所でうがいをしようとガラガラと上を向くと、

とたんに首が痛んで、以来、数日にわたって

上を向くことが苦痛となってしまった。

私はその痛みの原因が分からず奥さんに話したところ、

「枕よ、枕に違いないわ!」と即答した。

思えば、この奥さんは枕にとてもうるさい人で、

ここ2.3年のうちに、なんと枕を5回も換えている。

しかし、理想の枕にはいまだ出会っていないとのことだ。

この頃、私の枕元の小説は村上春樹のものに変わっていて、

「海辺のカフカ」上・下巻を読み終えていた。

とても面白かったのだが、振り返るに、

やはり眠りはさして深くはなかったように思う。

それは、小説の中身が面白すぎで眠りが浅くなったのか、

はたまたその原因が枕によるものだったのか、

そこはよく分からないのだが、

やはり枕の替え時とは思ってはいた。

で、あるとき別の用事で丸井へ行ったとき、

ふとした衝動買いというべきか、

西川の「もっと横楽寝」という枕に手を出す。

横楽寝とは、横を向いて寝る人専用に設計された枕、

とのことで、おおそれは私ですと、

まずネーミングに惚れてしまった訳。

早々に売り場のベッドで試すと、

確かに良さげな感触を得たので購入となったのだが、

以来、以前よりどうも深く寝ているようだと気づいたのは、

数日経ってからで、

朝なかなか起きられない自分に驚いてしまったからだ。

現在、興奮しながら、かつ淡々と読み進めている小説は、

スティーヴン・キングの「シャイニング」下巻。

物語は佳境である。

寝床に入るとワクワクが止まらない。

ストーリーの急展開に、結末がまるで検討がつかなくなってしまい、

これはとんでもない最後を迎えそうであるが、

そこは「横楽寝」が難なく阻止してくれるのでありがたい。

小説で上気した私をおだやかな睡眠へと誘い、

果てはさわやか、かつ満足に充ちた、

けだるい朝を約束してくれる。

恐るべきは、西川の枕「横楽寝」である。

そして、その心地よさに拮抗するS・キングの「シャイニング」も、

なかなかの強敵ではある。

おもうに、幸せだなぁと思える最短の近道が、

私の場合「良い枕と傑作小説」ということに、

ごく最近気がついた訳だ。

ギジンテキ自販機論

よく使う有料駐車場がありまして、

そこは長時間駐めていても割安なのですが、

精算機に千円札を入れるといきなりひったくるので、

当初は背後に人がいるのだろうと

ちょっとアタマにきたことがありましたね。

(大人げない)

去年の暑い日に街を歩いていて

喉がカラカラになってしまい、

目の前にあった自販機に小銭をいれたのだが、

冷え冷えの富士のミネラル水が全然出てこないんです。

もう喉がゼイゼイしていまして、

しょうがない諦めるかと返金操作をしても、

なんと小銭も戻らないんですね。

で蹴っ飛ばそうとしたら、

警報器が付いていますよステッカーが貼ってあって、

荒い鼻息のままどうしてくれよう、もう小銭ないし…

あとは一万円札のみ。

と故障の際の電話番号が書いてあるステッカーをめっけまして、

この怒りをどうしてくれようと力み気味に電話を致しましたところ、

いつまで経ってもだぁれも出ない。

ここで怒りマックス!

再び返金レバーをガチャガチャやりまして、

全く小銭を返す意思がない涼しい姿の自販機に

遂に蹴り! を入れようと思いましたが、

ハタとまわりを見渡すに、

私を不審の目で見るオバサンが約一人、

横のマンションの3階から見下ろす学生らしき兄さん約一人を確認致し、

なんと炎天下に冷静を装い、

何もなかったの如く歩き出す私なのでありました。

いま思いだしても腹が立ちます。

そしてですね、

以前の事ですが、お客さんとの打合せが長引きまして、

やはりぐったり歩いていますと、

またまたここで自販機が目に入りまして、

めざす私好みの缶コーヒーを購入したところ、

この自販機がなんと「今日もお疲れ様でした!」と

若い女性の声でささやくのでした。

これが結構情のこもった声でありまして、

思わず自販機を振り返った私は微笑んでしまい

騙されそうになりました。

後日、この日は午前中でしたが、

この自販機で再び缶コーヒーを購入したところ、

「いってらっしゃい!」と声をかけられた私は、

なかなかよくできた自販機だなぁと感心しきり。

時間帯でメッセージを切り換えていることを知りました。

さて遡ることムカシムカシなのですが、

まだ自販機がしょぼい頃に

我がいなか町に画期的な自販機が登場しまして、

お金を入れると程なくしてあったかいうどんが出てくる。

これには皆驚きまして夜中によく喰いに行きました。

で、ここでやはりちょっと気味が悪いと思ったのは、

うどんが出てくるときのこの自販機の動作なのですが、

どうも誰かが後ろからそっと差し出すような感じで

いつのまにかうどんがすうっとあらわれる。

とですね、いろいろな体験を経て、

もうすでに私のなかの自販機は擬人化しておりまして、

次回より小銭を投入したにもかかわらず商品が出てこない、

または返金にも応じず涼しい姿をしているときは、

躊躇することなく蹴飛ばしてやろうと思います。

そしてあたたかい声をかけられたら、

なんのためらいもなく微笑もうと…

気持ちのいい場所

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その景色は、晴れ渡る5月の限られた或る日にしか成立しない。

なぜなら、山の緑が陽に輝き、

花が咲き、鳥がさえずり、

適当に暖かく、そよ風が吹いて

すがすがしいと思えてはじめて成立する。

景色において、風や鳥のさえずりは

かけがえのない要素のひとつである。

それがたとえ見えるものでなくても、

やはり景色には欠かせない。

空気感とはそういうものなのだろうと思う。

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宮ヶ瀬湖は神奈川県の奥まった所に位置するダム湖だが、

観光地としていまひとつ人気がない。

理由はいろいろ考えられるが、まずあまり知られていない、

ここがまず第一のポイントだと思う。

箱根や湘南のように、見所がいろいろあって飽きさせない、

いろいろなルートがある、という訳ではないし、

気の利いたお店がある訳でもないので、

いまひとつ吸引力に欠けるのも確か。

だが、季節と天候さえ整えば、

とても気持ちのいい場所である。

これは先日行って改めて分かったことである。

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最近、観光地の嗜好も、

人それぞれに変化してきたように思う。

私は、箱根に例の噴火のことがあってから、

他に行けるいい場所を探したのだが、

結果、辿り着いたのが埼玉の秩父だった。

このことは知人何人にも聞いてみたが、やはり同じような意見だった。

また、できすぎた観光地・湘南ももはや面白くない訳で、

きっと千葉の名もない海岸沿いあたりに、

とてもいいところがあるような気がしてならない。

気持ちのいい場所の開拓、発見は、

やはりきっかけがないと気づかない。

名もないというか、人気がない、

または地元の人しか知らない

気持ちのいい場所というのは、

まだまだいっぱいあるのだろう。

先の宮ヶ瀬湖も、

季節と天候さえ整えば、

とても気持ちのいい場所なのである。

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初めての山、高原、砂浜そして街並み…

知らないところへ出かけてみるというのは、

とりあえず小さな冒険のはじまりともいえる。

とにかく、まずでかけようでぱないか。

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丹沢の秘湯

秘湯などと謳うとなんだかあやしくなるが、

要は宣伝不足、露出していないということか。

楽天トラベルにもじゃらんにもるるぶトラベルにも載っていない。

よっていつも空いているのか?

のんき、閑散としていると思いきや、

マニアはどこにもいるもので、

そこそこ人が出入りしているし、

泊まり客もしっかりいるから営業している訳らしい。

小田急線本厚木駅からクルマで30分くらい。

丹沢山塊の東の端、芽吹いた木々に覆われた山々を走ると、

綠がやたらと濃くなる。

あたりは七沢温泉。

ここは何度となく通っているが、

今日は更にその奥をめざす。

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広沢寺温泉は、深い山あいのなかにひっそりと佇んでいた。

クルマを止めると、清流のせせらぎがきこえる。

竹林が旺盛に育った小径を歩くと、

一軒の宿に辿り着く。

要はここしかない。

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玉翠楼の古い看板を括って宿に上がると、

初夏の暑さだというのに館内はひんやり。

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建物は昭和初期かはたまた大正、明治か。

古いといえばその通り。

レトロといえばそうも言える館内。

私は、「立ち寄りの湯」のみなので、

風情を楽しんで1000円ポッキリは安い。

更に割引券をくれるので、次回は500円ですむ。

ありがたいなぁ、また来よう。

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露天風呂は脱衣所も完全オープン。

丸見えなので、同性でもそういうのが嫌な人には向かない。

私はどうでもいいタイプ。

さて湯に足を浸けると、

柔らかくてちょっとぬるっとしている。

天然の化粧水のような感じか。

熱っ!

と、奥にぬるめの湯があるのを目視。

やっと腰を沈められる。

ちょっとほっとするなぁ。

岩風呂に寝そべってあたりを眺めると、

竹林が風にそよいでいる。

横を流れる川の水音が心地よい。

なんだか平和な気持ちになれる。

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と突然、自撮り棒をもった若いのが二人、

洗い場で記念写真を撮り始めたので、

アタマを洗っていた私が「おいおいおい」と発すると、

驚いた二人がへらへらしながら、なんだか謝っている風。

よくよく耳をすませると、どうも韓国語らしいので、

こっちは意味不明。

にしてもよくこんなマニアックな温泉をみつけたもんだ。

思わず笑ってしまいましたね。

この兄ちゃんたちとは、お湯が「熱い」という話しかしなかった。

だってそれ以外、お互い言葉も通じないしね。

で、しっかり浸かって露天から上がると、中庭で一休み。

池の茂みからひらひらとしたトンボが飛んでくる。

飛び方が下手だなぁ。

これってもしやガキの頃に見た、あの糸トンボか?

あまりの珍しさにちょっと感激、

フツーに飛んでいる様に私は驚きました。

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コーヒーを頂いて再び館内に入ると、

至るところにイノシシの置物が置いてある。

よーく眺めていると、有名人のサイン入りの色紙も、

ズラッと飾ってあるではないか。

もしかして、ここってかなり有名?

メジャーな旅館なのかと思い直すも、

この温泉の立ち位置がよく分からなくなった。

あっ、吉永小百合の色紙をみっけた!

おいおい、ここは丹沢の秘湯ではないのか?

いまもってよく分からないのです。

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