キャンプへGo!

 

 

キャンプへ行ってきた。

陽気は暖かくなってきたが、

夜はまだまだ冷える。

よって今回はキャビンに宿泊。

エアコンもトイレもシャワーもある。

テレビやネットはないけど、

かなり柔(やわ)なキャンプではある。

 

河原テント派、山中独りキャンプ派から、

笑われそうである。

水際の底冷えする河原で

テント張って寝るのって、

この時期でもかなりキツい。

山中独りキャンプ派となると、

もうこれは一種、

選ばれしキャンパーと言える。

 

河原…、砂浜…は若いころに経験しているが、

独り…はどうしてもできない。

やる勇気もない。

 

私の場合、理由は明快だ。

お化けが出るから!

それも獣系。

ね、怖いでしょ。

私はそういうのには近づかない。

こういうのは若いのに任せよう。

いや、感度の鈍い奴に任せよう。

 

こっちは、霊体験もUFO遭遇も

すでに体験済みなので、

ほんと、もうゴメンです。

1万円あげると言われても断りますね。

 

で、今回のキャンプですが、

場所は、神奈川県相模原市にある

PICAというキャンプ場。

ここはトレーラーもテントもオートキャンプもOK。

キャビンにした理由は、

その設置場所が山のてっぺんにあるから。

そう、見晴らしの良さで決めました。

当日、昼間の下界は20度以上の暖かさだっが、

夕方、ここ山のてっぺんで火をおこすころには、

強風で気温がぐんぐん下がり、

とうとうダウンを着る羽目に。

気温は一ケタに急降下していました。

寒くて腹が減っているけれど、

自分が動かないことには何にも食えない。

それがキャンプなのです。

 

とにかく最短で火をおこすため、

紙切れと割り箸と着火剤を用意し、

まず薪に火をつけることに専念する。

で、徐々に炭を投入し、

火が安定するまでじっと頑張る。

こちらは肉を食いたくてウズウズしてる。

腹が減っている。

が、ここが正念場だ。

落ち着いておいしくじっくり焼こうと、

急いた気を静めながら、

ときに星空を見上げたりしてみる。

火の粉がガンガン飛んでくる。

まだ炎が不安定だが、肉を1枚焼いてみる。

やはり気が急いているなぁ。

予想通り、コゲコゲの失敗作ができあがる。

ああ、普段は食わない高価な肉が…

 

ここはひとつオトナにならねばと、

やっと我にかえり、火が安定するまで、

今度こそじっと耐えることにしましたね。

おかげで、肉、野菜、ホタテ、焼きそば等々、

お馴染みのコースをじっくり焼いて、

おいしく平らげることができた。

近くで、若い2組の子連れ夫婦が、

下界に向かって何か怒鳴っている。

ずっと大声を発している。

相当、酔っているらしい。

にしてもあいつら、

日頃から相当ストレスを溜め込んでいるなぁ。

笑える。

 

以前、ここのトレーラーに泊まったことがある。

12月初旬だったが、寒くて夜中に目が覚めた。

それに較べると、キャビンは快適だ。

が、一般の住宅のような仕様ではないから、

やはり寒いには寒い訳だ。


夜半、風が凪いだので、

表に出て空を見上げると、

オリオン座が明るく瞬いている。

それも近く大きくみえるではないか。

ちょっと感動する。

 

これだけでも来た甲斐はあった。

今回はわずかな時間だったけれど、

仕事のことはすっかり忘れました。

観てもつまらないテレビもないので、

読書に専念することもできました。

 

キャンプで非日常を体験すると、

日頃の生活の便利さが身に沁みます。

なのにストレスが吹っ飛びます。

心身に生気がみなぎります。

日頃のこびり付いた垢がとれます。

そして、本当に疲れます。

おかげで翌日からさらに深ーい眠りに

つくことができました 笑

さあ、あなたもキャンプへGoです!

 

 

平山みき71歳

 

ユーチューブでナツメロを聴いていたら、

関連曲つながりで、

「真夏の出来事」が出てきた。

我、高校生のときのヒット曲である。

いい歌だなぁ。

 

歌詞のなかでこういう一節がある。

♪悲しい出来事が起こらないように♪

当時はテキトーに聴いていたので、

理解していなかったが、

この歌って、わかれの歌なんですね。

いまさら、いい加減な自分に驚きました。

雰囲気だけで聴いていました。

 

歌詞を理解すると、さらに好感度アップ。

これを歌っている平山みきさんは、とても人気がありました。

当時ガキだった私からすると、年上のお姉さん。

ガキにはとても手におえそうにありません。

はすっぱという言葉にビタッとおさまる雰囲気が

またよかった。

 

ところで、はすっぱという言葉の意味を

コトバンクで調べたらこう書いてある。

「女性の態度や動作が下品で慎みのないこと、

また浮気で色めいてみだらな女性をいう。

「はすっぱ女」ともいう。」

 

ヒドイことが書いてあります。

私のなかで元祖はすっぱは、

加賀まりこさんなのだが、

なんだか私の思っていたのと、

どうも意味合いが違う。

これは私の間違いなのか。

 

私のなかで、はすっぱというのは、

とてもいい響きであり、褒め言葉なのだ。

なんだか垢抜けていて、ミステリアスで、

全然こちらの言うことを聞いてくれない、

わがままなかっこいい女性。

それがはすっぱなのだ。

 

本来はコトバンクにあるように、

女性を卑下する言葉なのだろうけれど、

当時の私たちはそういう意味合いでは

使っていなかった。

それはひょっとして方言と同じで、

地方により意味合いも変化するとか?

 

まあ、どうでもいいや。

で、はすっぱな女性にはいまでもかなわない。

振り回されそうな気がします。

なにしろはすっぱは、小悪魔ですからね。

そのはすっぱな平山みきさん、

現在71歳だそうです。

 

ンー、あれから半世紀が経ちましたか。

平山みきさん、どうか現在でも

はすっぱなかっこいいおばあちゃんで

いてくださいね!

 

 

 

 

 

あやしいバイト

70年代の中頃だったか、
僕は沖仲仕という仕事をしたことがある。

沖仲仕とは、港湾労働者のこと。

港で荷役をする肉体労働者だ。

いまは、荷物はだいたいコンテナなので、
大型クレーンでそれを吊り上げれば、
事足りる。

僕の若いころは、
それを人力でやっていたのだ。

岸壁に直接接岸できない大型の船だと、
荷を受け取って港におろすため、
小さな船が間に入らなければならない。

その荷物をひとつひとつ人力で
作業するのが、沖仲仕だ。

陸と海の間を取り持つ仕事なので、
沖仲仕。

船に揺られながら、一日中荷役をする。
波の荒い日は、吐く人間も出る。
真夏の暑い日などは、昼飯ものどを通らない。

僕がなぜそんな仕事にしたのかだが、
趣味のクルマに入れ込んでしまい、
借金がかさんだのと、
あとは遊びすぎてしまい、
それらの返済に追い詰められていたからだ。

当時のバイトの相場は、
一日3000円くらいだった。

普通のバイトでは、全く返済に追いつかないと
悟った僕は、突飛なバイトばかり探していた。

当時はベトナム戦争が激しかったので、
金に困っているある知り合いは、
戦死した米兵の死体洗いを真剣に考えていた。

そのバイトの噂は、
若い僕らの間を駆け巡ったが、
では一体どこへ行けば
そのバイトをさせてくれるのか、
まず入口のようなものが、
結局誰も分からなかった。

バイトは、日当3万円~5万円くらいだったと
聞いた。

あれは都市伝説だったのか、
それはいまでも分からない。

バイトの内容はこうだ。

プールのようなところに死体が
いくつか浮いているので、
一体ごとに回収して、
身体じゅうの穴という穴に脱脂綿を詰め込み、
死体をきれいに拭いて、棺におさめる。

そのような内容だった。

僕は臆病なので、
そうした恐ろしいことには
とても耐えられない。

次にバイト代が良かったのが、
一日1万円もらえる沖仲仕だった。

この仕事も、ひとから聞いた話からだった。

まず、朝の7時だったか8時だったかに、
横浜の仲木戸駅の付近をプラプラする。
それも何かを探しているように。

すると、手配師と呼ばれる
人集めがやってきて声をかけてくる。
そこで仕事の概要とギャラを提示する。

合意すると、紙っきれの簡単な文面の下に
朱肉で親指の拇印を着く。

そして10人くらい集まると
マイクロバスに揺られて、
岸壁に着く。
で、小型の船に乗り込む次第。

そんな仕事にやってくる人間は、
やはりと言うべきか、
皆一様に訳ありというか、
一癖も二癖もありそうというか、
外見からしてフツーな感じがしない。

これは後に気づいたのだが、
どのひとも家のないのは当たり前で、
木賃宿でその日暮らしが多かった。
公園とかで寝ているひともいた。

が、お互いにどんな人間なのかなんて、
誰も話したり触れたりしない。

酒焼けと日焼けが混じって、
どの顔もどす黒くて、
やたらとシワが深い。
歯が抜けているひとも、
かなりいた。

仕事は殺伐としていた。

すぐケンカが始まる。
それがひんぱんだった。

あるとき
血だらけのふたりが殴り合っていた。
現場監督がそれを見つけると、
平然とヘルメットでふたりを殴って、
そのケンカはおさまった。

それが日常茶飯事。
普段の風景なのだ。

あるとき、頭上数十メートルから、
クレーンに積んだ荷が船に落ちてきた。

僕のすぐそば、
50センチから1メートル近くで、
ドスンとすごい音がした。
当たっていたら確実に死んでいた。

驚いてまわりを見渡すと、
誰も顔色ひとつ変えない。

恐ろしい仕事だと思った。

この激しい労働の後は、
心身ともにズタズタになる。

どうしてもまともではいられない。

酒場、キャバレーと渡り歩く。
でグダグダに酔って、
やっと正気に戻れる。
そうでもしなければやってられない。
そんな仕事だった。

極度の疲労とストレスと恐怖。

それを紛らわすのに
すべて使い果たしてしまう。

そんな仕事は数週間でやめた。

金が貯まらないどころか、
命があやうい。

借金なんか減る訳もない。
明日のことも考えられない。
夢も希望もない。

ただ心身の疲労だけが、
いつまでも残っていた。

が、ふと思ったのは、
僕にはやめることのできる選択肢があった。
他で新たなバイトを探せば、
なんとかなる。

では、あのひとたちはどうだろう?
あの仕事の毎日は、残酷過ぎる。
考える余裕も体力の回復もないまま、
日々が過ぎていってしまうのではないか。
その先はみえている。

それを思うと、極度に憂鬱になった。

このバイトでの経験は、
僕にいろいろなことを教えてくれた。
それは経済的なことだけでなく、
これからどう生きていくか、
ということも含めて。

それからしばらく、
僕は時給の安いコーヒーショップで働いた。

それはとても穏やかな日々だった。

 

 

真夜中の訪問者

 

最近、寝るときの

妙な習慣について書きます。

 

本を閉じてさあ寝ますというとき、

下になった一方の手を

反対の肩に乗せてからでないと、

どうも落ち着いて寝られない。

 

この動作、分かりますか。

ややこしいですかね。

 

では。

右肩が下なら、

右手を左の肩にのせる。

これでどうでしょう、

分かりましたか?

 

この動作って変ですよね。

でもそうするとなぜか安心できる。

すっと眠ることができるのだ。

いつからそうなのか忘れたが、

自分でも妙な癖がついたと思っている。

 

まだ寒いので、

冷えた方の肩に手を添えると、

手がとても暖かいので、

ホッとする。

このあたりまでは、物理的な話なんですが。

 

が、それだけではない。

自分の手なのに、

誰かの手のように感じる訳です。

その誰かが、しばらく分からなかった。

なんというか、

とても大きななにかに守られているような。

その感覚に包まれると、

心身ともにやすらぎさえ覚える。

 

数ヶ月が過ぎたころ、

それがとても遠い日の感触だと、

突然気づいたのだ。

 

母が亡くなってから数年後、

私は不思議な体験をしたことがある。

夜中になぜかふと目が覚めた。

2時か3時ごろだったと思う。

部屋の入口にひとの気配がした。

うん?と思い振り向こうとしたが、

首を動かそうにも、全く動かない。

畳を踏む音がして、

僕のベッドに近づいてくる。

 

不思議なことに、

このとき恐怖心などというものはなく、

脱力するような安堵感さえ感じられた。

その気配は僕の枕元でじっとしている。

僕は全く動くことができないでいた。

 

どのくらいの時間が経過したのかは、

全く分からない。

数十秒だったような気がする。

数分だったようにも思う。

 

「おふくろだろ?」

僕は心中で、その気配に話しかけた。

その問いに、気配は笑っているように思えた。

 

なぜ母だと思ったのか、

それは分析できない。

いまでも分からない。

ただ、とても懐かしい感じがしたのだ。

そして母だという確信は、

僕の記憶の底に眠っていた。

 

幼いころ、

母は僕を寝かしつけるのに、

いつも僕の肩に手を添えてくれていた。

僕の最近の変な癖について、

突如として思い出したのは、

その遠い記憶だった。

 

それが自らが作り上げた

こじつけなのか否かは、

自分でもどうもうまく解決できない。

説明がつかない話は、

世の中に幾らでも転がっている。

いまでは、そう思うことにしている。

 

それにしても、

僕がいくら年老いても、

母は依然として母であり続ける。

それは、永遠に変わらない。

妙なことに、それが事実なのだ。

 

そしてそう思うほどに、

生きている限り、頑張らねばならない。

真夜中の訪問者はいまだ変わることなく、

僕にやさしくて厳しい。

 

そういう訳で、

僕の寝しなの妙な儀式のようなものは、

当分続きそうな気がするのだ。

 

まだ若い君へ

 

まどろみから生まれたものは
明快ではないが新鮮だ

熟考される前の
熱い力がほとばしっている

青春という季節は
朝露のころがる青葉の如く
新鮮でみずみずしくもある

しかしそのさなか
その様は誰ひとりとして
気づかない

やることなすことが
どれも虚しく

悩み 悲しみ 怒り

そのすべてが激しく
ふつふつと動いている

青春は
赤い血のいろ
そのものでもある

そして経年し
ひとは誰も色あせ

やがて人知れず枯れてゆく

 

さて
チマチマしてもしょうがないではないか

いまこの時代は
歴史の大きなうねりである

君はまだ若いから

君の勘違いは許されるから

まずは小志大志をもって
疾風のように
いまを駆け抜けてみてはどうだろう

君が生きていたという証は
心のなかに一生宿り続ける

たかが百年のいのち

されど百年のいのち

生きるとは燃焼すること

生きるとはまた
死ぬことなのだから

 

 

たき火のススメ

乾いたマキをクルマに積んで
さあでかけよう

水辺は冷えるので少し厚着をする

化繊は燃えやすいので
綿100㌫のパーカーは必須

夕方から始めるとなかなかいい雰囲気になる

 

 

たき火ってひとりっきりでもOK

疲れたらとにかく火がいい

 

 

 

それはたとえば
風呂に入るようなもの
とてもいい気分になる

誰にも安息は欠かせない

 

 

火があって
炎のゆらめきに惑わされて
催眠術にかかったような夢をみる

 

夕暮れの川辺では
ときおりシルエットの鳥が鳴く
川のせせらぎも遠くに響いて
やがて夜のとばりが降りる

こうして時間は消滅する

まわりをみると真っ暗だった

ロードショーが終わったときのように
やれやれと立ち上がりさっさと片付け
火の始末は怠らない

再び時間が動き出す

日頃の煩わしさは
いつもついてまわるから
やはり安息は必要だ

その日の夜は
とても穏やかな気分になる

 

 

 

オレだけのロックンロール

 

横浜の場末の店で
カウンター係をやっていたことがある。
高校を卒業したばかりで、
世間のことはまだよく分からなかった。

酒を飲ませる店だったので、
いろいろな酔っぱらいをみた。
自らもアルコールは飲んでいたが、
世の中、質の悪い酔っぱらいの多いのには驚いた。

大学の付属校にいたが、その大学へは進まず、
カメラマンをめざしていたが、資金が足りずで、
あきらめることとなった。
改めて大学をめざすのもなんだかシャクなので、
まずは働くことにした。

それにしても、酔っぱらいの相手は、
気長でなくては身がもたない。
相手とまともに取り合っていると、
そのうちにケンカになる。

一見さんでも常連さんでも、
ケンカはやはり起きるべくして起きる。
このころから、心底酔っぱらいが嫌いになった。
以来、酒を扱うところでは働かないことにした。

カメラマンへの道が閉ざされ、
水商売にどっぷりと浸かっていたころ、
僕の将来はいっさい見通せなかった。

昼に起きて市場にいったり、
店を掃除したり、そして仕込みをする。
店がオープンすると、
そう酔っぱらいの相手だ。

しかし、あとで気づいたことだが、
このころの学びはとても多かった。

おとなといういきもの、世間、
おとことおんな、お金、仕事、
夜の世界、情、ずるさ、かけひき、
誠実、約束、そして不誠実とか。

永年にわたって学ぶことが、
こうした世界にいると、
とても濃縮されているなと思った。

しかし、いくら自分を正当化しても、
やはり耐え難いものは隠せない。
いつも胸のつかえとして留まっている。
そんな憂鬱な日々が続く。

そんなころの唯一の楽しみは、
朝方のドライブだったように記憶している。

気に入った音楽を聴きながら、江ノ島まで走る。
第三京浜をかっ飛ばす。

または、朝までディスコで踊るとか、
山下公園の隅で寝てるとか…
そんなもんだった。

鬱屈してたころ、
突然あらわれたのが、キャロルというグループだった。

「ファンキーモンキーベイビー」が
彼らのデビュー曲だった。
いや、いまだに詳しくは知らないけど。

「ファンキーモンキーベイビー」を聴いたとき、
なかなか表現できないものが僕のなかにうまれた。

歌詞はほとんど意味をなさない。
けれど、感覚としては伝わる。
メロディはイントロから奇抜。
演奏は決して洗練されていなが、
いままで聴いたことのない音楽だった。

この曲を何度も何度も聴いているうち、
なにかよく分からないのだが、
新しい時代がくるような気がした。

胸のつかえがとれてきた。

憂鬱な毎日を早々に壊してやろう。
そんな気になった。
そして将来というものを
再び考えるようになった。

人からみればくだらない、
いや、ささやか過ぎるかもしれない。
しかし、僕にとってのおおいなるきっかけが、
彼らのデビュー曲だったのだ。

そして生活が変わり、
考え方も変わった。

僕は店をやめた。

生活があるのでいろいろなアルバイトを
転々としながら、
とりあえず大学を受験しようと思った。

そしてカメラマンに代わるなんかを探そうと、
夜な夜な、ベンキョーというものを始めた。

それはとても新鮮で真剣な日々だった。

 

 

ショートショート「海辺の丘で」

 

海岸におおい被さるように突き出た小高い丘は、

いつでも草がそよいでいる心地のいい丘だった。

その先っぽに、ポツンと緑の公衆電話ボックスがある。

僕は、その電話ボックスのことが気になり、

気がつくとその丘へ行っては、

ボックスから遠く離れた草むらに寝そべって、

いつもその公衆電話を眺めていた。

 

誰もいないのに

誰も来ないのに…

なんでこんな所に公衆電話があるんだろう…

 

或る日突然、その公衆電話が鳴ったのだ。

その呼び鈴が風に乗って丘じゅうに響いた。

僕はビックリして立ち上がり、

その公衆電話に少しずつ少しずつ近づいていった。

鳴りやまない公衆電話の前に僕はそっと手を伸ばし、

緑の受話器におそるおそる触ろうとした。

 

突然、人の気配がした。

驚いたことに、どこから来たのか

ひとりの老人が僕の背後に立っている。

長い白髪の老人だ。

メガネが鼻からズレている。

木の節が柄の中ほどについた太い杖をついている。

 

「そこの少年、その電話は私にかかってきたのじゃ」

「えっ、そうなんですか」

「その電話をとってはいかんぞ。絶対にとってはいかん。

その電話は断じてこの私にかかってきたんじゃよ」

「あっ、はい」

 

僕は電話から少し後ずさりした。

老人はその電話に近づくと、

うんんと咳払いをして、

そしてひと息ついてから、

おもむろに受話器を取り上げた。

 

老人は電話の向こうの声にじっと耳を傾け、

ときおりうなずくように「はい」とだけ答えていた。

老人はそのとき、海の一点をみつめていたように見えた。

 

そう長い電話ではなかった。

老人は、電話を切る間際に「ありがとうございます」

と丁寧に会釈をし、そして静かに受話器を置いた。

見ると、眼にうっすらと涙が浮かんでいる。

 

僕は、ちょっと驚いた。

そして老人は僕の方を振り向くと、

「少年よ」とだけ言った。

「あっ、はい」

僕はあわてていた。

 

草がまるで生きているかのようにうねる。

とてもよく晴れた日の午後だった。

遠くの海はかすんで見えるが、

波は比較的に穏やかな日だった。

 

老人は海を見つめ、そして少しずつ歩き始めた。

老人の行く先にもうそれほどの距離はない。

その先は崖だ。

僕は危ないなと思って老人に近づく。

「どこへ行くのですか?

その先は崖ですよ。

危ないですから…」

老人がこちらを振り返った。

そして笑みを浮かべ、こう言った。

 

「少年よ、私はこれから出かけるのじゃよ」

と、とても静かに言った。

「どこへ、ですか?」

「簡単に言えば、昔の知り合いの所じゃ」

老人はズレたメガネを捨て、

そして杖から手を離した。

僕は何か嫌な予感がして、

「おじいさん、変な事をするのはやめてください」

と、叫んでいた。

老人は、いやいやと笑いながら、

大きくかぶりをふった。

 

「少年よ、あまり妙なことを想像するな」

それより、と言って老人は話を続けた。

「唐突な質問で申し訳ないが、

はて、君にとって良い人生とは何だと思う」

僕は、呆気にとられた。

「はあ、そうですね、

良い人生とは、後悔しないで何でも頑張るとか、

そんなことだと思いますが」

「そうじゃな、後悔しないこと。これが最高じゃ」

が、しかしと続けた。

 

「人はみな後悔だらけとよく聞く。

この年になると、そのことがよく分かるようになる」

老人は笑みを浮かべ、

「この世で、人はなぜみな後悔を残すのか、

不思議じゃよな。

さて、この訳を君は知らんじゃろ?

いや、知らんでいい。

が、これだけは覚えておくといい。

いずれ人は後悔するようにできておる。

これは人の生業がそうつくられているせいで、

そのようにしかならんのじゃよ」

 

老人はさらに続けた。

「なあ、私は君の名も知らんがこれも縁じゃ。

君はまだ若い。そこで、私の最後の仕事じゃ。

君に人生の極意とやらを教えてあげよう」

「はい教えてください。私に分かるかどうか

それが心配ですが…」

 

そう言うと、老人は今度は空を見上げ、

大きく息を吸ってから私にこう告げた。

 

「要するに、人はどう生きても後悔するものと決まっておる。

それが程度の差こそあれ、必ず後悔するように仕組まれておる。

これは、そうたとえば神様の仕業かも知れんがの」

 

老人はさらに続けた。

「で、その極意とやらは簡単じゃ。

後悔することをだな、

それを絶対に後悔しない事じゃ、

それだけじゃよ」

 

僕は、そのときこの老人が言ったことが、

いまひとつ良く分からなかった。

 

海が西に傾いた陽に照らされ、

ゆったりと光をたたえている。

 

老人は話し終わると、

僕に姿勢を正し、

そしてていねいに頭を下げると、

再び海の方へと歩き始めた。

 

と、老人に強烈な白い光が差し、

それは空から降り注ぎ、

老人の体が少しずつ浮かんで、

上へ上へ、空へ空へと上がっていき

ある所でパッと消えてしまった。

 

僕はその光がまぶしくて、

一瞬めまいを起こしてしまった。

そして、そのまばたきほどの瞬間に

あの緑の電話ボックスも、

跡形もなく消えてなくなっていた。

 

そこには何もなかったように、

丘は穏やかな陽に照らされ、

波の遠い音と、

絶え間なく、

風だけが吹いていた。

 

 

海がみたくなった。突然…

ときおり、いや突然かな、
イチゴのショートケーキを無性に
食いたくなったりするときがある。
アイスクリームも同様。
あの衝動って何なんでしょう。

海がみたくなった…というのも、
同じく定期的に起こる衝動です。
間隔としては、3ヶ月に一度くらいか。

上記ふたつの衝動には何の共通点もないし、
脈絡も不明なのだが、
ショートケーキを食すととても幸せな気持ちになる。
海をみた帰り道も、満足感でいっぱいになる。

あえて分析するならば、人類にとって糖分は、
生きる上で欠かせない原動力であるし、
海は人類の記憶が眠っているふるさとである。

これはとても嘘くさい分析ではあるが。

鎌倉・藤沢あたりの湘南は人が多そうなので、
「湘南」と呼ばれる発祥の地である大磯へ
でかける。

 

大磯は市ではなく町。
よって人口もそれほど多くないし、
町全体がのんびりしている。
国道1号線沿いに商店が並んではいるが、
繁華街というにはほど遠い。

大磯港、大磯プリンスホテルがある他、
見どころは、大磯城山公園、旧吉田茂邸、
高麗山、六所神社、旧島崎藤村邸。

一見地味であるし、他の湘南地域に較べると
若さも活気もない。
けれど、とても落ち着けるいいところだ。

大磯には「隠れ処」という言葉がふさわしい。

難をいえば、海沿いを走る西湘バイパスの騒音。
音は結構遠くまで轟く。
この道路を突っ走る飛ばし屋のバイクや高性能カーは、
どうも常連が多いように思う。
対策として、小田原厚木道路に異常に多い覆面パトカーを、
もっとこちらの道路に移動させてみてはどうか。

で目的である「海がみたくなった」なのだが、
今回は遠目にしかみることができなかった。
大磯城山公園、旧吉田茂邸と巡る途中、
陽光で海が光っているのがみえてワクワクしたが、
如何せん木々が多くて景色に広がりがない。

そこで大磯プリンスホテルへ寄ってみたが、
あいにくコロナのためホテルは閉まっていた。

ここのホテルの庭からの景色は絶景なのだ。
水平線だけでなく、遠くは伊豆半島まで見渡せる。
残念。
ここのおいしいコーヒーも飲めなかったし。

帰りはセブンに寄って100円コーヒーをいただく。
がしかし、己の気分を分析したところ、
かなりの充足感で満たされている。

ショートケーキに例えると、
専門店ではなくスーパーで買った
ショートケーキを食ったというところか。

いずれにせよ、思い立ったら吉日なのである。
仕事もコロナも関係ないのである。

 

風の時代その2

 

不要不急の外出は避けています。

それが、現在の社会を構成するひとりとしての、

最低限のマナーでもあります。

しかし、先日のことなのですが、

私は特急で有用な要件ができ、

あちこちに写真を撮りにでかけました。

 

 

これがなぜ不要不急でないのか?

家でジッとしていたら、

ちょっとイライラがMAXになったからであります。

 

 

「風の時代」の到来と前回のこのブログで、

己で勝手に書き、なおかつ

自らフラフラと出かけてしまうのでありました。

 

 

イライラを解決するポイントは、

自らの欲する方向へ場所へ赴くことを

決して拒絶しないことでした。

結果、高い山間部とか景色のよいところ、

夕陽の眺められる箇所をめざしておりました。

 

 

 

撮影ポイントにおいて、

夕方にはさっさと0度くらいの低温になっていました。

そこに、北からの風が吹き付ける訳です。

すげぇ寒い。

 

まさに風の時代の到来を、

身をもって感じた次第です。