さおだけ屋さんの正体

最近、また、さおだけ屋さんの声を聞くようになったが、

なんだろう、

あの人たちの仕事にも流行廃りがあるのだろうか?

立て続けに

「20年前のお値段でご奉仕しております」のアナウンスを流すクルマが、

家の前をよく通り過ぎる。

ふーむ。

ウチの奥さんがそれを聞いて、20年前も同じ事を言っていた、と言う。

となると、さおだけの値段はざっと40年前とほぼ同じことになる。

なんだかうさん臭いな!

そもそも私は、さおだけの適正な価格なるものを知らないので、

一本? 一竿300円位のような気もするし、

3,000円でも納得できる気がするのだが、

誰~も買っていないような気がする。

いや、買っている人はいるのかも知れないが、

さおだけ屋さんにしてみれば、

人件費はかかるしガソリン代もバカにならないし、

どうしても割に合わないなぁなどと私は思うのだ。

以前「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」という本を買って読んだことがあるが、

そのつぶれない理由を、私はとうのムカシに忘れている。

確か、税理士さんか会計士さんが書いた本で、

答えはたいして面白くなかった記憶はある。

だからたいして覚えていないのだ。

推測するに、きっとこんな答えだったと思う。

安いさおだけをアナウンスしておいて、徐々に高いさおだけをすすめる。

こうした売り方をしていれば商売になる。

だから潰れない。

そんなような事が書かれていたような…

しかしである。

私の直感として、まるで他の理由が浮かんだ訳だ。

それは、まず

さおだけ屋は実はGoogle社員説。

Googleは現在、より詳細な地図づくりに取り組んでいるのだ。

これは将来有望なビックデータになるので、

膨大な利益を生む訳である。

いまは、そのための先行投資であり、

Googleは、密かにさおだけ屋として日本中を走り回っている、

というもの。

まるで説得力がないな~。

次は、さおだけや公務員説。

公務員、特に税務署関係が住宅地をうろうろしていると、どうもうまくない。

そこで、特定の家庭事情の調査のためにさおだけ屋を装い、

ターゲットの生活の様子から、脱税等の調査をしている、というもの。

どうだろうか?

イマイチ?

で、私の妄想は警察犯罪調査説、私立探偵説、スパイ説など、

延々と続くのだが、

どれもこれもどうもスッキリせず、疲れ果てた。

まあ、仕事も山積しているし、手が付かないのも困るので、

そろそろヤメにしようかと思っている訳。

先日も隣町の○○ですと訪ねてきた人が、

実は宗教の勧誘だったのを思うに付け、

もうなんでもアリだなと、私の耐性もできつつあるので、

実はさおだけ屋の正体なんぞ、

ホントはなんだって構わない訳ではあるが、

さおだけ屋さんの事を、

こうしてツラツラと書いている自分がいる。

難問。

答えのない問題。

出口の見えないトンネル。

そんな訳で、さおだけ屋さんの問題は、

かなり私を疲弊させる。

ああ、ホント、眠れませんよ!

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対岸

小学校3年のとき、

両親に、初めて山下公園に連れて行ってもらった。

僕がいつも丘の上から見ていたところ。

それが山下公園だった。

山下公園から見る僕の町は、

工場と煙突だらけ。

空はスモッグですすけていた。

こっちは氷川丸が停留してかっこいいけれど、

向こうの岸壁はいつもゴミが浮いていて、

船で仕事をしているおじさんが、

僕らをみつけると怒鳴る。

× × × × ×

夢のように時が過ぎて、

老いが見えはじめた私は、

懐かしさから、

みなとみらい線で山下公園を訪れる。

高速道路ができて、造船所が壊され、

臨海部は再開発されて、

高層ビルや観覧車が映える美しい街になった。

× × × × ×

しかし、ここから見る夕暮どきのこの景色は、

相変わらず昔のままのように思うのは何故だろう。

夢のように時が過ぎて、

あの頃の僕は、

老い先の知れたおじさんの「私」になり、

それでも変わらず、

工場の煙は、

やはり天をめざすのだなぁ…

港,jpeg (3) - コピー

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恋唄

あの日から、

思えば12年も過ぎてしまった。

最近、またあの日のことが気にかかる日々が

続いている。

出張に託けて、再びこの駅に来てしまった。

吹き下ろす北風が胸を刺すように冷える。

線路の脇に植えられた木々の向こうに、

田園地帯が広がる。

ところどころに根雪が残り、

午後の陽を浴び、照り返している。

コートの襟を立て改札を出ると、

田舎町独特の駅前広場に出る。

人影はまばらで、

タクシー乗り場には暇そうなタクシーが2台、

客待ちをしている。

あの店のくすんだ壁紙が浮かんだ。

ロータリーを左へ曲がり、商店街を歩く。

朽ちていた薬局が新しく建て直されたらしく、

知らない若い女性が店の前を掃いている。

娘さんかな?

そんなことを思いながら足を速めると、

見慣れた店の看板が遠目に見えた。

真新しく拡張された歩道を歩きながら、

あの人のことを考えるが、

仕草、そしてはにかむような笑顔は、

もう、遠い日に封印されている。

大きなコーヒー樽が置かれた見覚えのあるドアをあけると、

静かなジャズが暗い店内の足元を這うように流れている。

ぼんやり見える店内の奥を覗くと、

目当てのボックス席が空いていた。

私は入口で手にしたライブのチラシを握りしめ、

そのボックス席に腰を下ろしてから、

「モカをください、ブラックで」

と代替わりしたと思われるマスターらしき人に、

何食わぬ笑顔で声をかける。

あぁと、ふと、ため息がもれた。

タバコに火を点け、

暗がりでチラシを見るふりをしながら、

やがて俯いて目をつむった。

私は、あのときの情景を、

丹念に蘇らせてみた。

それはとても些細なすれ違いが、

事の発端だったように思う。

「やはり東京に行くことになったよ」

「………」

佐恵が一瞬うなだれ、じっとこちらをみつめていた。

「どうする?」

佐恵の目に大粒の涙が光る。

「行きたい、だけど…」

「籍のことだろ、そのことなら心配ない

入れてから行こう、そうしよう」

「………」

「お父さんか、いやお母さんも駄目って?」

「何度話しても、

絶対に駄目だって…

頑として許してくれないの」

「…それで佐恵の結論は?」

「………」

俯いた佐恵の長い髪が一本一本光っている。

尖った赤い唇が震えている。

何度も話合った話題だったが、

やはり佐恵から快い返事を聞くことはできなかった。

今日が最後の話合いになることは、

あらかじめ、お互いの認識のなかにあった。

長い時間が流れたように思う。

冷めたモカをひとくち飲み、

僕は「分かった」とだけ答えた。

これが最後に交わしたことばだった。

それから3年ほどして、

地元の友達から、

佐恵が地元の名士の息子と婚約をしたことを知った。

しかし、後年、佐恵はこの名士の息子と離婚し、

ふたりの子を連れ、この町を出たという。

その後の足取りは、誰に聞いても分からなかった。

あの頃、まだ佐恵は私の連絡先を知っていただろうし、

住んでいる都内のアパートも教えてあった。

なぜ、この私を訪ねてこなかったのだろう?

私といえば、やはり一度結婚に失敗している。

それも佐恵より早く。

彼女はそのことを知っていた。

これは知人の女性から後に聞いた話だが、

佐恵は私の離婚の話を聞くと、

顔を伏せてすすり泣いていたという。

「どうぞ」の声に起こされ、

私は現実に引き戻された。

思い出のコーヒーカップに並々と注がれた

モカが運ばれてきた。

「あっ、どうも」

マスターらしき人の笑顔が

「ごゆっくり」と語っている。

ひとくち口に含んだモカの味は、

あのときより薄く感じられた。

そして、あったかいものがカラダを巡ると、

私はあることに思いを巡らした。

それは、まだ会ったことのない佐恵の

親御さんに会うことだった。

確か、佐恵の実家はまだこの辺りにあると、聞いていた。

彼女の親御さんは、

まずこの私を不審がるだろう。

しかし、私が事のすべてを話せば、

佐恵の手かがりが何か掴めるかも知れない。

こんな思いは、先ほどまで思い浮かばなかったのに…

モカの澄んだ苦みが、私の冷えた心に、

幾ばくかの勇気を添えてくれたようだった。

伏し目がちに笑う佐恵の笑顔が蘇る。

そして、動揺するとちょっと尖る小さな唇。

ふたりの子供か…

(佐恵なら、まあいいか、

良い子だな…)

レシートを握りしめ、

冷えた夕暮れの通りを更に奥のみちへ…

胸の迷いを打ち消すように、

大きくため息を吐くと、

私は佐恵の実家の方向へと歩き始めた。

(つづく)

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最後のアドベンチャー

先日、NHKの金曜eyeという番組で、

「ひとり死」という内容を取り上げていた。

正直、観ていてだんだん憂鬱になり、

遂に耐えられずにチャンネルを回したが、

いまでも、どうもあのインパクトが消えない。

両親を送り、子供もとっくに成人しているし、

さあこれから気楽に生きよう、

とも考えていたがしかし、

現実に横たわるのはこういうことか、と自覚する。

私は配偶者も子もいる。

いわゆるおひとりさまではないのだが、

この私だって、

未来の事は神さましか分からないのである。

配偶者に先立たれ、

子供は訳あって遠くに行ってしまうとか…

そういうことが無いとも限らない。

そんなことを考えさせる

不安な時代でもある。

気分の悪いイマジネーションは、

人を果てしなく陥れる。

おひとりさまという環境は、

ひとり死という選択が、かなり身近となる。

ひとり死は、選択するものなのである。

そしてひとり死は、いわゆる孤独死とは異なる。

ここで、ひとり死の詳細を書こうとしたが、

更に憂鬱になってきたので、

詳しく知りたい方は、検索して調べていただきたい。

日本も、これからますます単身高齢社会となる。

この場合、孤独死はとにかく脇に置いておくとして、

ひとり死に関しては確実に増えてゆくと思うが、

正直、私にはちょっと怖い話であった。

思えば、

死とは想像でしか語れない、

誰も知らないところへ、

初めて一人っきりで、

旅に出かけるようなものである。

もちろん旅の仲間はいない。

まして、

ひとり死は、

見送りさえ誰も来ないということか。

さてこう考えると、

翻って、

単身でアフリカやアマゾンの奥地へ行くことなんか、

全然たいしたことはない訳である。

月へ行くのも、なんということはない。

更に金星や水星へ飛び出すことでさえ、

厳しいツアーだな、と思えてくるくらいである。

要するに、年をとると、

もっと凄い旅が大きな口を空けて待っているのだ。

まさに人生の最後は、

アドベンチャーというしかない。

さて、見送りが何人くらい来るか、

いや一人も来ないかは分からないが、

誰もが、

この旅には例外なく参加しなくてはならない。

ここは万人、変えられない。

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冬の彩

冬1

関東地方の冬は、晴れの日が多い。

日射しは低く、斜めから差してくるので、

かなり目が刺激されます。

なので我が家は冬でもオーニングを架け、

カーテンはなるべく閉めないで、

柔らかい光りを採り入れるようにしています。

この季節、降水量は僅かですが、

そんな雨降りの日は、貴重です。

外へ出たい気が削がれるので、

座り仕事、読書などに身が入ります。

ちょっと運動不足になりますが、

そんなときは筋トレに集中。

去年の冬は雪がよく降りました。

めずらしいので、夜、窓をそっと開けると、

ぼんやりと白い幻想的な世界が広がっていました。

翌日外に出ると、大変な積雪。

雪の積もった景色って、

やわらくてまあるいのが、いいですね。

冬に撮る写真って、

結局どれも基本的に寒そうですが、

晴れた日の暖かさとか、

ちょっと見逃しそうな幻想的な一枚が撮れると、

かなり嬉しいものです。

冬3

冬に撮れた春の兆し、

光りに満ちた色彩を探してみました。

冬4

冬2

冬6

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己の女子力を問う

これからの時代は、オトコも家事ができないと、

アウトである。

「オトコは仕事、オンナは家事」なんてのんきなことを、

言っている場合ではない。

いまやオトコも女子力をつけていないと、

惨めになるのは目にみえているのである。

最近の女性はよく働きますし、

そう、家事もできる方って多いでしょ。

で、家事男子も増えているそう。

私の息子なんか結婚した途端に、

家事に精を出していますからね。

しかし、我が身を振り返ると、

もうイケマセンヨ。

私は、調理師の免許をもっているのですが、

そこですげぇーと言っていただきたいところですが、

永年何もつくっていないとですね、

今さら何もつくれません。

味噌汁のみ上手いのですが、

味噌汁とご飯だけですか?

ってね…

スパゲッティーの茹で方も、

つい最近知ったばかりでして、

あとは、

レトルトカレーを温めるとか、

即席ラーメンはつくれますとか、

そんなもんです。

外では冨士そば喰いますとか、

ガスト行きますとか、

たまに居酒屋、やっすいレストラン、

そんなとこで喰ってしまいます。

奥さんがいるときは

まともなものを喰っていますが、

いないときはそんなもんです。

掃除はよくやりますが、

洗濯は勝手にやると怒られます。

どんな洗濯物に柔軟剤を入れるとか、

洗剤以外のケミカル類が全く分からないので、

ムカシに、

なんでもごちゃっと一緒に入れて洗濯機をまわしていたら、

奥さんに怒られまして、

以来、触ったことはありません。

という訳で、

女子力不足。

やはり人間いざというときには、

なんでもできないと、

と最近とみに思うのです。

「男の料理教室」なんていうのがありますが、

ああいうところへは行きたくない。

まず、ああいうところで仲間とかしりあいとかを

つくりたくない訳でして、

そんなんだったらアウトドア仲間と、

適当なレシピでも見ながら、

燻製なんかをつくりたい。

そう思うのです。

女子力が不足している人って、

実は数万人くらいいるんじゃないか。

スーパーなんかへ行くと、家事適合者に混じって、

家事不適合者が、売れ残りの弁当なんかをあさっていますが、

そんなオッサンにはなりたくないものです。

奥さんがいなくても、

台所でササッとパスタなんかを茹で、

サラダもカッコ良く盛りつけて、

「世界遺産」なんかを観ながらくつろぎたい訳。

で、NHKの料理本、

クックパットなんかを眺めましたが、

なんでか、

なんにもつくる気がしません。

誰か、女子力をつける方法、

知りませんかね?

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この街を歩けば

新年会に呼ばれ、久々にムカシの仲間と会う。

その日はちょっと早めに出かけたので、

懐かしい駅を降り、

見慣れたハズの街を歩いてみる。

中学・高校時代をここで過ごしたので、

よく行った喫茶店やパブやパチンコ屋を探すも、

見覚えの看板はひとつもなく、

みなどこにでもある居酒屋のチェーン店とか

ドラッグストアなどに様変わりしている。

10代から20代前半をこの街で過ごした私としては、

街の変貌ぶりも去ることながら、

この街を歩く人の姿が気になる。

なんというか、

横浜都民ということばがフィットするような

お洒落な人が多い。

これは私の偏見だが、

そもそもこのあたりに

そんな洒落た人間はいないハズだった。

横浜の田舎町が都内で働く人のベッドタウンになったと思った。

駅向こうのずっと奥の険しい裏山だったところに、

高層マンション群がそびえる。

(もう知らない街だな…)

待ち合わせの駅裏の寿司屋のあたりに戻って

あたりをよくみると「再開発」の看板が目についた。

寿司屋は35年前となにも変わらず佇んでいるが、

周辺は、壊しかけの店舗やさら地、

解体工事中のロープなどがアチコチに散らばり、

この景色も近いうちに様変わりすることを

教えてくれた。

この街に引っ越してから出会った

みんなの名前と笑顔が少しづつ蘇る。

学友、遊び仲間、そして初恋の相手。

みんな元気にしているかな?

北風の強い寒い夜だったが、

久しぶりの仲間たちと会って、

なんだか感慨深く、話が尽きない。

後ろ髪を引かれる思いで店を出る。

翌朝から仕事だったが、

なんだか微熱のようなものが

体から抜けない。

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私の昭和スケッチ

もはや戦後ではない、

という一節が経済白書に載ったのが1956年。

文字通り、それからの日本は高度成長へと突入する。

その頃、朝鮮半島で戦争が勃発していたので、

日本からの物資調達もまた、好景気に拍車をかけた。

日本はここで、敗戦から復興のきっかけを掴み、

ようやく立ち上がることができたのだろう。

経済はとにかく、右肩上がりの一途だったらしい。

そんなことには全く関係なく、私という人間が生まれ、

賑やかな横浜の街で幼年時代を過ごし、

その頃、目にしたアレコレを振り返ってみた。

賑やかというと聞こえはいいが、

要するに人がゴチャゴチャしていて、

そこらに新聞紙やタバコや生ゴミがころがる、

いま思い返しても、きったない風景ばかりが広がる。

そして横浜といったって、

♫街の灯りがとても綺麗ね、横浜♫

ではなく、

夜はうらぶれた人間がハイカイするような所であった。

私が通う小学校は、私の学年で5クラスあった。

しかし、私たちの上の世代は、後に団塊と呼ばれ、

8~9クラスはあったように記憶する。

とにかく子供が多かったのだ。

特別荒れた学校ではなかったが、外国籍の子が多く、

学校内には、なんと窃盗団が組織されていた。

これにはちょっとガキの私も驚いたが…

朝は、近くの工場のけたたましい鉄を叩く音で起こされる。

だが、騒音に文句を言う人間は誰もいない。

当時はそんな法律もなかったようだし、

皆そんなもんだろうと思っていた。

空はいつも汚いスモッグで、どんよりしていた。

海に近いほどそれは顕著で、

高台から見渡すと、ずらっと工場の煙突が立ち並び、

モクモクと煙が立ち上る。

確か、夜も昼も休みなく稼働していたから、

本当に皆、忙しかったのだろう。

このあたりは京浜工業地帯と呼ばれ、

高度成長期時代の日本の活力の現場でもあったので、

私はその真っ只中で暮らしていたことになる。

横浜駅の地下道を通ると、

手や足を失った傷痍軍人と呼ばれるひとたちが、

白衣のようなものを着てアコーディオンを鳴らし、

物乞いをしている。

ここを通るとき、私はいつも緊張した。

また或る日、近所の家で、

といっても屋根にシートが被さって、

その上に石を乗っけただけの家だが、

そんな小さな家に8人位の一家が暮らしていて、

私よりふたつ下の男の子が疫痢にかかった。

保健所の職員が大勢来て、

家にまるごと白い消毒液をかけ、

室内もビショビショにして、

とっとと帰って行った。

その頃、

近所のガキ仲間で物を拾って喰うのが流行ったので、

私も幾度かやってみたが、そのなかのひとりが、

疫痢にかかったのだ。

それを知ったお袋は、私を散々に叩いた。

いまや先進国となった日本は、

街も生活も清潔さが保たれているが、

他国の不潔さをバカにするほど偉くはない。

いつか来たみちなのだ。

公園では、

子供を騙すようなオトナがよくうろついていて、

私たちに粘土を買わせ、

うまくつくるとプラモデルをあげると騙す。

なけなしの5円でその粘土を買い、

みんな必死で犬とか猫とかをこねてつくるのだが、

気がつくとそのオヤジは、すっと姿を消している。

が、誰もそんなことなんか問題にしなかった。

楽しかったなと、

夕暮れにつぶやくような奴もいたのだから…

街を一歩でると野山が広がり、

私たちは必ずナイフと水を携帯していた。

一日中、山に入り、

竹でも木の枝でも器用に細工して、

なぜだか武器をつくったものだ。

山の向こうには豊かな田園地帯があり、

春には名もない花が咲き誇り、

夏は蛇も蛙もザリガニも嫌というほどに獲れたのだから、

やはり自然も豊富だったのだろう。

現在、東南アジアの事情がよくテレビで紹介されるが、

当時の日本もきっとあんなようなものだったのだろう。

近所ではパン屋がオープンした。

コッペパン10円也。

真っ赤なあやしいジャムを塗ってもらって15円だ。

が、私はそれさえ買えないことがよくあり、

そんなときはお袋におにぎりを握ってもらった。

味付けは味噌か塩のみ。

海苔なんていう高価なものは、

ハレの日以外口にできなかったように思う。

飲み物は、砂糖水だった。

そして氷という代物は、

私が小学校の3年のときに初めて口にした。

後にテレビが普及し、カルピスが世間に広まったが、

いま思い返しても、

私はせいぜい水に粉を溶いたジュースを飲んでいたことしか

思い出せない。

しかし、こんな毎日が貧しいかというと、

皆同じであり、そんなことは微塵も思わなかった。

私の家は、近所でも平均的な家庭であった。

楽しいことも辛いことも人並みに経験したが、

私にはその街が世界のすべてであったし、

オヤジもお袋も若かった。

そして、

この世界が永遠だと思っていたフシがある。

坂本九が歌っていた「明日がある」という歌を、

その頃の人たちは、地で行っていたのだ。

明日があるさ明日がある。

若い僕には夢がある。

幼い日にみた風景というのが、

年をとるほどに思い返されるのはなぜか。

帰りたい、戻りたいとはさらさら思わないが、

きっとあの頃のどこかに、

自分の原点があるのだろう。

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夜の江ノ島へ

満月の夜、江ノ島へ。

狙って行った訳ではなく、親戚の家に行った帰りに

ぷらっと寄ってみただけ。

満月

普段、江ノ島は夜終いが早いが、

正月なので、暗がりにもかかわらず人で賑わっている。

藤沢

藤沢方面にカメラを向けると、

なかなかの夜景が広がっている。

その夜景を存分に味わいたいのなら、

まず江ノ島バーガーを購入しないと、

特等席には座れない。

江ノ島バーガーがどんなものか、

実は私も知らないが、

シラスが挟み込んであることは間違いない。

特等席に座るほどの時間の余裕もないので、

バーガーはパス!

実は、寿司が食いたい。

特等席

江ノ島神社に向かってお土産屋さんの坂道を歩く。

通りの人だかりは、確かいま人気のタコせんべい焼きだったっけ。

たこせんべい

そこを過ぎて、通りのどん付きにあるキツイ階段を上ると、

江ノ島神社の本殿に辿り着く。

神社と提灯

提灯、絵馬、おみくじと、なかなか趣がある。

絵馬

神水アップ

この島のてっぺんにはお馴染みの灯台があるが、

そこもライトアップされているので、

海風がかなり強いが、下から見上げる灯台は壮観。

りぼん

庭のライトアップ

この日、私は途中のライトアップされたサムエル・コッキング苑を観て

下山、とにかく寿司が食いたいので、

早々に下に降りて、

暖かい寿司屋で海の幸をたらふくいただきました。

お勘定はほどほど。

間違ってもお土産屋の一個1200円もするサザエなんか食っては

イケマセン!

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グレートサムシング(Great Something)

私事だが、

昨年11月末に母の3回忌を済ませ、

ようやくひとつ荷を下ろせた気がした。

菩提寺は横浜の外れにあり、

ようすから思うに、

まだ檀家の数が減っている気配はない。

そして年を越し、

近くの氏神様にお参りに行くと、

そこもなかなか盛況。

だが、人の数は、

以前に較べてかなり減っているようだ。

なにより若い人が少ないのに驚く。

そういえば、年越しのNHKは、

地方の名刹からの中継が多いが、

やはりお年寄りばかりが目に付く。

私たちは、

日頃から、神社と仏閣を平然と両使いする。

それが平均的日本人の姿のようでもある。

しかし、あなたの信仰はと問われて、

即答はできないのは私だけだろうか。

いま地方では檀家の数も減り、

僧侶不在の寺も多いと聞く。

一部の著名な所を除けば、

神社も同様ではないか。

日本人の生活に根付いている神仏も、

人口減と価値観の変化からか、

将来に暗い影を落としている。

死生観においても、

そして経済的な理由からも、

もう若い人を繋ぎ止めておくことは、

無理なのではないか。

私が所持している般若心経に、

このお経は万能であり、

どんな宗教を信じる者にも通ずる、

とある。

海外では理解しがたい解釈と思うが、

日本人の生活のなかに生き続ける信仰は、

かように複雑に絡み合い、

それが自然と暮らしのなかに

息づいている。

こんな信仰の姿を、

翻って信仰心がない、と片付ける輩もいる。

それを、いいじゃないかと軽くあしらうのも、

私たちの術ではあるが…

しかし、こうしたものも廃れてゆくのが、

いまという時代の姿である。

更に不可思議なことは、

人は誰も一端なにかが起きると、

少なからず、

天に、宇宙に、

そして海の向こうに想いを馳せ、

祈ることさえあるという事実。

それは、

信仰とは少し違った、

心の有り様なのかも知れない。

そんな心の揺らぎを

「Great Something」

と呼ぶらしい。

得体の知れない、

しかし、

この世の法則、そして事象を司る、

偉大な何か…

人はやはり何かを信じたいのだろう。

Great Somethingが、

あなたを見守ってくれていると感じることで、

救いのひとつにはなる。

―教え、宗教、信仰―

こうしたものに熱狂することを、

私はあまり好まない。

だからというか、せめてといおうか、

Great Somethingなのである。

その程度でいいんじゃないかと…

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