お正月の縁起物

ウチのキンモクセイの木の根元に、

万両の実がたわわになっている。

万両

千両に比べ、万両という名だけあって、

実の付き具合に貫禄がある。

赤い実は、

日本では古くから正月の縁起物として

もてはやされているという。

ほほう

万両の正式名称はヤブタチバナ。

で、千両はクササンゴという。

千両の実はたわわとはいかない。

ホントは亜熱帯地方の品種らしいから、

もっと暑い地方では凄いのがあるのかな、

と思う。

千両

でですね、

万両と千両の実がなっていると、

百両以下も欲しくなるのが、人情というものです。

で、さっそく植木屋で百両をみっけた。

百両

これでやっと気が済んだ。

と思ったら、

なんと十両の実もあるとの情報をキャッチ。

そうなの?

しょうがない。

近所のホームセンターとか

植木屋をまわりました。

しかし、これらがなかなか売っていないんですね。

で、ネットで調べると、

なんと十両が売っているではないか!

十両

更に驚いたのは、一両という実のものもある、

という超初耳情報。

ひぃひぃ!

こうなると熱くなってしまうのが、

私の弱点である。

もうコレクターのノリで、

ガンガンいくぞ、ということで、

それらを一気に買ってしまった。

で、これら縁起物を集めてどうなるのか。

だからどうした、と言われそうだが、

あるネットショップで、

これらをまとめて売っているのをみかけた。

それも売り切れ状態。

で、なんでとよくよく見るに、

これらを名付けて「お金持ちセット!」と

書いてあるではないか!

私の買い物が加速したのは、

上の理由がおおいに絡んでいる。

ここで、人間本来の、

いや、私のあさましさが、

あらわになった訳だ。

しかしである。

十両はともかく一両はハシタ金。

いらないな…

当初はそう思い、

一両はいらないと、

全く買う気がなかったのだが、

この一両の実の存在が、

実はくせものなのである。

別名アリ通しと呼ばれている一両は、

全体にトゲトゲがいっぱいで、

実もたいしたことはない。

一両

がしかしである。

ものの言い伝えによると、

たとえ千両・万両を持っていても、

この一両が揃わなければ、

なんの効力もない…とのこと。

一円をバカにする者は一円に泣く。

すべてのお金に好かれないと同じ図式が、

ここでも成り立っていた。

一両、恐るべし!

いや、

縁起物に振り回された自分が恐ろしい。

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紅葉におもうこと

晩秋あるいは初冬の紅葉、

あれはあれで綺麗で美しいが、

ちょっと寂しくもあるのは、

己の年齢や

行く先を暗示しているようでもあるからだ。

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いきものは、滅する前にもういちど華開く。

紅葉は、きっとそのようなものなのだ。

冬は、思うに季節で眠りにつくとき。

または、いきものの死を意味する。

だからこの季節は美しく、

もの悲しいのだ。

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永く生きていると、

或るときから死を意識する。

さて、残された時間をどのように過ごすかと、

とてつもなく大きな難問にぶつかる。

活き活きと生きている先輩諸氏がいて、

さっさとあの世に行ってしまう友人がいたりする。

死は身近なものとして、

いつも私のまわりをうろついている。

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若ぶるか、しっかり老け込むか?

分岐点に立つ人間は、それが問題なのだ。

死ぬ前にひと花咲かせるとは、

まさに晩秋に色づく老木の紅葉の如きである。

紅葉には、死のにおいがする。

紅葉があれほど美しいのは、

生きてきた生への賛歌であり、

グッドバイこの世、

というメッセージが込められている。

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こんなことを考えてしまう私はいま

まさに生の分岐点に立ち尽くす

迷い旅人に違いない。

時代なんか、パッと変わる。

ベルリンの壁が崩壊したのが、

確か1989年だった。

これに遡ること5年。

鬼才コピーライター秋山晶さんは、

サントリーのウィスキーのコピーを、

こう表現した。

―時代なんか、パッと変わる。―

シルキーという商品の性格上、

その思惑は想像できるが、

私は後に、彼はある意味で、

時代の予言者ではないかと思った。

当時、仕事で鬱屈していた私は、

このコピーを、赤坂の喫茶店で

目にした。

坂の上あるその店で新聞を広げ、

赤坂の街を眺めながら、

そうだ、

時代なんか、ひっくり返ればいいんだ。

そう思ってうなだれていた。

が、次の瞬間、何かがピピっときた。

この広告は、凄い!

出版社を辞め、幾つかの編プロを渡り歩き、

いい加減に疲れ果てていた私に、

かすかな光が灯った瞬間だった。

いままでの職歴をとりあえず捨て、

的を変え、

翌日から新聞に掲載されている求人欄を、

丹念に見入った。

出版社の編集者から広告会社のコピーライターへと、

急きょ進路を変更したのだ。

ゼロからの出発に賭けた。

まあ、しかしよく落ちた。

それも履歴書の段階で。

「コピーライター経験者限」

「コピーライター経験3年以上」

コピーライター未経験の私が入る余地はなかったが、

何社か面接に来ても良い、という返事をいただいた。

結局、

その何社かのなかの一社に

私は奇跡的に入れていただいたが、

後年、その会社の社長に、

なぜ私を入社させたのか、

くだらない雑談の中で、その答えを聞いたことがある。

「あのねぇ、人っていろいろいるから

そもそもからして、

ちょっとやそっとじゃ分からないんだよね。

まして経験者なんていっても、

つまんない経験ばかりしている者もいる。

そういう奴って、ホント面白くないしね」

「………」

「あっ、そうだ、お前のことだろ、

なんで取ったのかって?

あのね、お前が面接に来ただろ、

そのときね、部屋がパッと明るくなったんだよね」

「それだけですか?」

「そうだよ、それだけ」

「………」

「あのね、

お前は信じないだろうけれど、

ホントはそういうことって、

とても大切な事なんだよ」

「………」

かくして私は、その会社で、

コピーライター一年生としてのスタートを切れたが、

その事を思い出す度に、

人生ってホントに分からないなと、

いまでも思っている。

なので、

あまり先の計画は立てないようにしているし、

無計画的計画というのが、私の基本姿勢でもある。

まして他人任せの世の中なんぞ、

もっと分析不能で分からない。

これは断言できるナ。

という訳で、

当然、私には明確なライフプランがない。

あるのは、感。

自らのアンテナのみ。

こうした自分に満足ではあるが、

ときに呆れられたりすることもよくある。

良くも悪くも、

時代なんか、パッと変わるのだ。

人生も然り。

私に影響を与えた秋山晶さん、○○社長は、

実はそのなんたるかが、見えていたのだろう。

それが

優れたクリエーターに欠かせない資質であると、

いま頃になってやっと分かってきたのだが…

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オトコ心と秋の空

前項で書いたが、愛車とわかれた現在は、

代車を走らせている。

ガタガタのVWポロだが、なんだかんだ良く走る。

先日、東京へ行くために東名を走ったが、

なかなか安定している。

が、メーター読み110キロ付近で、加速が鈍る。

レーンチェンジにも、少し足回りが甘い。

精一杯走っています状態なので、

やむなく真ん中の車線を90キロで巡航。

これで全然、問題ない。

環八は、常に渋滞。

加えて、一車線の幅が狭いので、

こういうところでポロの強みが出る。

まず、車幅があまりないのでラクチン。

燃費がが良いので、渋滞も気にならない。

思えば、前出の我が愛車、VWボーラは、

とにかく早かった。

120キロからやっとやる気を出すクルマであった。

よってガスも猛烈に喰った。

車幅もそこそこあったので、隣車に気を使う。

ああ、今度買うなら、

こんな車でいいなと、つい思ってしまった。

つい先日、未練たらたらと書いたのに、

いつのまに…

切り替えの早い人間ではある。

私は、こういう自分を、

あまり信用していない。

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東京の女の子

ユーミンはそのムカシ、

「中央フリーウェイ」という曲をヒットさせたが、

それを初めて聴いた私は、

そんな洒落た道がどこにあるのだろうと悩んだ。

(中央フリーウェイって道、走ってみたいな…)

が、ほどなく中央高速のことだと分かり、

なあんだと思った。

モノは言いようである。

また「天気雨」を聴いていたら、

そのシチュエーションに、

いちいちカッコイイなと感心したが、

なんのことはない。

ユーミンが住んでいた八王子から横浜線に乗り、

橋本で単線の相模線に乗り換えて、

茅ヶ崎の浜で、

もう分かれてしまいそうな彼と、

サーフィンを楽しむというような詞だった。

当時、私は横浜線の沿線に住んでいて、

茅ヶ崎へはよく通っていたので、

やはりここでもなあんだと、

割とガッカリした。

が、しかし、

やはり私のなかで、

ユーミンは東京の女の子の代表である。

ムカシから東京の女の子はいちいちカッコイイと、

その幻想は後年まで拭えなかった。

あの人のママに会うために…

で始まる彼女の「ルージュの伝言」という歌があるが、

詞のなかで、

ママから叱ってもらうわ

マイダーリン

なんていうのがあって、

なんだか奇妙な気がしたことがある。

この曲のなかのふたりが、

すでに結婚しているようにも思えるが、

私は勝手に、

東京の女の子は男の子とつき合うと、

相手のママとも懇意になるのか?

あと、彼のことをダーリンなんて呼ぶんだ…

そして若い頃、

単純な私がユーミンの歌を聴いて、

東京には、

まず金持ちと上流階級のご子息やご令嬢だけで、

不良なんかいないのだと勝手に決めていた。

その頃の私の遊び場は横浜のみで、

多摩川を渡って東京へ行くことは数えるほどしかなかったし、

東京はよく分からない、

金ばかりかかって面白くない、

東京の連中とは話が合わない、

そうしたイメージで固まっていた。

そんなこんなで、

東京の女の子はとにかく敷居が高かったのであるが、

或るとき、

その東京の女の子から、

幾度か東京の短大の学祭に誘われ、

おめおめと断ったことがあった。

いま思えば、

あのときのビビリが我ながら笑えるのだが、

若いときのローカルな気持ちは、

いまもどこかで引きずっているような気がする。

ヤンキーとかマイルドヤンキー論なるものが、

いま世間にまき散らされているが、

私もその一人なのかと、はっとする。

ヤンキーなるものがどんなものなのか、

私にはそんなアカデミックな話はどうでもいいのだが、

少なくとも、

私がローカライズされてしまった一因が

ユーミンにあることだけは、

間違いない!

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人間なんてらららららららら…

この中年になるまで

病気らしい病気を患ったことがない自分にとって、

ここんとこの2年は、なかなか辛い時期だった。

まず、永年の疲れからか帯状疱疹を患った。

そしてその病がやっと治り、

ほっとしたところへ、その帯状疱疹が目にきた。

目の違和感はかなりひどいもので、

晴れた日なのに、

まわりの景色が雨だれのなかに映る。

眼科を幾つかまわったが目の違和感は改善せず、

しょうがないので、

以前住んでいた自由が丘の眼科へ行くと、

帯状疱疹からくる虹彩炎と診断された。

虹彩炎は放っておくと失明しかねない

怖い病気である。

この自由が丘の先生は、

いわゆる名医と呼ばれている方で、

患者さんの信頼も厚い。

ここへはいまも通っている。

こんな最中にであるが、

今度はひどいめまいを起こして、

病院へ運ばれた。

症状はと言うと、

遊園地のコーヒーカップで、

思いっきりグルグル回っているような感覚で、

立ち上がろうとしても倒れ込んでしまう。

ああ、救急車かなと思ったが、

ろれつが回る、手足の指の感覚などに

異常がないということで、

急きょ息子のクルマで病院へ。

歩けないので、人生初の車椅子を経験、

運んでもらうも、

如何せん吐き気が止まらない。

(ここで日本のインフラが車椅子に不適であることに気づく)

恐ろしい病気が始まったなと思いながら、

いろいろな検査をしたが、

先生が下した診断は「耳石」というものだった。

耳石?

初めて聞いたものだった。

先生の説明によると、

当初、脳梗塞とメニエル病を疑ったが、

どうも耳石らしいとのこと。

人は皆、耳の三半規管に石の壁のようなものがあって、

なにかの原因でその一部が剥がれ落ち、

その落ちた石が三半規管を刺激して、

めまいを起こすということらしい。

薬は、まあ酔い止めのようなものしかないと言う。

これは一週間ほどで治ったが、

症状としてはかなり激しいので、かなり焦る。

めまいがおさまった頃、

今度は夕方になると、

両腕に蕁麻疹が出るようになった。

さて、今度はヒフ科へ行く。

これも現在はおさまってはいるが、

疲れやストレスが溜まると、すぐに発症する。

ああ、年はとりたくない。

どいつもこいつも命に別状のないものだが、

やっかいなものばかり背負い込んだ。

そんな訳で、この2年の間に、

気力も体力もかなり低下した。

潮目である。

おおげさに言えば、

人生観というかライフプランの変更も、

現在検討中である。

(ホントは東南アジアへ行こうと思っていたのに…)

地震、台風、火山の爆発、

事故、そして病…

真剣に考えてみると、

いま生きていることさえ奇跡に思えてくる。

ああ、

人間なんてらららららららら…

なのである。

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横浜グラフィティー

60~70年代の横浜を振り返ろうと、

この夏、

横浜高島屋が企画した画期的にマニアックなイベントが、

横浜グラフィティーだった。

このイベントの主役は、なんとハマを代表するグループ、

ザ・ゴールデンカップスなのであった。

マニアック!

写真 2

グループサウンズが全盛の頃、東京の街には、

ザ・タイガース、ブルーコメッツのヒット曲が

ガンガン流れていただろうし、

それは横浜も同様だったに違いない。

が、ハマッコが最も愛したグループが、

ザ・ゴールデンカップスだった。

デイヴ平尾、エディ藩を中心に、

ルイズルイス加部、マモル・マヌー 、ミッキー吉野が繰り出す音楽は、

東京発の歌とちょっと違う。

メンバーの半数に、他国の血が流れていたからか、

横浜という地域がそうさせたのかは分からないが、

とにかくハマっぽさを象徴するバンドだった。

耳ざわりの良い歌の多い中で、彼らのレコードのB面の、

「午前3時のハプニング」は、

売れ線をしっかり外したものだったので、

当然ヒットはおぼつかない。

が、当時流行っていたサイケデリックというデザインやポスターを

眺めながら聴いていると、何故かストンと胸に納まるのが不思議だった。

「長い髪の少女」「本牧ブルース」「愛する君に」―

このあたりの歌は、かなりヒットしたが、

やはり東京発のメガヒットには及ばず、

ある意味、

華々しいバンドの陰に隠れていた名バンド、

という印象が拭えない。

そんなハマのバンドを中心に回顧してくれた今回のイベントは、

横浜ならではの、いや横浜高島屋の企画勝ちと言える。

自分も物心ついた頃から、

チャリで横浜駅周辺をうろついていたので、

高島屋が大好きだった。

買い物も、お好み食堂も高島屋。

当時は、気取りのないいいデパートだったんだがなぁ。

ちなみに、ザ・ゴールデンカップスには、一時期、

あの柳ジョージさんもアイ高野さんも在籍していたから、

ザ・ゴールデンカップスを知らない人でも、

なんとなくイメージが伝わると思うが…

そう、バタ臭いんである。

この頃、東京は、

日本初のマクドナルド1号店が、

銀座三越前にオープンした。

良くも悪くも、

「アメリカナイズ」された日本が

更に加速した時代だった。

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イマドキノクルマ

先日、

東名高速の真ん中車線を100キロで巡航していたら、

追い越し車線をビュンと走り抜ける黒い奴がいまして、

テール辺りを確認すると、なんとトヨタのプリウスなんですね。

新しいものがあまり好きでない私としては、

当然面白くない訳。

(しかし、それにしても早いな~)

最近多く見かけるクルマは、ちょい悪風ミニバンと、

燃費の良い軽自動車と、ハイブリッドばかりである。

これがイマドキノ道行く風景なんです。

私が日頃のアシにしているクルマは、

2004年型の、フォルクスワーゲン社製ボーラというクルマでありまして、

いまでは街でほんとんど見かけない希有車、

と言えば聞こえが良いが、要は時代遅れのポンコツです。

がしかし、

2.3リッターのV5気筒エンジンというユニークなエンジンは、

アクセルを踏み込んだときの吹け上がりが、豪快かつ爽快。

粘りっこい足回りも、コーナーでは、

なかなか味わい深いものがあります。

本気で走れば、200キロ目前までイケルクルマなのである。

で、ハイブリッドである。

我が愛車が、プレミアムガソリン垂れ流しなのに対して、

ハイブリッドは、まあなんと優等生!

ガソリンを全然喰わないから、地球にやさしい。

知り合いの外車屋さんに聞いたのだけれど、

最近は東京の山の手あたりのお金持ちな方々も、

ベンツとかアウディとか、そういうすげぇクルマを手放し、

地球環境に寄与すべく、みなハイブリッドとか、

日産のEV車への買い換えが進んでいる、

というではないか。

(うーん、

みんなエコで、時代に乗っているなー)

で、思ったのだが、とりあえずエコって、

新たなカッコイイ基準ということである。

(カッコイイは、どんどん変わるのだ)

更に言えば、

とりあえずエコって、イマドキのステータスであり、

ある意味、世間から、そして自らの免罪符の役目も、

果たしているように思われる。

(とりあえずエコカーに乗っているんだから、

東名を違反速度で突っ走ろうが、そんなことは、

実はどうでもいいんである)

そんな感じがしないでもない。

とりあえずエコは、

本来の環境問題とか、現在の日本の、

いや世界のエネルギー事情の本質を捕まえ、

そこから自らの姿勢を考える、などと、

たいそうな考えなどなくても、

全然良いのである。

本質を理解する暇があったら、

とりあえず身の回りからがエコ、

が大事なのである。

誤解されては困るので一応書いておくが、

私がエコ反対などと決して言ってはいない。

例えば、

丹沢の山中の立ち枯れた杉をみるにつけ、

その原因は、この話とは別のところにある訳だが、

とりあえず心を痛めている私なのである。

これでも、いろいろ思うことがあり、

将来は、一応ハイブリッドとか電気自動車とかも、

考えてはいるのではあるが、

如何せん、あのクルマの機構が面白くない。

キッパリ言おう。

クルマなのに、家電の臭いがプンプンする。

うーん、

掃除機が走っているような感じがして仕方がないんですね。

そして、

みな横並よろしく、同じようなクルマばかりが一斉に増えたので、

タクシーと同質に見えてしまうのは、私だけだろうか。

高度成長時代のカローラがそのようにみえた。

バブル期の六本木を走るBMWも同様であった。

なんと個性のないクルマ選び。

とりあえずエコは良いにしても、

クルマもユニクロのようになってしまっては、

面白くもなんともないではないか。

本来、クルマって、

選ぶ人の個性が滲み出るものであり、

もっと色気があって、

ワクワクするものだったハズなのだが、

イマドキノクルマ選びは、

単なるトランスポーターとしての役目のみに、

価値を求められているような気がする。

そこが、ちょっと悲しいのである。

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憧れのライフ・ツーリスト

いま、野田知佑さんの「ユーコン漂流」を読んでいる。

野田さんは、カヌーイストであり、エッセイストでもある。

ユーコンはカナダ最大の河川であり、ここをカヌーで下る話だが、

その描写は、カナダの雄大な大自然が描かれ、

映像を観るような臨場感があって、面白い事この上ない。

蚊の大群に襲われる話、寒さとの戦い、

そして、グリズリーという特大の人を喰うクマもいるので、

銃を持っての川下りの様子は、まさに冒険そのものだ。

この野田知佑さんに憧れたのが、椎名さんである。

という話は、どこからも聞いたことも読んだこともないが、

私は勝手にそう思っている。

椎名さんがまだ業界誌の編集長だった頃、

私はこの椎名誠さんの会社を受け、最終面接で落ちている。

応募者200人で採用枠が2人。

なので、キツイなとは思ってはいたが、

なんとか最終面接までこぎ着けた。

この時点で4人。

2人が受かり、残りが落ちる訳だが、

私の他は、3人が皆、早稲田の文学部ということで、

私はすでに戦意を喪失していた。

そんな訳で、この会社には入ることができず、

就職先を探してウロウロしているとき、

或る出版社に、ギリギリで合格することができた。

この編集部で、私は数年後、

すでに会社を辞め、

エッセイストとして本を出し始めた椎名誠さんに、

原稿を依頼することにした。

私が好き勝手に立てた、いい加減な企画が、

割と面白そうということで、

編集会議よりゴーサインをいただき、

椎名さんに会うことが叶った訳だが、

私の企画をまた椎名さんも面白がってくれた。

結果、

椎名さんの期待以上の原稿の面白さに私は嬉しくなり、

読者の反響もかなりのものがあった。

信濃町にあった椎名さんの事務所を何回か訪ねたが、

デスクの横には、やはりというべきか、

いつも食べた後の、

空のラーメンどんぶりが置かれていたのが可笑しかった。

バラバラに置かれた割り箸の先に、

汁が少し残っている。

いつもそうだった。

彼の著作は、ラーメンに始まり、

味噌蔵、焚き火、アウトドア、

そして日本を離れ、

やがて、世界をフィールドに活動を広げていった。

こうしたライフワークに、私は強い共感を覚えた。

いや、憧れといっても良いだろう。

あれから十数年後、某大学で椎名さんの講演があり、

間近で拝見したとき、

私は彼の更なる男っぽい風貌を見るにつけ、

その頃、

自分がやっていた仕事と余りにもかけ離れた、

彼の悠然とした姿に、

講演後、話す機会が充分あったにも係わらず、

後ずさりしてしまった自分を、

いまでも悔いている。

遅まきながら、中年にさしかかった頃、

私は簡単な山登りを始めたり、

山中で夜の焚き火をしたり、

カヌーを始めたりはしたが、

やはり時間は残酷だ。

仕事の忙しさに阻害され、

時間だけが、どんどん過ぎてゆく。

そもそも経験不足であり、

付け焼き刃的なものだから、

メッキの剥がれるのも早い。

如何せん、年齢的に始めるのが遅すぎた。

せんだって、久しぶりに椎名さんがテレビに出ていた。

地球の最果て、アイスランドの北端の崖の上で、

彼が強風に煽られながら、寒々とした海を眺め、

「最後の旅だな」と呟いていた。

調べると、椎名さんはもう70歳になったのだ。

いま、その先輩である野田知佑さんの本を熟読している。

野田さんは、すでに軽く75歳を越えているが、

今なおカヌーに揺られている。

こうなると、

もうライフワークなんていうものではなく、

生き方の問題なのかとも思う。

ライフ・ツーリズムという、

どこかで耳にした言葉が、

最近やけに引っかかる。

―旅するように、生きる。―

―生きるとは、すなわち旅である。―

そんなことを考えながら、

さて、これからどうしようかと、

残された時間の遣い途を、

あれこれともがくように、

模索している。

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ケセラセラ

●スカイラインのエンジンがベンツ?

最近のスカイラインって、

なんでかベンツのエンジンを積んでいるらしいのだ。

ガッカリ!

がしかし、私は一度もスカイラインを所有したことがない。

いや、そもそも日産のクルマを所有したことがないので、

大口は叩けないが…

思えば、若い頃のスカイラインは雲の上の存在だった。

先輩の改造スカGが疾走するのを、

私はただよだれを垂らして眺めていたのを覚えている。

愛のスカイライン、ケンとメリーのスカイライン。

日本が誇る名車のイメージは、コマーシャルによって、

更に若者を釘付けにしたのだった。

純国産GTはレジェンドなのである。

我が青春時代の憧れのスカイラインが、

よりによって、ベンツのエンジンはないだろうに。

心臓部だぞ!

なんか悔しいな。

●公の場でいちゃつくカップルは?

人前はばからずイチャイチャするカップルは、

ブスと醜男と相場が決まっている。

これが事実か都市伝説なのか、なのだが、

私も幾度か街で遭遇したことがあるので、

事実である。

思うに、誰にも振り向かれたこともない彼らに、

他人の視線は関係ねー訳で、

公の場でいちゃついても周囲の不快を感知できない。

これがひとつの推測。

で、もうひとつの推測だが、

全く逆の説として、

これ見よがしに自慢したいがために、

周囲の視線を集める手段として、

大袈裟にいちゃつく。

一応ふたつの推測を立てたが、

どうでもいいか?

●ケセラセラ

人生はケセラセラである。

くだけて言うと、なるようにしかならないのが人生、

成り行きに任せて明るく生きようぜ!

ということになるのかな。

無問題。

これ、モーマンタイと読みます。

ケセラセラと同じような意味の言葉です。

「全然問題ないじゃん」

そんな感じのときに使います。

にっちもさっちもいかないとき、

このどちらかの言葉を、

おまじないのように繰り返してください。

そのうち光明が差すのかも知れません。

いや、お陀仏になってしまうかも知れません。

それがケセラセラの神髄です。

それが無問題思想です。

私ですか?

私の場合は、

ハンドルを放せ!

この言葉ですべての呪縛から解き放たれたいのですが、

いまだに無理、

イケマセンね。

●たかがコピーと侮るなかれ
 

欲しがりません 勝つまでは

突け 米英の心臓を

進め一億 火の玉だ

贅沢は敵だ

太平洋戦争時の日本のスローガンである。

当時、大政翼賛会から発表されたこれらのスローガンが、

国民にジワジワと浸透していった。

いまもどこかの国が同じようなことをわめいているが…

こうした言葉の環境の中で生活をしていると、

人ってその方向を向いて、次第に変わってゆくのだろう。

これも一種のコピーであることに変わりない。

コピーって刃物とよく似ている。

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