サードマン現象2 (前号の続き)

サードマン現象を紹介する本や記事には、

幾つかの事例が紹介されている。

例えば、

或る家族が乗った船が難破し、ゴムボートで漂流することとなり、

途中、嵐に遭遇する。

笹舟のように揺れるゴムボートの水を、みんなで必死にかい出すも、

船はいまにも沈みそうになる。

が、一家は奇跡的に助かった。

数年後、やっと心の傷も癒えた頃、

みんなが重い口を開き始めると、

或る一人の男の存在が浮上する。

この一家は4人家族で、

ゴムボートに乗っていたのはこの一家だけだったが、

嵐が激しくなって、ふと気がつくと、

或る男が必死で水をかい出していた。

あのとき、ゴムボートには確かに5人乗っていたと…

皆が口にしたのだ。

これは、一家全員の記憶が一致している。

9.11の世界同時多発テロで、

旅客機が突っ込んだニューヨークのワールドトレードセンターから脱出した一人は、

煙と瓦礫に阻まれた階段を下りられず、絶望したが、

どこからともなく聞こえた声に従い、命拾いをしたと言う。

極限状況下の傍に現われ、

頑張れ、生きろと励ます謎の存在。

これが、サードマン現象。

雪山で遭難し、

疲労と寒さで寝ていた登山者を、

或る男が起こしてくれて、

無事に助かったという話は数多い。

サードマン現象は、

姿、形がなくとも、声・気配など、

いろいろなアプローチで、私たちを導く。

その証言は多岐に渡る。

こうした現象について、

現代の学者や研究者たちは、

脳認知学や神経学、心理学等を駆使し、

それを何らかのカタチで結論づけるのだろうか。

かつて、キリスト教の修道士やチベット仏教徒が、

この世の真理とやらを探しに、

山奥で修行などに励んで自らを追い込んだ末、

例えばサードマン現象を体験したら、

そこに神や天使や仏さまを見たに違いない。

サードマン現象の正体は、いまのところ不明だが、

現在の科学で証明できるものは、

この世界のわずかな事柄に過ぎないという事実。

果たして、神なのか、幻なのか。

いや、私たち人間の、隠された能力のひとつなのか。

このブログの前項に記した私の体験は、

以上の話と較べて、

かなり生ぬるいと言わねばならない。

しかし、あのときの自分は、

いま思い返しても、ある種の極限状態だった。

サードマンに遭遇する状況はもうゴメンだが、

こうした現象への興味は尽きない訳で…

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サードマン現象

フリーランスのコピーライターをやっていた頃、

仕事を大量に安請け合いして、

数日間寝なかったことがある。

このとき、私は不思議な体験をした。

徹夜も二日目に入ると、ハイテンションになり、

もう、マシンのように原稿がすすむ。

やればできるなぁ、と自らを感心した。

全然疲れないので、ちょっと変だなとは思った。

明日の昼頃には仕上がるなと思った途端、

原稿がバタッと書けなくなった。

一度つまずいたきり、アタマが真っ白になり、

必死に文を考えるのだが、

乾いた雑巾からはもう水は一滴も出ない…

そんな状態になってしまった。

と、モーレツに身体がだるくなり、

デスクに何度も突っ伏した。

まだワープロの時代で、カーソルが文字の最後の箇所で点滅したまま、

止まっている。

ふっと気がつくと、スズメの鳴く声が聞こえた。

数十分だか数時間だかよく覚えていないのだが、

寝ていたようにも思うし、気を失っていたようにも思う。

まずい!

ハッとして慌ててモニターに向かうとアレ?

文章が進んでいるではないか。

例のつまづいていた箇所だ。

一瞬あれっと思ったが、

とにかく焦っていたのでそのまま書き進める。

と、その後もスラスラと書ける。

そして一端朝食を摂り、

午前中には総て書き上がったのだ。

内容は、ある石油会社のガソリンスタンドの従業員向マニュアルで、

印刷期日が迫っていた。

昼の0時ジャストに、A代理店のB氏より「できた?」との第一声。

向こうも必死なのが分かる。

即ファックスを流して校正してもらい、

その日の夕方までに総ての修正を終えた。

で、ビールを飲みながら振り返るに、

前夜のアレは一体何だったんだろうと、

思いを巡らすのだが、

やはりさっぱり分からない。

ただ、意識がなかった時間、

私は光りのようなものに包まれていた感覚を覚えていた。

それはとてもハッピーであり、安らかであった。

後々だが、これがサードマン現象の一種ではないかと、

考えるようになった。

(自己都合により、つづく)

Allentown 原風景

私の生まれた町は、

晴れた日も、空は灰色がかっていて

いつも鉄を叩く音が町中に響いていた。

川はときに緑色に染まって、

毒々しいほどに淀んでいた。

海へは歩いて15分で行けたが、

岸壁に打ち付けるのはゴミの山で、

そのなかに、

何故か必ず、犬の死骸が浮いていたのを覚えている。

いま、中国の北京や上海がとても汚染されているらしいが、

自分の原風景と変わらないじゃないかと、

ときにひねくれて思う。

東京オリンピックが開催された翌年、

私はこの町を離れることになったが、

自分があの町で育ったという意識は、

きっと死ぬまでつきまとうだろう。

20代のとき、

とても好きなアーティストに出会った。

ビリー・ジョエル。

彼に都会の憂鬱を歌わせたら、きっと右に出る者はいないだろう。

そしてアルバムを聴いていると、

私は不思議な郷愁に誘われるのだ。

Allentownという曲は、

以前から気にかかってはいた。

が、アレンタウンという町がアメリカの何処にあるのか、

私は全く知らないし、調べる気もない。

が、あの詞は放ってはおけない憂鬱さを抱えている。

きっと、無意識のうちに自分の生まれ育った町が浮かび上がり、

その原風景が、私を引き寄せるのだろう。

「Allentown」

僕たちは 

このアレンタウンという町で暮らしている

工場は次々に閉鎖されていく

ベルツヘルムではみんな暇を持て余し

仕事の申し込み書を書いて 長い列に並んでいる

僕たちの親父たちは第二次世界大戦を戦って

ジャージー・ショアで週末を過ごしていたらしい

そしてお袋たちと知り合いになり ダンスを申し込んで

優雅に踊っていたらしい

僕たちはこのアレンタウンという町で暮らしている

安らぎなんてないし ますますこの町は住み難くなっている

僕たちはアレンタウンで暮らしている

ペンシルバニアに逃げる手もあったけれど

先生たちはいつもこう言っていた

一生懸命働けば 立派にさえしていれば

必ず報われるとね

壁に貼った卒業証書も 結局何の役にも立たなかった

僕たちは要するに何が本当の事なのかということを

教えては貰えなかった

鉄にコークス そしてクロムニウム

地下にある石炭も残らず掘り尽くすと

連中は次々と逃げ出した

だけど 僕たちはまだ大丈夫さ

親父たちぐらいの根性はもっている

しかし 奴等が例の場所へ行く途中で

僕たちの顔をめがけて アメリカ国旗を投げつけたんだ

僕たちは このアレンタウンで暮らしている

善人をここに留めておくのは とても難しい

しかし 僕はここを出ていこうとは思わない

この町はますます住み難くなっている

だけど僕らはアレンタウンに住んでいる

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ふたつのことば

締め切りのある仕事ばかりしていると、

いい加減に耐性ができてしまい、

辻褄合わせだけはうまくなる。

若い頃、締め切りが近づくと、

胃がキリキリと痛んだ。

寝ていても、パッと目が醒めて、

突然、仕事のことが浮かぶ。

ああしよう、こうだろうかと、

思い倦ねる。

そんな日々が続いた。

しかし、耐性は割と早く形成され、

習慣とは凄いものだと思ったことがある。

その深層には、「なんとかなる」、

という確信めいたものが、

ぼんやりではあるがつくられている。

でなければ、そんな気持ちになれない。

なんとかなる…心境は、経験から掴んだ。

だから、いまでも何事もなんとかなると、

まず考える。

確かな根拠などなくても、

なんとかなると思っている。

そうして事にとりかかる。

これは仕事だけでなく、すべてのことがらが対象だ。

経済的に困窮しても、具合が悪くても、

なんとかなる、だ。

そのようにして、いままで切り抜けてきた。

しかし、このところ、

なんとかならない事象が増えた。

言い換えれば、どうにもならない事態が続いた。

肉親を亡くしたときも、

古い友人がいなくなったときも、

私は、気がつくとうつむいて

「しょうがない」とつぶやいていた。

これは、

不遜かつ非礼な言葉を吐いているなと反省もしたが、

他の失敗や取り返しのつかないことも、

しょうがないとしか考えなかった。

思うに、しょうがないとしか他に言いようがないのだ。

亡くなった人は、絶対に帰ってはこない。

取り返しのつかない失敗も、

ただ嘆くのではなく、

今後はなんとかなるようにしなければならない。

それだけのことだ。

そうは言っても、日々アレコレと思い返し、

あの時ああしてあげていればとか、こうすればとか、

ウジウジしている自分がいる。

がしかし、

今日もなんとかなると思って生きている。

すべて、なんとかなる。

物事は、そのようにして私に与えられている。

でなければ、私の努力が足りないのだ。

だから全力でなければならない。

誠実でなければ後悔する。

真剣でなければ虚構となる。

後はすべからく、

「しょうがない」ことばかりが残るのだ。

これは、日々生きているのだから、

どうしようもない。

しょうがないと思っている。

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一瞬で職業を推測してみたが…の巻

フレッシュネス・バーガーのテラスで、

タマネギとピクルスいっぱいのホットドッグに、

ケチャップをたっぷりかけて喰っていると、

どこからともなく、高級チャリにまたがったオヤジ二人が現れ、

アイスアイスと叫んでいる。

クソ暑い日の午後だったので、こっちもアイスコーヒーを飲んでいた。

二人は店員を煽るようにアイスコーヒーを頼み、

外のベンチへ足を投げ出し、

その冷えたコーヒーを一気に飲み干すと、

残った氷をガリガリやっている。

見たとこ、なんというか金はあるぜ、のオーラ。

そのうちの一人は、サイクリングウェアっていうんですか、アレ。

もう、ピッチピチのTシャツにお揃いのタイツ。

同性の私から見るに、余った腹の贅肉と股間が強調されていて、

なんだか悪いモノでも見たような気になる。

で、強面の耳に、金のピアスだ。

でったー!

で、もう一人のオヤジはグリーンのポロの襟を立て、

渋い白髪からあごひげまで繋がる、オシャレ度。

耳のピアスはなかったが、サングラスを下げる鎖が、

やたらキラキラ光る。

その日は火曜日だったので、

私は即、彼らの職業に関する推測を立てた。

この二人は、不動産関係者であると。

あのイカツい顔は間違いないなと。

しかし、あの抜かりないセンスに疑問を抱く。

うーん。

……………

あっ、分かった!

美容系のオーナーだ。

店は青山を核として、首都圏に3店舗持っています。

経営は順調です。

ああ、それからね、

先月、もう一店舗オープンしました…

そんな感じ。

イヤリング野郎は髪の毛のウェーブ度が、

半端なく整っている。

(やるな…)

もう一人のサングラス野郎のヒゲの手入れも、

抜かりない。

更にだ、

この二人に、毛染め疑惑が持ち上がった。

黒髪ではなく、だらしのない白髪でもない。

なんというか、

こっちも、数ヶ月前床屋に行ったときに初めて知ったのだが、

ロマンスグレー染めというのがあるらしい。

あれはカッコイイよ、人気あるよって、店のマスターが言ってたっけ。

ロマンスグレーのウェーブ?

間違いない、奴等は美容系だ!

チャリは暇つぶし、

仮の姿で、流行に乗ったオシャレスポーツに興じているのだ。

自宅のガレージには、

ベンツとかアストンマーチンでも寝かせているのだろう。

愛人の一人や二人いてもおかしくない怪しさと貫禄。

通りががりのサラリーマンが、彼らをじっと見ている。

ちょっい避け気味。

買い物にきましたらしき太っちょのおばさんが、

興味津々に二人を覗いている。

それを先ほどからじっと観察している「オレ」はというと、

貧乏な広告系。

ホットドッグが美味い。

奴等のようなオーナーに、仕事で煽られることも多い。

ジーパンの後ろのポケットに手をやると、

1,230円あった。たったそれだけ。

こっちは病み上がりで、気力で動いている。

パワーなし。

そう言えば、最近髪の毛が細くなっているような…

なんだか、侘びしい日であった。

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夢みがちな雑誌は、やはり面白い!

この夏、ちょっと体調を崩して床に伏してしまった。

が、少し調子が良くなると暇になる。

で、こんなとき、

日頃から気になっていた雑誌をゆったりと眺めるという、

絶好の機会を得られた。

まあ、重要な案件他、雑多な用を吹っ飛ばして寝ている訳だから、

こっちもいろいろ辛いが、とりあえず暇というのが嬉しかった。

「カーサ」「ビーパル」「ターンズ」「ウオモ」etc…

まずは「レオン」という雑誌をセレクトする。

初夏に出た号なので、メインはやはりこの夏のファッション。

ちなみに、このレオンという雑誌は、男性ファッション誌。

私も初めて買った雑誌だ。

表紙のジローラモが、ニカッと笑っている。

カッコつけのミラーサングラス。

うーん、オヤジ雑誌である。

目を引くコピーが、

究極! オヤジは「青」と「白」、との言い切り。

この号では、ジローラモが表紙だけでなく、

他の誌面でもかなり活躍している。

ちょい悪オヤジのジローラモという設定で、

こうした雑誌では重宝するタレントなのだろう。

例えば表紙では、

ブルーの背広に白いTシャツ姿で、

奴がシガーを咥えている。

タバコではない。シガーだ。

これからは、シガーなのだ。

カッコイイ!

で、ページをめくると、皆さん素足。

靴下なんかはかないのだ。

ここは石田君とおんなじ。

妙にサマになっている。

が、なんだろう、この現実感のなさ。

例えば、パリとかミラノの街中を歩く、

青と白ファッションのオトコたちのスナップがあるが、

うーん、どいつもこいつも、カッコ良すぎ。

ホントかよ?

で、青と白ってホントに流行っているんだ!

と思ってしまう。

が、こっちも曲者の一人だ。

ああそうですか、へぇーとはいかないのである。

この手の雑誌特有の、そこはかとない嘘くささ。

しかし、ふと気がついた。

これはなんというか、床に伏している身としては、

夢を見ているようで、心地良いなと…

それは、誌面で紹介されている時計でも証明された。

最低50万円は下らないみのばかりが、ズラリと並ぶ。

クルマも、カマロやベンツを始め、派手目のガイシャで攻めてくる。

もう、この辺りで、相当の現実感ゼロが嬉しくなってくる。

下着だって、パンツ1枚8,000円ですからね!

で、キメ技は、ミサンガだった。

こうしたファッションに包まれたオヤジは、

腕だか足だかに、ミサンガを付けているらしいのである。

夏だからかラテン気取りか、

はたまた悪ふざけ?

これは、正直どん引きしてしまったが…

この手の雑誌の重要ポイントは、

やはり現実感喪失プラス胡散臭さ、ですかね?

こんなオヤジが何処にいる!

世の中、芸能人ばかりじゃあるまいし、な!

が、これが「レオン」ならではの世界なのである。

現実を見ているだけじゃ、面白くもなんともない。

そんな人は、ネットでも見ていなさいと言わんばかり。

はい、レオンはあなたの無茶な夢を、誌面で叶えます!

どうも、そう囁いているようである。

主婦と生活社がつくるこのレオン、

その社名からは程遠い誌面づくりが特徴。

思うに、金も時間も体力もないオトコたちを、

いともたやすく現実逃避させてくれる、

夢のようなアイテムなのである。

これは寝込んだからこその、

新たな発見であった。

_SS500_

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風呂場の怪

風呂でシャンプーでもしようものなら、

まず数ある容器からシャンプーを探さねばならない。

そんなにあるのか? と聞かれそうなので、

そうです、いっぱいあります。

実際、私はよく分からない。

なぜ、風呂場にこんな沢山のケミカル製品があるのかが。

で、よくよく観察していると、

その容器は微妙に増えたり消えたりする。

あっ、あの花柄がない、おやっ、バラの新製品だ。

何かがなくなり、何かが増えたのだ。

こんなことはよくあるが、私には詳細は分からない。

日本語の製品はほぼないので、

正確にはなにが置いてあるのかも分からない。

石鹸、シャンプー、リンス。

まあその辺りは私でも知っているが、

コンディショナーとかフェィスマスクとか、メイク落としとか、

他にもいろいろあるらしいのである。

これは、奥さんと娘の仕業なので、

私はどうこう言わないが、

他に半身浴用という妙な椅子もあって、

コイツは飛騨産のひのきとみかげ石でできている。

重い。で、遠赤外線効果があるものらしい。

ふーん。

で、入浴剤も洒落たのになると英文で書かれていて、

あるとき適当にぶんまいたら、もの凄い泡が出て、

慌てたことがある。

ということで、風呂に入るときは、

あらかじめ自分がなにでカラダを洗い、

どれがシャンプーであるか、

それをしっかり確認してから入らないと、

なにもできなくなってしまう。

一度、娘の使っているシャンプーで顔を洗ってしまったことがある。

良い香り、がぬめぬめしている。そんな感じ。

またあるとき、ヘアコンディショナーというもので、

カラダを洗ったことがある。

まあ、それなりに清潔になったような気がする。

私は老眼なので、容器に書いてある字が、

ほぼ読めない。

読む気もない…

って、くやしい!

ウチの風呂は、いわば外国だ。

治外法権だ!

私の権力が及ばないところでもある。

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世界遺産のマウント富士が気になるなぁ。

去る6月、富士山が世界遺産に登録された。

これは皆さんもご存知の通り。

富士山は古来より神の山といわれ、崇められてきた。

全国に点在する浅間神社は、そもそもここが発祥なのだ。

ご神体は、富士の山そのもの。

古くから修験者の集まる山でもあったようだ。

日本の自然信仰を語る上で欠かせない、霊峰なのである。

江戸時代には、かの浮世絵師・葛飾北斎が、

富嶽三十六景に赤富士をはじめとする、

富士山コレクションを収めた。

この絵はやがて世界を巡り、マウント富士は日本のシンボルとなる。

続く広重も富士の山を多角的に描いている。

更に遡れば、古くは万葉集にも詠われている。

また、竹取物語にも富士山が登場するというから、

思えば、いろいろと凄い山なのだ。

しかし、富士山は言わずと知れた活火山。

いつ爆発してもおかしくないと言うのが、

いまでは定説になっている。

先日テレビを観ていたら、

富士山の山体崩壊についての解説をしていて、

思わず見入ってしまった。

私は神奈川在住なので、

万が一富士山が噴火すれば、かなり被害を受けると予想される。

思えば2年前の夏、富士の麓の湖でキャンプを楽しみ、

朝方には、おめでたいとされる赤富士の写真を収めたというのに、

なんか不吉。

最悪の場合は、富士山全体が崩れ落ち、

あの美しい姿もなくなってしまう程、様相が変わってしまうと言う。

ええっ、世界遺産だぜ!

どのタイミングで世界遺産が山体崩壊なんだ。

人気が高まる一方で危機が迫っているとは、なんとも皮肉だ。

私の回りでも富士登山経験者やこれから行くぜ、

という人が増えている。

今年の登山者は、去年の1.5倍とも言われている。

が、私はこの時期は、正直怖いなぁ。

富士山の最後の噴火は、江戸時代の宝永大噴火だが、

このときの噴煙は成層圏にまで達し、

江戸の町にも数センチの火山灰が降り積もったという。

震災以降、本当に地球は動いている、生きているんだ、

ということを実感させられる。

その上でシコシコ、いや偉そうに暮らしている私たちだが、

その実、人間なんてとても小さな存在なんだなぁと思い知らされる。

安全・安心などという保証など何処にもないことも分かってきたし…

未来予想に神がかりな話。ガスマスクと倒れない家。

最低限の食料と水と、あと、

未来って、本当にあるのかなぁという不安。

だから、これ以上のリスクは勘弁して欲しいのに、

人間が起こす戦争・紛争の類いは一向に減っていない。

冷静に考えると、これは馬鹿げている話なのだが、

今後、地球のどこかで戦争でも始める奴がいたら、

俺たち人間は、本当の馬鹿なのだ!

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東京脱出計画

かつて、那須に土地を買ったことがある。

お金を貯めて、その土地にログハウスを建てる。

畑を耕し、裏の那珂川で魚を釣り、その日暮らしをする。

そんなことを考えていた、と思う。

那須の土地を見にいった日は、今日のように暑い日だった。

那須インターを降り、めざす販売地に着いても、やはり暑かった。

その土地は山奥で、付近一帯だけが整地されていた。

まわりは、うっそうとしている。

雑木林が、明るい陽を遮っている。

が、暑い。東京より気温は低いらしいが、湿度が高い。

むっとする、重い空気だった。

「なんだかここ、暑いですね?」

私が、立ち会いに来た不動産屋のおっさんに話しかけた。

「そうですか、私は別にそんな暑くないですね。

ここは高原ですので、かなり涼しい筈なんですがね…

あっ、でも今日は異常ですね、○○さん。悪いときに来ちゃいましたね」

「……ふーん、そうですか……」

敷地は、長方形で地形は良かった。道路は4㍍程だが、

こんなもんだろうと思った。

奥さんが「この辺は買い物はどこへ行くのですか?」

と切り出した。

不動産屋のおっさんが汗を拭き始めている。

で突然ニカッと笑って、先ほど私たちが来た方を指さす。

「いま来た道を15分程戻った所に、スーパーがありますよ。

気がつきませんでした?」

私たちは顔を見合わせ、知らないという顔になった。

後から思えばだが、このおっさんは焦っていた。

店の看板が小さかったから見過ごしたとか、

店が道路から奥まっているとか、いろいろ言い訳をしていた。

断然怪しいおっさんなのだが、

当時の私には、不動産を見る目が養われていなかった。

加えて、自然がいっぱいのところで暮らすことが最良と考えていた私は、

早く引っ越す土地を確保する気持ちばかりが先走っていた。

来る日も来る日も、スケジュールに追われ、

徹夜など当たり前なのに報われない…

そんな東京での生活に早くピリオドを打とうと、

私は私なりに必死の土地探しだった。

しばらく愛想を振りまいて、

へらへらの白いシャツを着た不動産屋が先に帰った。

ボロのカローラが印象的だった。

私たちはやることもなく、またじっとその土地を見ていても、

なにも新しい発見もないので、

裏の小さな川をみつけ、橋から下を眺めていた。

長男が、橋の下で休んでいるアオダイショウをみつけた。

おおっとみんなで叫ぶと、今度は石を投げた。

私が、まだ幼かった長男と、そのアオダイショウに、

必死で石をぶつけていた。

アオダイショウは逃げたが、

後でなんであんなことをしたのか振り返ったが分からない。

アオダイショウが、

私たちより先にあの川にいたことだけは、確かだった。

田舎で暮らすこととは、こうしたことが考え所と、

私は思ったものだ。

そして、私はあそこにログハウスを建て、

どのようにして生計を立てようとしていたのか、

そこが全く抜けていることを薄々知っていたのに、

全く考えないでいた。

なんとかなるとも、ならないとも検討しない。

そんな精神状態は、東京から逃げる、という言葉がふさわしかった。

それほど疲れていたのだろう。

奥さんは、この計画が実行されることはないと踏んでいた。

後に聞いたが、私が余りに疲れていたので、

計画に口を挟む余地がなかったと言った。

しかし、この土地を買ってから、

私に変化が起こった。

いつでも逃げられる態勢だけは整えたので、

なにかゆとりのようなものが芽生え、

それが私を楽にしてくれたのだ。

そのうち、この土地を持っているという気も薄れ、

再び仕事に没頭するようになった。

が、他の要因で限界が来た。

結局この土地は6年後ぐらいに手放したが、

その頃、すでに私は東京を脱出し、神奈川の実家へ逃げていた。

というと格好良いが、ここは複雑な事情が絡んでいたので、

めざす所ではなかったが…

いま、那須ほどではないが、

やはり田舎暮らしに変わりはない。

東京の便利さは確かに身に染みるが、

まあ、田舎はのんびりしていて、

このほうが自分の性に合っているようだ。

ネットのインフラもここまでくれば、

仕事に支障もない。

こうなると、結果的に東京脱出は成功したことになる。

が、正確に記すと、

私は東京を追い出されたと表現したほうが嘘がなく、

我ながらしっくりくるから、きっとそれが本当なのだろう。

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旅する詩人、ムスタキのこと

我ながら思春期の頃の夢はませていて、

吟遊詩人になりたいと、

人に話したことがある。

きっかけは、ジョルジュ・ムスタキだった。

それは、この人をテレビで観たときからだ。

彼はいつも、

世界のどこかの街角で詩を書いていた。

キリストのような白い服を着ている。

手づくりの詩集が少し売れる。

それで暮らす。

決して沢山は売れない。

それがみじめだとか、

働かないとか、

そんな風には全く見えず、

私は、彼がまさしく

「自由に生きている」と感じたからだ。

ムスタキはヒッピーではない。

物乞いでもない。

風の詩人だ。

だがしかし、

実は本当のムスタキは、

著名なシンガーソングライターだった。

ユダヤ系フランス人で、

「異国の人」という歌でヒットを飛ばしていた。

当時、私がなにも知らなかっただけだ。

異国の人とは格好良い語感だが、

意味合いはよそ者とか、ガイジン。

そんなニュアンスだ。

この歌は、

世間の規律からはみ出した人やロマン主義者、

祖国を亡くした人々、無国籍者、

はたまた無銭旅行者たちを魅了した。

が、彼のこの歌への想いは、

ホントのところ、恋の告白だったらしい。

こうした勘違いって、いいなぁと思う。

詩には、ときに全く異なる解釈がつきまとう。

彼は「ヒロシマ」という歌もつくっている。

また、阪神大震災のときはいち早く日本へ来て、

チャリティーコンサートを開き、

集まった義援金を被災地の兵庫県に贈ったりもしている。

ウィキペディアによると、

彼は、日本人のことをこう評している。

―ヒロシマの敗者が、伝統と精神性を放棄している。

厳格さ、馬鹿丁寧にぺこぺこする、常に自制心を失わない、

能率のよさ、何が何でも時間を厳守する、

これらに対しては何の魅力も感じない

(略~しかし)

冷静な微笑の裏には本物の親切がある…と。

最後のことばが気にかかる。

ここにムスタキの気持ちが集約されている。

彼は日本を愛していたのだと、私は理解したい。

今年の5月、ムスタキは78才の生涯を閉じた。

勝手な勘違いとはいえ、

彼は、多感な時期の私をトリコにした。

中学生のとき、友人の家にみんなが集まり、

ストーブを囲み、

将来について語り合ったことがある。

誰かが社長になりたいと言った。

建築家になると語った友人もいた。

そして、

私はそのとき、吟遊詩人になりたいと…

当然、場がしらけて私は笑われた。

あれからいくつも時代は過ぎたが、

やはりいまでも、

吟遊詩人はいいなと思うことがある。

これって、

ムスタキさんの影響と思うのですが…

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