妄想トカイナカ

トカイナカとは、都会と田舎を繋げた造語だ。

私が考えた言葉ではない。

トカイナカに、私は敏感に反応した。

本来、トカイナカとは、首都圏とか主要都市から

少し離れた田舎なのに、そこそこ拓けている、

そんな所を指すらしい。

現在、私が住んでいるところがそうである。

が、私が考えるトカイナカとは、

都会と田舎の良いところを享受する、

いわばライフスタイルのことを指す。

横浜、そして東京。

こうした都会というところに長年住んでみて、

その良さも堪能したが、

反面、田舎に引っ込んでみて分かったのが、

あの都会のせせこましさである。

確かに都会にいれば、ビジネスチャンスがゴロゴロ転がっている。

そして気の利いた店がひしめいている。

美術館が多いのも、いまとなっては羨ましい。

が、如何せん都会は人が多い。

ごちゃごちゃしているので、疲れる。

空が見渡せない。

いまとなっては、これが一番辛いかな?

転じて、田舎は空気がいい。

空を見渡せるのが嬉しい。

クルマ派の私にとっては、

駐車場の料金が安いのもありがたい。

しかし、都会に較べると、

明らかにビジネスのパイは減る。

いや、問題なのは市場ではなく、

ひょっとしたら市場価格なのかも知れない。

仕事の対価としての価格。

これが総じて低く設定されているように思う。

田舎でも気の利いた店なんていうのもあるにはあるが、

嗜好が合わなければアウト。

セレクトの幅が限られているのが、面白くない。

アーティストもなかなかいいの、来ないしね。

でですね、以上のことを踏まえ、

唐突に私なりに思いついたライフスタイルの拠点が、

小田原、軽井沢なのであります。

具体的ですね。

ホントは八ヶ岳が好きなのですが、

二度と都会に出てきそうもないようなので、

今回はトカイナカ候補から外しました。

小田原も軽井沢も、

なかなか素晴らしい自然が残されています。

そして新幹線を使えば、

一時間以内に都内に出られます。

クルマもそれぞれ東名、関越が走っているので、

アクセスも抜群です。

この2点で、両地域のポイントが高い訳です。

軽井沢はいまはまるで考えていないのですが、

小田原での生活は少し考えてみました。

まず、海の見える丘陵地に居を構え、

のんきに畑を耕す訳ですね。

で、収穫したトマトとかキュウリを、

浜の漁師さんにプレゼントして、

換わりに、アジとかサザエなんかをいただく。

食生活は、なかなかいいものになりそうです。

畑なんかも耕しちゃう訳だから、

健康にも良い。

で、日々広い空を眺めて暮らすんですね。

が、或る日突然、

東京のクライアントさんから打合せの依頼。

急な用事ですが、私は平然と「OK」と言い放つ。

翌日の新幹線で、午前11時には品川駅着。

余裕です。

打合せには少し早いが、

軽めの昼飯として、

ゆっくり立ち食いソバなんかを食う。

パスタではありません。

ソバであります。

で、スタバなんていうチェーン店なんかではなく、

駅裏なんかでひっそりやっている喫茶店で、

コーヒーをいただく。

こんな感じ。

で、ここまで書いてふと気がついたのですが、

一般的なトカイナカと言えば、

八王子とか越谷とか柏あたりなのでしょうが、

景色も空気も中途半端、

アクセスも中途半端。

トカイナカというライフスタイルをめざすには、

上記した地域は、私には都会過ぎる訳です。

どうせなら、振り切る。

振り切ったトカイナカこそ、

その利点が鮮明に表れるように思えてなりません。

しかし、下北半島とか佐渡島とか、

四万十川とか五島列島って言われても、

振り切り過ぎていて、こっちが着いてイケマセン。

私がテキトーに考えたトカイナカ・ライフスタイルが、

そもそもちょっと曖昧なのですが、

こんなライフスタイルもアリと考える賛同者が、

果たしてどのくらいいるのか?

勤め人の方には、やたらイライラする提案と思われますが、

自営業者の方はどうなのか?

そこが、私にはさっぱり検討がつかないのです。

生活様式としてのトカイナカ…

いいと思うんですけれどね。

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ピカピカの圏央道を走る!

相模原に良い植木がいっぱい置いてある店がある、

と聞いて、早速行くことにした。

植木、欲しいな~って常々思っていましてね。

自宅から、まあ30分くらいだろうと検討を付け、

酷暑の中だったが、近いので何も持たず、

奥さんと出かけた訳です。

植木センターまでのアクセスは事前にチェックしましたが、

私の悪い癖で、だいたいで走り始めまして、

現地近くに行くと予想もしない道が幾つも出てくるから、

正直驚きました。

で、真新しい交差点とかが出てきまして、

行く先を示す看板もバラバラで良く把握できない。

うーん、ヤバイ。

が、ここだな、と検討をつけて信号を左折すると、

いやぁ、ホント驚きました。

アスファルトのデカい道がどんと広がり、

やたらと立派なんですね。

気がつくと、圏央道の新しいインターチェンジに入ってしまい、

すでに引き返すこともできない状態。

ひぇー!

植木、植木。

植木を買いに来たのに、なんで圏央道走る訳?

しかし、そこは切り替えの早い私です。

ようし突っ走ろう! 楽しもうと、

すでにアタマをギヤチェンジ致しまして、

隣席の奥さんは唖然としている。

(次のインターで降りて、引き返せばいいんだろう)

が、次の出口がなかなか出てこない。

でですね、開通したての圏央道を疾走することに。

トンネルが多いが、走りやすい。

防音壁に覆われてはいますが、まわりの高い山々の綠や、

空の青さに目を奪われる。

結局、なんと高尾まで行ってしまいました!

ご存知、東京都八王子市の高尾山です。

で、経験則からこういうときに怖いのが、

降り口の選択なんですね。

目の前の道はT字路になっていて、

左が八王子、右が相模湖を指している。

神奈川県民としては、当然のように右折を選択。

そこからがね、キツカッタんですよ!

クルマの数もめっきりと減り、

グングン峠を登るんですね。

クネクネ。で、ワインディングロードの連続。

ほんの1時間前とは、状況が全然違うけんですね!

私たちは、近所に植木を買いに行こうとしていたのです!

やっと峠を登り切りまして、

そこの看板に大垂水峠(おおたるみとうげ)と書いてある。

聞いたことはあったが、私は初めてこの峠を越えたのでした。

景色がまあまあで、遠く眼下に相模原市を見下ろす、

そんな感じ。

が、クソ暑い、喉がカラカラ。

で、腹減った。

最低条件のドライブ。

途中、そうした欲求を満足させる店はゼロ。

そのムカシは繁盛していたであろう、

旅館とかモーテルとかの廃屋が、

道路沿いのアチコチに点在する。

やっとこさ相模湖畔に出て知ってる道に戻り、

城山のセブンでようやく腹ごしらえ。

ヒーヒー言いながら、

アイスコーヒーとマヨネーズぐっちゃりのやっすいパンを摂取。

で、深呼吸をして、

グッタリ帰路に着いた訳ですが、

まるで、ジェットコースターに乗っているかのような展開に、

我ながら驚いた訳でして、

確か、植木を買いに行くハズだったんだよなと言うと、

奥さんもズタズタになって、苦笑いしていました。

グーグルマップにもまだ載っていない道路って、

ホントにヤバイです。

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イマドキのラーメン

小腹が減ったので、

ふらっとラーメン屋に入った。

土砂降りの日の仕事帰り。

運転疲れと、長い打ち合わせで、

かなり参っていた。

仕事は話が入り組んでいるし、見積もりの数字も、

いつものように勘が働かない。

疲れているな、と自覚する。

「いらっしゃい!」

名前が知れている店だが、

私はいままで一度も入ったことがない。

ポツポツと空いているカウンター席に座ると、

威勢の良い兄ちゃんがメニューをサッと差し出す。

私は無意識に、ラーメンと呟やく。

と、素早い反射神経で、

「ハイ! トッピングなしのラーメンで

よろしかったでしょうか?」

「ええ…」

コップの水をゴクリとやって目を閉じた私に、

兄ちゃんは問いかける。

「麺は如何致しましょう?」

「はあ?」

仕方が無いのでメニューを見ると、

なんだか聞き慣れない麺の種類が書いてある。

「普通でお願いします」とは言ったが、

そこには、柔らかめ、普通、固めの他に、

バリ固とかハリガネとか粉落としとか、書いてある。

(誰がラーメン屋でハリガネなんか食うんだよ、バカ)

と私は無言で呟いていた。

しかし、

後ろではしゃいでいた大学生らしきグループのひとりが、

ハリガネって注文したときには驚きました!

(そんなもん食って、お腹に穴でも空くんじゃねぇのか)

ちょっとイライラしている私でありました。

「ハイ! で、スープは如何致しましょう?」

「ああん?」

目を瞑っている私には、

ホント、面倒臭いなと思った。

「普通」

「背脂は入れますね?」

「??? …それでおねがいします」

私が憮然と答えると、兄さんがでかい声で、

このおっさんがごく普通のラーメンを背脂入りで頼んだぞと、

そんなことを、

なんだか妙な業界用語で厨房へ伝えたようだった。

で、おもむろにまわりを見渡すと、

かなりお客さんがいる。

そして、ガテン系とか地元のヤン系とか、

比率的にそういう方たちが多いのに気づく。

「ふふん、そういうことか」

私はどうやら入る所を間違えたらしい。

お客は、みんな若いんである。

ここは、パワーで生きている奴等が、

ガッツリ食いにくる所だったんだなぁと。

私みたいなひ弱な年寄りの来るところではないのである。

「お待ち!!」

私がギョッと驚いて目を開けると、

さっきの兄ちゃんが颯爽とどんぶりを差し出した。

スープの上に白いつぶつぶがプカプカ浮いている。

(ははぁ、これが背脂か)

レンゲでそのスープを口に運ぶと、

なんというか、すげぇアブラっこいものが、

口腔内に拡散する。

ここで、私は腹を括った。

仕事の事や眼精疲労更に肉体疲労の件は、

忘れよう、

いまはこのラーメンとの戦いに全力を尽くすときであると。

ホントは、醤油ベースのあっさりした、

なんの変哲もないラーメンが食いたかったんだけれどな…

口内、食道、胃腸と、

私の消化器のすべてに、

この背脂が絡んだなと感じられるほど、

久しぶりにしつこい物質を体内に溜めて、

私は店を後にした。

(うーん、イマドキのラーメンは、

一体どこをめざしているのかな?)

後日テレビでたまたま観たのは、

日本のラーメンがパリで大人気というレポートだった。

画面の中のラーメンは、やはり創作系とでもいうのか、

ドロドロのコテコテで、

私の欲している、あの昭和のラーメンではない。

こうなるとメイド・イン・ジャパンだったラーメンも、

もう寿司と同じく世界中で更にバリエーションが増えて、

立派にRamenなのである。

そういえば、

あの日、私は夕飯もほとんど手を付けず、

お茶をがぶ飲みして寝たんだっけ。

渋谷、屋根裏

80年代の中頃、

僕はまだ広告制作のいろはも知らないまま、

とある広告会社のコピーライターとして、

来る日も来る日も会社に寝泊まりしながら

コピーを書いていた。

ちっとも上手く書けない。

上達すらしていないんじゃないか?

いつもそんな焦燥感を味わっていた。

が、営業は、仕事を途切れることなくもってくるので、

無責任にも書き続ける他はない。

そうなると、

やはりアタマのバランスというものは崩れるもので、

仕事の最中、急にお香を焚いて目をつむったり、

デスクから逃げるように、

屋上へ上がってTシャツなんかを脱ぎ捨て、

ビールを飲みながら寝転がったりしていた。

そうでもしないと、イカレてしまうと思った。

こんなことを今やったら、即クビだろう。

会社は原宿のセントラルアパートにあったので、

夜な夜な渋谷で飲んでいた。

こうして切れ目のない日々が続いた。

その夜も、

同僚のコピーライターと渋谷でクダを巻いていたのだが、

いま思い出しても、この同僚とはどういう訳か、

広告がどうしたこうしたという話は、

一切しなかった。

話題は、女の子。

そして、ソウル・ミュージックに限定されていた。

リズム・アンド・ブルースの話でだいたい盛り上がるか、

やはりTVでソウル・トレインが流行っていた頃の

モータウンの裏話に始まり、

それに続くバンプとかファンキー・ミュージックの話に繋がる。

こんな流れだったように思う。

こっちはソウル・ミュージックは大好きだが、

なんせ、この同僚の知識がすさまじいので、

防戦の如く、聞くことに徹していたのだが、

同僚は、

たまにこんな事を聞いてくるのである。

「最近のマーカス・ミラーのメローな音づくり、どう思う?」

「………うーん、いいんじゃねぇ………」

そんなことしか言えない僕だった。

で、お互いに疲れをごまかすため、

眠さを堪えて飲んでいるのだが、

とにかく体中がダルいので、

自然と寝転がるようなだらしない格好になる。

と、唐突に同僚がこう言うのだった。

「いま来ているよ」

「何が? 誰が?」

「ダズ・バンド」

「エーッ、何処に?」

「ここ渋谷、すぐそこ。

屋根裏に来ているらしいんだ」

続けて「噂だけどね」

とのたまった。

「行ってみようか?」

「いや、だるいんだよ。眠いし…、

だから言いたくなかったんだよ」

同僚も連日の疲れで、目が半目になっている。

こっちも同じ状態である。

そこで思い出したのだ。

僕たち二人は、この居酒屋を出たら、

再び会社に戻って、

もう一仕事しなくてはならない身だったのだ。

朝一の締め切りが、数本あったのを思い出し、

憂鬱な時間が流れる。

「屋根裏か、あそこのライブっていいよな…」

「ダズ・バンドだぜ! なのに僕たち、仕事なんだよな」

「今度はいつ来日するの?」

「当分来ないと思う。だって向こうじゃいまヒットチャート急上昇だぜ。

こっちでも3ヶ月後には、間違いなく大ブレークだよ」

「じゃあ、今日が最後のチャンス」

「そうなるね、もう間近じゃ見れない存在になっちまうよ」

「………」

僕と同僚は、そのときクビを覚悟した。

眠いカラダにムチ打って、二人で屋根裏へ走った。

マニアのみのライブとはいえ、会場の中は超満員だった。

そこには確かにダズ・バンドがいて、

最高のパフォーマンスを披露してくれた。

朝一の締め切りなんていうのは

何ひとつ間に合わなかったが、

営業に事情を話すと、ありがたいことに、

彼らが先方へアタマを下げに出向いてくれた。

この後にいろいろな事があって、

嫌な事もいっぱい経験して、

私はその会社を辞めた。

しかし産まれたばかりの長男もいたので、

休暇は許されない。

心機一転、

僕は友人たちと、赤坂で会社を立ち上げた。

僕が、本気になる前のくだらない話である。

しかし、いまでもダズ・バンド、

好きだな!

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再び、リラコの件。

夏である。

テレビを観ていると、やはりというか、

今年もまた、ユニクロのリラコなのだ 怒

娘が言うには、「いいんじゃないの」。

そういうもんかね?

リラコなんてかわゆい名前で呼んでみても、

絵柄の付いたステテコには違いない。

いくらファッショナブルに見せたって、

うーん、イケテナイと私は思うのだ。

とにかく、私はこのステテコが大嫌いだ。

年のせいか、昔の年寄りのステテコ姿が

どうしても頭に浮かんでしまう。

それはもうトラウマのようなもので、

そこからの脱出は、ほぼ不可能。

私のちいさい頃は、夏になると、

もう余命幾ばくもないお爺さんが、

あのステテコ姿でウチワなんかを扇ぎながら、

ちょこんと軒先に座っていたりする。

私は横浜の下町育ちなので、

こんな爺さんが町中に溢れていた。

でである。

爺さんのステテコは、ほぼ全員透けている。

で、下のパンツではない、

ふんどしが丸見えであった訳で、

子供ごころに、嫌悪感を覚えた。

で、リラコだが、

なんと女性用のステテコである。

許しがたい 怒!

いくらオシャレになったとはいえ、

あれは純然たるオトコの下着なのである。

が、ユニクロの戦略は巧妙だから、

ウチの娘もいいんじゃないの、となってしまうのだ。

娘に更に聴取したところ、

海とかキャンプとかではくなら最高、らしい 汗

うーん、いらいらするな!

ますます住みにくい世の中になってきた。

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ヒッピー、そして旅人のこと。

旅するように生きる人。

または常に旅をしている人を、

ライフトラベラーと定義したい。

古くは芭蕉や山頭火だろうか。

月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿(芭蕉)

けふもいちにち風を歩いてきた(山頭火)

詩人・ランボーも、商売に精を出したり、

旅芸人一座と寝食を共にしたという。

60年代後半、

アメリカではベトナム戦争の痛手から、

ヒッピーが生まれた。

ヒッピーの信条は自然と愛と平和。

そしてマリファナやLSDを肯定する。

トリップである。

世間に背を向け、

キリスト教的な教えを拒否し、

東洋思想へと傾倒する彼らを大きく捉えると、

ヒッピーの信条もまた非日常であり、

現実逃避という「旅」と言えなくもない。

ライフトラベラーだ。

ちょうど、ビートルズがインド巡礼へと旅立った頃だった。

東洋思想が捉える世界観は、宇宙まで辿り着く。

少なくとも西洋にはない宗教観に、彼らは傾倒した。

ヒッピーはまた、

フラワーチルドレンとも呼ばれた。

その先鞭は、

スコットマッケンジーが歌った「花のサンフランシスコ」。

サンフランシスコは、まさにヒッピー発祥の地であった。 

世界を平和の象徴である花で埋め尽くそう…

そして、武器ではなく、花を!

レコードジャケットの花柄のシャツを着た彼の姿は、

いまでも印象に残る。

同時期、

銃口に花の添えられた写真が世界を駆け巡った。

アメリカの若者たちが「平和」を模索し始めたのである。

この写真は、違和感そのものであり、

それが逆に不思議な引力をもっていたのを、

いまでも覚えている。

ヒッピー文化はまた、

サイケデリックをも生み出した。

サイケデリックファッション。

サイケデリックミュージック。

これらのムーブメントは世界に波及し、

日本にも多大な影響を与える。

横尾忠則、ナナオサカキ、寺山修司や植草甚一など、

蒼々たる人たちがその洗礼を浴び、

後に続く新たな系譜となる。

また、岡林信康や忌野清志郎、加藤和彦も、

少なからずヒッピーの影響を受けたアーティストたちだ。

日本ではフーテンという呼称があるが、

これもヒッピーの系譜。

日本中を歩いたフーテンの寅さんも、

こんなところから生まれたのだと思うが、

これは不確かな推測だ。

しかし、日本でもこの頃から、

新たな旅の模索は始まった。

さて、

常に旅をしている人はその実感もひとしおだろうが、

旅するように生きるとは、となると、

その定義も難しい。

ひと頃、

JRの「ディスカバージャパン」キャンペーンがヒットした。

山口百恵の「いい日、旅立ち」の歌が流れ、

日本の何処か…の美しい映像が映し出されると、

あぁ、旅はいいなぁと思えた。

また、イギリスBBCなどが制作するドキュメント映像も、

リビングに居ながらにして、私たちを冒険へと誘う。

映画、音楽、物語…

これらも、

動かずして旅立つことができる重要なアイテムだ。

旅は突き詰めると、非日常である。

そこに想像する力、感動する心があれば、

人はいつでも旅立てる。

旅するように生きるとは、

例えばこうしたことなのかも知れない。

話は飛躍するが、

私たちの人生そのものが旅の一環である、

との考え方も存在する。

これは仏教に由来する考え方だが、

人が生きてゆくとは、

あの世から来た旅人がこの世を旅することであり、

更に大きく言えば、

この世の生き様は、

ただの通りすがりの姿なのである。

生きて、死して、

そしてまた次のステージを旅する…

それが次元の異なる旅するのか、

宇宙の果ての向こうにそんな世界があるのか、

それは誰も知る由もないが、

思えば、これも旅と言えなくもない。

だから私たちは、同時代を生きる旅人なのだ。

人が旅に憧れるのは、

やはり、私たちのどこかに、

潜在的に組み込まれたプログラムがあるから…

なのではないだろうか?

60年代にミュージカル「ヘア-」が大ヒットしたが、

このミュージカルもヒッピー文化の申し子だ。

ヘアーとは、要するに長い髪のことであり、

それが愛と自由と反戦の象徴の意味合いをもつ。

ここで、フィフス・ディメンションが歌う

「輝く星座」と「Let The Sunshine In」は、

壮大なスケールと共に、

とにかく歌詞が意味深である。

月が7宮に入り 

木星が火星が一直線に並んだ

いま この安息が宇宙に広がるとき

愛の力が宇宙を動かす

さあ水瓶座の時代が始まる

夜明けのときがきた

水瓶座…

水瓶座…

ああ水瓶座よ

調和そして理解すること

共感そして信頼

ウソや人を騙すものは

もう終息に向かうだろう

夢に溢れた輝かしい未来

神秘的に満ちたお告げと黙示

真に解放されるとき

水瓶座の時代がきた

水瓶座…

おお水瓶座よ

うむ、

私たちは皆ライフトラベラーである。

元来、人は誰も自由な旅人であり、

この世を通り過ぎるのも、また旅、

なのではあるまいか。

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横浜のクラシックホテル

いまでこそ蒼々たるホテルが建ち並ぶ横浜だが、

これもつい最近のことのように感じる。

私の「最近」という感覚は10年単位だから、

正確さには欠けるが、そこは勘弁。

新進の大型ホテルは、だいたいがみなとみらい地区か、

新横浜駅周辺に集まっている。

特にみなとみらい地区は、ランドマークタワーにある

ロイヤルパークホテルをはじめ、

インターコンチネンタルホテル、横浜ベイホテルなど、

かなり林立している。

このあたりに幾度か宿泊したことがあるが、

こちらの感覚からすると、横浜というより、

なんというか、

東京のお台場地区となんら変わらない。

加えてゴージャスな夜景を眺めていると、

無国籍な場所に佇んでいるようで、

どうも気持ちが落ち着かない。

ゆっくりしたいな、と心底思うときは、

やはり山下公園近くのホテルをとる。

規模は大きくないが、少し廃れがちに、

がしかし、

由緒あるホテルがある。

この付近は、みなとみらい地区に比べると、

夜もさっと人が退ける。

それが寂しくもあり、

こちらとしては嬉しいのだが…

通り沿いを歩くと、店数は少ないが、

ポツポツと良い店がある。

ホテルニューグランド内のカフェも、

そのひとつだ。

重厚な石造りの建物に一歩足を踏み入れると、

きらびやかさや派手さはなく、

クラシックホテル内の店にふさわしく、

気品と格調が漂う。

本館(旧館)の入口近くにあるこのカフェは、

椅子もテーブルもゆったりしていて、

窓際の席からは、

山下公園沿いの通りを眺められる。

特に、陽が落ちてからの窓の外は、

明るすぎない街路灯と並木道で、

ぐっとシックな絵となる。

私は、ここへ来ると必ず中庭に出てみる。

歩いて、芝生、石畳、石像と眺める。

どれもが古くも情緒があり、

ゆったりとした気持ちにさせてくれる。

新館ができる前、この本館へは幾度か宿泊したが、

やはりクラシックホテルの名にふさわしく、

部屋のドアの磨き込まれた真鍮製の取っ手や、

ベッド脇のクラシカルなスタンドが印象深い。

ワードローブや調度品も、年代物だ。

エントランスから2階へ上がる階段は広く、

そのラインが優雅なアールを描く。

とりわけ、艶光りする木製の手すりが目を惹く。

足元に敷かれた赤いジュータンも、

踏みしめる毎の感触に、その優雅さが伝わる。

この階段下のすぐ横に、

あの伝説のバー「シーガーディアン」がある。

サザンの歌の歌詞にも出てくる、例の店だ。

私はアルコールをやめたので入らないが、

横を通る度にちらっと店内を見ると、

紳士・淑女とおぼしき方々がカウンターに腰掛け、

くつろいでいるのが見受けられる。

ちょっと、敷居が高い。

戦後、マッカーサーが厚木基地に降り立ち、

ここを常宿としたことは有名らしいが、

私はこの話をつい10年くらい前に知った。

また、皇族をはじめ、イギリスの王室や、

あのチャーリー・チャップリンも、

ここを訪れたという。

いまは日本発のイタリアンレシピの定番である、

ナポリタンスパゲッティやドリアも、

当時のこのホテルの厨房が考案したものと、

あるテレビ番組を観て知った。

私はそうしたことをなにも知らず、

ただこのホテルが好きで足を運んでいたのだが…

歴史的なエピソードが幾重にも重なり、

そのひとつひとつが物語として成立している、

ホテルニューグランド。

クラシックホテルの名に恥じないその趣が、

私だけでなく、

ここを訪れる多くの人たちを魅了するのだろう。

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カッコイイとはなにか?

「カッコイイとは、こういうことさ。」と、

すでに答えがあった。

映画「紅の豚」のキャッチフレーズである。

このコピーは、糸井重里さんの作。

宮崎駿さんの意を汲んで、

このコピーはできたのだろう。

「紅の豚」はまず、

主人公の姿が豚、というのがミソだと思う。

なぜ豚なのか?

そこが曰わく付きなのである。

理由は面倒なので割愛するが、

さすが、カッコイイ豚らしく、

その理由がある。

観ていない人は、そこんとこ、確認してください。

で、この豚の主人公の名はポルコ。

腕に覚えの、賞金稼ぎの飛行機乗りだ。

飛ばない豚は只の豚だ、というだけあって、

この豚、只の豚では当然ない訳である。

舞台は、紺碧のアドリア海。

時代は第一次世界大戦後の混乱期。

どこにも属さない、

フリーの飛行機乗りという設定が、

またカッコイイではないか。

でですね、この主人公ロッソだが、

コイツのやることなすことが、

いちいちキマっている。

台詞も渋いことばかり言いやがって、

ま、例えるなら、

ハードボイルドとでも言おうか。

そんな路線で最後まで突っ走る訳です。

アドリア海一の飛行機乗り。

主人公のポルコは、みんなのスター。

ついでに、オンナによくモテる。

とまあ、ここまで書いてなんとなく思うことは、

この映画は、人は外見ではないですよ、という、

言い古された教えなのか。

だから豚なのである。

すっげぇ分かり易い例え話。

似た例えでは、

ディズニーの「美女と野獣」というところか。

がしかしである。

どちらも実はホントは、

外見もカッコイイ王子様とか、

イケメン飛行機乗りという設定が、

ちょっとひっかかる。

ここ、見逃せません。

ここんとこを、流してはイケナイ。

事情は複雑です。

だから私はこのように思った訳です。

確かに、カッコイイ生き方ってあるのだろうと。

がしかし、やはり外見って外せないのかって。

わざわざ豚にする意味。

そこが分かり易くもあり、

誰もが実は、

本音と建て前の境をさまようのだろうか?

「カッコイイとは、こういうことさ。」と、

もっとさらっと本音から言えると、

人生って誰も平等に面白いハズ、

なんですけれどね!

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夜更けのハンバーガー

金曜日の夜は、

なんというか、嵐が去った後のように、

疲れてぐったりしている訳で、

ああ腹が減ったな、なんてだらっとしていたのである。

が、奥さんが「足の指がちょっと変なの」とのたまった。

「えっ?」

見ると、右足の親指が紫色に変色して、

パンパンに腫れ上がっているではないか?

どす黒い付け根あたりに、とても嫌な感じが漂う。

「どこか、ぶつけた?」

「それが痛くないし、ぶつけた覚えもないのよ」

あーん?

ネットで調べると、通風とかアレコレ出てくるが、

どうも症状が合致しない。

しょうがないので、市内の整形外科とかを調べるも、

どこもすでに閉まっている時間。

休日診療を調べて駆け込むも、当番の先生が内科医なので、

同じ市内で臨時で常駐している整形外科医を紹介してもらった。

暗い待合室。静まりかえった総合病院。

じっと待たされる。

「あーーっ、腹減った」

「あなたはどこかでなんか食べてきて。きっと時間がかかると思う」

「じゃ、終わったら連絡くれ」

クソ寒い日だった。

夜の街を歩き出すも、まるでウキウキしない。

居酒屋でみんながワイワイやっているのが見える。

暖かそうなコーヒーショップの中が恋しいが、

緊急時を考えて、ヤメとする。

「おっ、ローソンだ」

発作的にハンバーガーと缶コーヒーを買い、

街をうろうろするも、適当な喰う場所がない。

病院からは、そう離れられないしな…

で、思い出したのが、

普段からなんとなく印象の良くないH公園だった。

(あそこしかないな)

通りの横にあるH公園に辿り着くと、

なんだか陰険な気配が漂う。

暗いベンチに座ると、ヒェーとなるほどケツが冷たい。

それでも、まわりにポツポツ人が座っているが、

そんなのはどうでもよいのだ。

とにかく腹ペコ!

ハンバーガーにむしゃぶりついていると、

少しづつだがしあわせ感が蘇ってきた。

冷蔵ハンバーガー、温めてもらえば良かったな、

なんていう余裕も出てきたのである。

一息吐く頃、ようやくあたりの気配に気がつく。

と、通りを行き交う人たちが、

私のほうをちらっと見て通り過ぎていくんだな。

粋がった兄ちゃんのグループが、こっちをガン見したあと、

そっぽを向いた。

こんな時間にこんなところでなんかむしゃむしゃ喰っている奴には、

かかわりたくはないね。

そういう感じ。

よく見ると、私の前に、浮浪者とおぼしき同世代のオヤジが、

新聞と雑誌をベンチに積み上げ、

それらを丁寧に眺めている。

いや、読んでいる?

(こんな暗いところで読める訳ないだろ)

内心つぶやいてみたものの、ひょっとすると?

そう、このオヤジは極寒をものともせず、

着ているものはぼろぼろだが悠然とした風体。

姿勢も良い。

なんと、暗がりで優雅にモノを読む能力を備えていたのである。

(うーむ、やるな!)

オヤジがこっちをチラ見して、ちょっとニカッとした。

私を新参者と思ったのか?

腹も満たされ、カラダも暖まった。

まだ連絡がこない。

しょうがないので、タバコを吹かしてベンチでダランとしていると、

今度は妙な開放感が湧き上がってきた。

公園の薄暗い街灯が、いい感じだな、とか、

どこでもリラックスできるっていいなとか、

缶コーヒーって割とうまいなとか、

道行くおっさんたちを眺めていると、

なんだかあのグループってみんな無理してるな、

とかね。

結局、この日の夕飯は、冷えたハンバーガーと缶コーヒー。

奥さんの診断はたいしたことないということで、

塗り薬を頂いた。

後日、奥さんの足の指の腫れもウソのように治った。

あれから私は、なんだかナマぬるい、

そして金のかかるアウトドア生活なんかではなく、

もっと新しい、

自由奔放なライフスタイルというものに憧れているのだが、

そんな話を奥さんにしたら、

ウチはいつでもなれるわよと言われた。

意味深ではある。

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極狭回転寿司屋

確か、新宿御苑あたりだったと思う。

打合せの前に腹ごしらえでもしようと、

「寿司」ののれんだけ見て飛び込んでしまった。

と、店内が驚くほどの極狭で、客の入りは九分ほどか。

空いてる席をみつけたのはいいが、なんせ店内が狭くて、

「スイマセン」と壁に這いつくばりながら、

やっと席へと辿り着く。

でだ、ひと息ついて顔を上げると、

前の人との距離がやたらと近い。

居酒屋で知った同士がワイワイやるより、

若干離れている程度。

で、シラーっとしている訳ですね。

黙々と食っている人もいれば、

空中のどこかっていうんですか、

茶をすすりながら、

焦点が定まらない目つきの人が多い。

板さん寡黙。

ミュージックなし。

ため息とか、シッシッーとか、たまに聞こえる。

家庭用、いやパーティー用にでも重宝しそうな、

寿司を運ぶ超小型ベルトが、

始終カタカタと回っている音だけが、

狭い店内に響いている。

喰っていて、どうも落ち着かない。

なんだか音とか視線とかが、やたら気になる。

妙な緊張感でした。

人ってそれぞれパーソナルスペースとかいうものがあって、

おのおの、その距離が違うらしい。

もちろん、親しい仲であればその距離も縮まるが、

見ず知らずの他人との距離が近くても平気な人もいれば、

極端に遠い人もいる訳で、

その距離より中へ入ると、人って緊張する。

いわば警戒心ですね。

私は、このパーソナルスペースが大きいと自覚しているので、

例えばエレベーターなんかで満員だと、

ちょっと疲れたりしてしまう。

だから、知らないのに妙に馴れ馴れしい、

無神経な距離感の人、

こういうのは苦手です。

パーソナルスペースは、私が思うに、

どうも野生動物の観察から分かったものじゃないかと推測する。

彼らは、パーソナルスペースに他者が入ると威嚇したり、

また、弱い動物の場合は、即逃げ出すでしょ。

まあ、生きるための本能です。

しかし、都会人がこんな具合だと生活もしていけないので、

皆、無理して、

パーソナルスペースをぐっと縮めているように思う。

これが都市で生きる知恵でもあり、

都会人に欠かせない資質のひとつなんじゃないでしょうか。

あるとき私は、自分の前世というのを観てもらったことがあるが、

私の前世はアメリカインディアンの酋長だったらしい 笑

どうりで、広々としたところでやたらに落ち着くのか、

合点がいった。

でですね、

もう一度、あの極狭回転寿司屋に挑戦してみようかなと思っている。

今度は、満席時を狙ってあえて空気を読まずに、

独りごとのようにギャグを呟くというもの、

なんですが…

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