1974/モラトリアム(ショートストーリー)

この先、

一体、自分はこのままでいいのか?

20歳になろうとする悟は、

最近、自問自答するようになった。

冷凍食品の配送が、いまの悟の仕事だが、

ルートセールスは毎日同じ客筋を延々と繰り返して廻り、

カチカチに凍ったコロッケとか海老の箱詰めを、

肉屋やスーパーへ届けている。

しかし、

高校を卒業して最初に就いたバーテンダーよりマシだと、

悟は思っていた。

酔っ払いの相手はいい加減に馬鹿臭いと思ったからだ。

昼夜逆転の生活も、悟に暗い将来の暗示と映った。

途中、関東一円に荷を運ぶトラックの運転手もやってみたが、

夏の暑い日に、延々と田園が続くアスファルトの道を走っていると、

このまま海へ続けばいいなと、よく思った。

この仕事も日雇いと同じで、日給月給だった。

人生で初の正社員として採用してくれたのが、

いま働いている冷凍食品の会社だったが、

悟の自問自答は、日増しに膨れあがり、

避けて通れない難問となって立ちはだかる。

思えば、この問題は、高校時代まで遡るとことに気がついた。

悟の選んだ高校は私学で、

入学して分かったことだが、

すべてにスパルタが徹底していて、

何事に於いても、個人の自由は削がれていた。

そうした情報を知る術を、

当時の悟には知る由もなかった。

校内では、竹刀を手にした体育会系の人間がうろつき、

ちょっと気に入らない態度の生徒を、

規律を乱すとの理由で容赦なく叩いていた。

悟は、高校に息苦しさを覚え、

2度ほど辞めようと思ったが、

もう少し続けてみようと思ったのは、

担任の先生との関係だった。

その先生が何度も悟を説得してくれたのだった。

「悟、もう少し頑張ってみようよ」

悟は退学届けは出さず、

無断で高校を何日も休んだ。

その行為はいろいろと問題とされたが、

担任の先生の計らいで、難を切り抜けた。

その私学は大学の付属校だったが、

悟はその大学へも、勝手に失望してしまった。

学校へ行かない日は、

地元の配管工をしている友人の家で、

寝泊まりを繰り返した。

昼間はその遊び仲間のアパートで過ごし、

よくフォークソングを聴いた。

みんながいいという井上陽水をどうしても好きになれなくて、

悟は、吉田拓郎ばかりを聴いていた。

「人間なんて」という歌がステレオから流れると、

悟は心底その歌詞に共感した。

誰もいない日は、

そのLPレコードの「人間なんて」の部分を、

何度も繰り返して聴いた。

結局、高校はなんとか卒業したものの、

トコロテン式に上がれるその大学への進学は、

早々に辞退していた。

悟以外は、クラスの全員が、その大学へ進学した。

他の大学をめざしたクラスメイトも、

学校の内申書の意図的な操作で、

結局その大学へ行くしかなかったと、

後に噂で聞いた。

こうして、

高校時代から悟の軸は少しづつズレが生じ、

荒れた生活へと傾いた。

そして、

地元の遊び仲間たちとの行動が、

いろいろな歪みを生んだ。

警察の世話になるようなことも、

一度や二度では済まなくなっていた。

自問自答の原因は、

こうしたズレの集積であることに、

悟自身はようやく辿り着く。

悟は考えた末、

冷凍食品の会社に辞表を出した。

突然の辞表に驚いた所長は、

「お前は一体何を考えているのか?」と問われた。

「いまはまだ分かりません」

悟は中学校時代に親しくしていた友人を、

久しぶりに訪ねた。

しばらく会っていなかった友人は、

大学の法学部で、

法律の勉強に勤しんでいると話してくれた。

悟は思い詰めたように、

或る想いをその友人に話した。

「俺さ、なんだか分からないけど、

いまの自分が自分でないようで、

いたたまれないんだよね。

本当は、何かをつくりたい。

たとえば、新聞とか雑誌とか…

そういうものに携わりたいんだ。

才能とかって自分でもよくわかんないけど、

ただやりたいなって…」

「………」

「いや、いまの俺に必要なのは、

時間なのかも知れない。

要するに、

もう一度、やり直したいだけなんだ」

友人はためらった後、

そうした仕事に就くには、

まず学歴もないとな、とも話してくれた。

悟の最も嫌いな学歴という経歴が、

やはり現実の世界では、依然幅を利かせていた。

そして友人はモラトリアムという言葉の意味を、

悟に教えた。

大学の願書も偏差値も赤本も、

そして中学からの勉強のやり直しが最も有効だということも、

その友人が教えてくれた。

秋の気配が広がる頃、

悟は家に籠もって勉強を開始した。

両親は悟の行動を訝しがったが、

特に触れることもせず、

生活費をよこせとだけ、小言を繰り返した。

試験は翌年の2月14日。

友人もときどき徹夜で応援してくれた。

正月の元旦を除いて、

悟は受験勉強に集中した。

1974年の春、

とりあえず悟は自らの人生を再起動させた。

クルマの借金返済と生活費に学費か…

先に何が待っているかはよく分からないが、

悟は、なにより執行猶予期間を手に入れた。

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フリー入門

広告関係に関してだが、

フリーになる人、またなりたい人というのは、

どんな方々なのか?

私もフリーを経験したひとりだ。

幾つかの会社を渡り歩き、

まず友人と会社を始めたが、

あえなく空中分解。

で、もう会社には戻りたくないので、

フリーになった訳。

そもそもクリエーターというのは、

ほぼみんなワガママなので、

組織づくりが難しいともいわれている。

よってムカシも現在もフリーは多い。

フリーは、

何はともあれ一国一城の主であるので、

文字通り自由である。

しかし、同時に責任もすべて本人に帰結する。

ここを覚悟する必要がある。

そして生活していけるか否か、

ここが大問題である訳だ。

経済的結果は誰のせいでもない。

すべて自分のやり方次第で決まる。

これを面白いと感じるか否か?

フリーに向いている人は、

この辺りがポイントだろう。

フリーはなにより、

経済的にも社会的にも不安定である。

これをどう捉えるかが、

大きな分岐点なのである。

また、

自分の仕事は自分で完結したい、

会社に属してチマチマとした人間関係のなかで、

特につまらない上司の下らない命令に従うのはご免、

自分のスキルで勝負したい…

幾つかのハードルを飛び越え、

こうした自我の強い人間が辿り着くのが、

フリーという社会的立場なのだろう。

しかし、フリーでも、

片手間でやっている人、

例えば同居人等が生活費を稼いでくれるとか、

前もって収入のメドをつけて独立するのは、

フリーとして、結構ラクではある。

そこに経済的不安定さがなければ…

恐いのは、

たいしてお客さんのメドもないまま、

エイッと独立する人間が、

実際にいるということである。

これは無謀と言わざるを得ない。

私自身が経験済なので、

身をもって分かっている。

かなりの地獄をみさせてもらった 笑

そしてその記念に、

相当の借金をさせてもらった。

また、

一部、サラリーマンみたいなフリーを、

私は数人知っているが、

あれはなんというか、

面白くもなんともない。

○○株式会社専属みたいな。

社外社員のようなもので、

単なる受注したものをこなすのみとなると、

技術的にみても、たいした向上も見込めない。

こうしたルーティンワークは、

フリーのクリエーターにとっては、

安定という甘い条件と引き換えに、

なにかとんでもないものを失ってしまうからである。

フリーは、なにしろ旅人のように構えるのがよろしいと、

最近になって思うようになった。

しかし、フリーというネーミングとは裏腹に、

フリーはフリーではなく、

忙しくなれば、ほぼ休みがない。

だから、長期の旅行となると、

予定も予約も取りづらく、

なかなか難しいのである。

そして皆が、

旅先に仕事を持って行く、

というあたりがが面白い。

良い意味で、

仕事と私生活を公私混同できない人間は、

フリーになれない。

表現を変えるなら、

フリーは毎日が休みであり、

24時間片時も仕事を忘れない、

そんな感じだ。

フリーとは名ばかりで、

自由とは程遠い責任と不安を抱え、

生活を確立しなければならないのもまた、

フリーなのである。

以上がフリーの醍醐味?なのだが、

冷静に考えるに、

フリーに良い点がないようにも思える。

思えば、フリーとは、

生き方として、経済的冒険者、

なのかも知れない。

組織名、肩書きは不要。

しかし、スキルを積めば、

実績を積めばなんとかなる、

かも知れない。

なにもない草原、

行き先の分からない地図に、

新しい道をつくるのが、

フリーの生き方のようにも思えるし…

精神的、経済的に幾つもの関門をクリアし、

なおかつ自分らしさを貫くことはかなり難しい。

しかし、フリーとして一人前になった者のみに、

神さまは微笑んでくれるように思う。

まあ、仕事だからいろいろしがらみはあるが、

それでも紐付きの自由を手に入れることができる訳ではある。

アーティストはもっと自由ではあるが、

そこには更に恐ろしい何かが待ち構えていると聞いている。

そこそこの自由こそフリーの特権。

この辺りは、鼓舞すべき要と思う。

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空をあげよう

この絵の真ん中に

一本道があるだろ

その遙か先に

実は

薄く水色にのびる地平線があってね

その上に大きく広がっているのが

僕の空なんだ

想像してくれないか

だって僕には描けないから

空って

泣いて笑って

怒ったりね

ホント忙しい

あの丘から

いつも空を眺めていると

ああ

僕の心と同じだって

空は気まぐれで

面倒だ

ときに心変わりだってする

でも

空ってね

おひさまも

おつきさまも

星もあるだろ

どんな人だって輝くものを

きっと幾つももっていて

それと同じなんだと

そして空はね

宇宙へと続く

僕には到底描けないけれど

そんな僕の空を

受け取ってくれないか

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テネシーワルツ

最近、テネシーワルツをよく聴きます。

なんというか、じんとくる。

私の幼い頃、

江利チエミさんがよく歌っていたのを記憶していますが、

あの頃はなんとも思わなかった。

ただ、のんびりした曲だなぁと。

柳ジョージさんが亡くなられ、

彼のテネシーワルツを聴いたのがきっかけですが、

パティ・ペイジが歌うのを聴いて、

更に感動。

その意味が知りたくなりました。

テネシーワルツの歌詞を、ざっと書いてみます。

私の愛する彼と、テネシーワルツを踊っていたのよ。

そこで古い友人とバッタリと会い、彼にその友人を紹介した。

彼がその友人と踊ることになり、

そして友人は彼を、私から奪っていったの。

あの夜の出来事とテネシーワルツの調べを、

私はいまでも決して忘れない。

私の失ったものが如何に大きかったか、

いまになって、痛みと共に心に沁みるわ。

そうなの、私はあの夜、とても大切な彼を失った。

二人が、

テネシーワルツの素敵なメロディーに合わせて踊っていた、

あの夜にね。

歌詞を知るに至り、

結構ヘビーな内容なんだなと…

が、よくよく思うに、そんな男って

同性からみても怪しいと言わざるを得ない訳で、

「彼」を想い続ける主人公の純情さに、

更に悲しみが増す、という具合。

この曲の良さって、

メロディーの美しさに加え、

やはり歌詞の意味を知るほどに、

改めて更に深く好きになります。

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幻想キャンプ

アコースティックな弦の音が

朝もやの霧に乗って

山あいの湖畔にひろがり

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僕は心底から深呼吸をし

椅子に座りながら

目の前に寄せるさざ波を

ずっとみつめていた

前夜は満月

木々の間からこぼれるように

覗き込むような光りを放ち

僕らの話に聞き入っていたようだが

その中身のなさに

呆れただろうか

そんな時間が珠玉で

晩夏の水を撫でる風は

テーブルあたりの熱気を程よく冷やしてくれた

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その夜は簡易ベッドにもかかわらず

とてもよく眠れたのだ

あんな悲劇から半年余り

何をできるものでなく

何をしたら良いのかもみえないまま

不安な日々が続き

耐えられない話をいくつも聞き

こたえもみつからず

先の見えないまま

それでも日々は続いていた

そこそこ日常を取り戻しても

時折ヒリヒリとする何かが

僕を周りを取り巻いていて

それは耐えられない毎日だったように思う

対岸の霧が

やがて一塊の雲のように

ふわっと流れてゆく

視界はすっと遠くまで見渡せるようになり

腹に光を受けた山体は

赤々と輝いて

大きな空のもと

堂々と浮かび上がるのだった

DSC_1027

根気

コツコツと…

それが生きてゆくということ

勇気

これからの時代に欠かせない

これまで以上に必要なこと

希望

生きてゆく糧であることに

改めて気づかされる

DSC_1055

湖畔にはもう

アコースティックな弦の音は

消えていた

僕は

ありきたりなことばのフレーズを

今更ながらかみしめた

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一枚の絵

遠くにポカンと浮かぶ雲を

思いつきでふたつほど描き

手前の海岸線に人影をひとり

白い砂浜が広がり

その向こうの青い海を描くため

水平線をペンで引く

空もやはり青がいい

青い海と空

水平線を境に

上と下の絵ノ具の色に迷い

どこまでも似た色のような気がしたので

同じ色を選んで筆を運ぶと

海は主張し空も主張するので

僕は次第に水平線をあきらめて

思うがままに描く

できあがった絵は

人影に雲がふたつポカンと

後は一面の青い世界に仕上がった

遠近法も何もない描き方だったので

不思議な青い絵ができあがっただけで

一見とても下手なつまらない絵だった

思えば

僕は海も空も大好きなモチーフなので

どちらも同等に考え

想い

同じ素敵なカラーを選んだに過ぎない

海も空も

僕のなかでは同じように青く

それは命のように尊い青だった

そこに嘘はなく

人影は僕で

雲は過ぎ去った僕の想い出

そう言いたかっただけなのだ

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断酒とチョコレート

アルコール類をやめて、なんだかんだ10年以上になる。

最近は、なめる程度だが、

再びアルコールに興味をもつようになった。

不思議なのは、舌が酒の味を覚えているということ。

顕著なのは日本酒で、ひとくちで「あぁ、この味ね」と、

飲んでいた頃のことまで思い出せる。

アルコールをやめた訳は面倒なので割愛するが、

アル中になったとか飲酒運転で捕まったとか、

そんな物騒な理由ではない。

以来、飲み屋へでかけることも激減し、

ヤバイ場所へも行かなくなった。

付き合い程度だけとなったが、

そうした席でも、ノンアルコールの飲み物しか飲めなくなってしまった。

相手に飲めない、というとまず返ってくる言葉が

「ウソだろ!」だ。

が、本当に飲めない、飲みたくないのだから、

仕方がない。

酒は飲んでいないとメッキリ弱くなるものらしい。

一時は蔵元まで酒を買いに行ったりしていたのだから、

いま思えば不思議だ。

で、アルコールをやめると、

なぜか甘いものに手を出すようになる。

若い頃から甘いものは一切口にしなかった質なのだが、

アイスクリーム、チョコレート、ケーキなど、

節操なく食すようになった。

甘いものは、よく健康を害すと言われている。

そしてよく太る。

これは間違いない。

いまだチョコレートが切らせない私は、

太るだけでなく、

いい年をして、虫歯の治療に通うようになった。

結果、現在の私は、

チョコにやたら詳しい人間である。

当初は森永とか明治、ロッテの安いものばかり摂取していたが、

あるときから、これらのチョコはカカオの含有量が少ないことが、

カラダで分かるようになった。

同時に香料とか混ぜ物が気になってきた。

こうなると、高級品に手を出すようになる。

先のメーカーの上級品、ロイズ、ハワイ産、

スイスのチョコレート、

果てはベルギーのものまで取り寄せ、

いろいろ食い散らかしてみた。

結局、現在では味も価格的にもほどほどのものだが、

そろそろやめようと思っている。

酒代は浮いたが、チョコの代償は高く付く。

歯医者の治療費、

そして、痩せなきゃという強迫観念。

が、おいしいので、やめられない止まらない!

脳が疲れると、どうしても甘いものを欲す。

冷蔵庫を開け、摂取してしまうのだ。

血糖値も急に上がるので、健康上も良くない。

ターミネーターは強くそして再び蘇るが、

私は現在、チョコレーターである。

チョコレーターは、不健康に太るだけである。

蘇りはしないし。

そこで全然甘くないチョコに挑戦したが、

これがまずいんだなぁ。

ほとほと参った。

いま、再びアルコールに戻ろうか、

真剣に検討している最中である。

チョコレーターを続ける代償が、

余りに重いんでね。

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飯リテラシーを上げろ!

いきなりリテラシーなんていうと、

IT系とか情報に関するアレコレを思い浮かべるが、

ちょっと趣が違う。

飯である。

リテラシーという語は、

最近になって頻繁に使われてる。

元々は識字とかそんな意味だったようだが、

ジャパニーズイングリッシュにより、

「何らかの表現されたものを適切に理解・解釈・分析・記述し、改めて表現する」

という意味に使われている言葉である。(ウィキペディアより)

で、飯をつくるというテクニックも、

リテラシーという括りで捉えてみた。

この飯をなんとかするリテラシーが、

かなり低い私に、

先日、奥さんがこんなことを言った。

「私に何かあったら、

あなた食べるもの、何かつくれる?」

「ううん、駄目かな…」

「でしょ!、

少しつくる習慣をつけた方がいいわよ」

納得!

思えば、最近の自分は何もつくれない。

ウチの息子は、スパゲッティーくらい茹でている。

いや、中華鍋を振っている、という噂もある。

私はというと、即席ラーメンはつくれるが、

スパゲティの茹で方はおぼつかない。

茹で時間とか量がよく分からないのだ。

こんな私でも、

料理人をめざしていた時期があった。

小さな店の厨房に入り、

材料の買い出しから仕込み、

簡単な調理などもこなし、

店を仕切っていた時期もあったのだ。

思い出したが、

あの頃は魚も三枚に卸せたし、

イカもキレイにこわせたのだが…

そういえば、

私は調理師の免許を持っていたのた。

あれから、ん十年、
(きみまろ風に)

私の飯リテラシーは極度に衰えていた。

つい数年前まではやたらに早起きだったので、

せっせと凝った味噌汁ばかりつくっていた時期もあったが、

現在はなんというか、

起きてダランとしているだけ。

キャンプなどへ行っても、

私のアウトドア仲間は調理意欲が極度に低いので、

行きがけのコンビニで、

おにぎりやフライドチキンなどを買い込んで済ましてしまう。

しかし、焚き火とか火起こしリテラシーは高いのだがね。

思えば、料理はクリエィティブな作業である。

冷蔵庫をおもむろに開け、

すばやく目配りをして素材をチェックし、

瞬時にメニューを考える、という早業が要求されるのだ。

私はそもそも冷蔵庫とかに興味がないので、

あまり開けない。

用があって開けることはあるが、

何が入っていたのか、ほぼ覚えていない。

冷凍庫に至っては、

冷気の中に固まっているものに、

そもそも興味も出ない。

よってどこに何があるのか、

まずそのことがよく分からないのだ。

アタマに叩き込んであるのは、

床下収納庫に即席ラーメンとカップラーメンがあるということ。

あとは、ストッカーにレトルトカレーが時たまある。

必要時のみこれらを眺める訳。

しかし、いまどきの男たるもの、

これではイケナイ。

己に強い反省を促してる次第。

できれば、タケノコの酢味噌和えとか、

海の幸の三杯酢のひたしとか、

パルマ産ハムと本場フランスから取り寄せたトリュフをあしらったサラダとか、

手づくりの地中海ヨーグルトをまぶした国産第5等級の仔牛ステーキ、

こんな料理づくりをめざしたい。

切磋琢磨、精進しよう。

そのため、

まずは白米を炊くことからと思いついたが、

炊飯器の使い方さえ分からない己に、

改めて気づいた次第。

我ながら唖然とするね。

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メディアななめ切り

●ケミカルの方が危ないぞ!

あなたのまわりにはバイ菌がいっぱい、

などと脅かすテレビコマーシャルに、

最近は憤慨している。

薄汚いぞと言わんばかりのイラストなどで、

風呂もまな板もバイ菌だらけですよ、

清潔にしましょう、

コレを買いましょうなどと。

これではもはや宣伝ではなく、恐喝である。

そもそも卑怯。

同じような仕事をしている人間として、

ホント、許せないな!

●元時代の寵児

ワタミの元社長とか日本マクドナルドの元社長とかって、

一時は時代の寵児のように扱われていたよね。

私は、この方達、

かねがね怪しいと思っていたが、

やはり露呈しました。

どちらも売上げがガタ落ちどころではなく、

かなりの危険水域だという。

企業そのものがブラックとか、

そんなことの信憑性を私が知る由もないが、

直感として、

私はこういう奴等がキライでなので。

●確立に関する感覚

大地震のくる確立というのが発表され、

私はいま、その捉え方に戸惑っている。

関東地方、特に南関東においては、

この先30年以内に30㌫以上の確立で来る、

ということなんですが、

この数字ってどう体感したら良いのか、

それがまるで分からない訳。

30年後に私はとうに死んでいるだろうし、

その確立のほうが遙かに高いので、

安心?!

若い人に、この数字に対する感想をぜひ聞いてみたい。

●バカな太郎

三太郎っていうんですか?

桃太郎、浦島太郎、金太郎が出てきて、

皆揃ってみんなバカっぽく話しているCM。

いまどきの若者を演じているのだろうか?

先日、話している内容をよくよく聞いてみたが、

やはりバカだった。

若者よ、こうした人を小馬鹿にしたようなものって、

しっかり怒ったほうがいいよ!

がしかし、

CM好感度が高いというデータを見て唖然とした。

時代の肝っていうんですか、

私もそれが掴めなくなったので、

そろそろ、この仕事辞めようかなって思いましたね。

●ヒロミ郷の若さ

郷ひろみってほぼ私と同じ年なのだが、

さすが芸能人っていうか、

若いし、腹も出ていないしね、動きも機敏。

アレはアレでヒロミ、大変だろうなぁ…

毎日、半端なく鍛えているだろうし、

食事制限とかも相当ストイックにやらないと、

あんな若さと体力を保つことはできない。

が、テレビを観ていて思ったのだが、

この人の立ち位置って、

いまでも果たしてカッコイイのかってこと。

なんだか、司会の人もまわりも笑っているし、

本人もその辺りを分かっているフシがあるなぁ。

スター錦野の前例もあることだし、

早く70歳のヒロミ郷を見てみたい!

この話を扱ったのは、

実は己の老化が発端なんだけどね!

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人生という名の契約

フリーとか自営業者、

中小の会社経営者というのは、

長患いをしてはいけない。

なぜなら、早々に喰っていけなくなるからである。

資産を蓄えている、

多額の保険に入っている人は別であるが…

永年、病欠をしたことがないのが自慢であった。

それが2年前に患い、あえなくダウン。

経済的には、なんとか乗り切ったが、

短期間ではあるが、

生活をしていく上での不具合を少々体験した。

特に車椅子に乗って分かったのは、

この国は道路や建物は弱者にはやさしくはない、

ということ。

なにより健康なのが一番だが、

個人的な感想としては複雑で、

多様な人の位置を知る上で、

学ばせてもらったというほうが正しい。

更に本音を言えば、傲慢だった己の反省だ。

そして、その件から遡ること数年、

身内や友人を送り出した頃から、

改めて死という、

その不可思議を深く考えるに至った。

幾ら想いを巡らしても、

この得体の知れないぼんやりとしたものへの不安は、

そもそも幼い頃から取り憑いていた。

最も、20代は仕事や恋愛にもがいていたので、

生きてゆく辛さが身に堪える時期ではあった。

ここで一端、死への不安から解放されるが、

換わりに、生きてゆく或る違和感、

というものを知ることとなる。

それは感覚というか、

価値観のようでもあり、

突き詰めるほどに未だに分からないのだが、

人とズレているという実感。

群衆のなかの孤独、

たった独りという意識の芽生え、

こういうものに気づいたのも、この頃だ。

やがて世間並みに家族というものができ、

孤独感から解放されたのは良いが、

子供が育ってゆく様をみて、

なにがしかの重圧が、

どっと躰を覆っていたのも事実だ。

それは単純に金があれば解決するというものでもなく、

しかし金がなければおぼつかないのは確かで、

馬車馬のように働くのだが、

むなしさなどというものを感じているほど、

暇ではなかった。

そして、

人生も後半にさしかかる頃に、

ひと息ついていたら患った。

いや、自ら求めて患った、

という表現が正しいのかも知れないと、

最近になって思うようになった。

それは、死への不安が、

再び頭をもたげたからに違いない。

かように、生きるとは疲れる。

気がつくと、

行く先には「死」がぱっくりと口を広げ、

にやにやと舌舐めづりしているではないか。

ああ、また死という不可思議である。

やはり、幾ら想いを巡らしても、

この得体の知れないぼんやりとしたものへの不安は、

全く拭えないことを理解する。

そこで、

或る日、私は意図的に

夢をみることにした。

その夢は、

私がこの世に飛び出すとき、

或る契約書を差し出され、

それに夢中でサインをした、という代物。

そのとき、契約書を差し出したのがまた、

摩訶不思議な相手であった。

あの閻魔大王によく似ていたのだから…

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