風が冷たいので、Gジャンを羽織る。
それにしても空がデカい。
以前、清里の清泉寮に来たとき、確か
長男を馬に乗せてあげた記憶があるので、
確実に15年以上は経っているだろう。
遠くに、アルプス連峰が鎮座し、
その後ろに富士の峰が光る。
流れる雲が映像のように、
草原とその背後に広がる森が絵のように、
相変わらず清泉寮からの景色は飽きることがない。
途中、
中央高速の双葉S.Aでコーヒーを飲みながら
ハーブ園を歩いているとき、
今日の日差しはミラーボールのようだなと
感じた。
木々の葉が、ハーブが、
クルクルと角度を変えて光っていた。
須玉インターを降りて紅葉の道を
駆け上がってきたのだが、
ワインのような濃い赤色の葉と
黄色く光る葉のコラボレーションが
微妙に濃淡を変え、
やはり風に揺れていた。
だが、途中訪れた清里の町は、閑散としている。
日曜日だというのに、あまり人影もなく、
もちろん賑わいとは程遠い衰退ぶりだった。
お洒落な洋風の建物も、
おとぎの国に出てきそうなお店も、
ひと気がない。
売り物件の看板も目立つ。
(みんな、どこへ行ってしまったのだろう)
思えば、80年代に清里ブームがあり、
ここは、とにかくいつも観光客でごった返していた。
そういえばあの時代、
旧軽井沢も同じような様相を施していたことを思い出す。
る・る・ぶという旅雑誌が飛ぶように売れ、
みんなが高原をめざした。
(あの頃のみんなは、どこへ行ってしまったんだろう)
いまは山ブームだが、
その流れに乗った方たちは、
もうこんな時代遅れの場所へはこないのかも知れない。
しっかりキメた山スタイルで、
私の後ろにそびえる八ヶ岳あたりを
ハードにストイックに
歩いているのとでも言うのかな。
(ツクリモノ。ニセモノ)
閑散とした町に、皮肉にも
ユーミンの古い歌が流れている。
陽気な日差しが、
この町をあざ笑っているかのようだ。
蕎麦屋へ入って、
ノンアルコールビールとてんぷらと
月見そばを注文する。
ジャズが流れる店内に3組の客がいたが、
その客が帰るともう誰も入ってこない。
私は、
蕎麦屋のジャズがあまり好きではなく、
要するに安易だと思う性質なので、
iPadをひらいて情報を遮断する。
ネットの世界では、
相変わらず、
刻一刻といろいろな出来事や情報が、
嫌というほどに溢れている。
そこに安堵する自分という生き物の変遷について、
やはり時間というものは、なんというか
人を変えてゆくものだなと、
今更ながらにハッとしてしまった。
思えば、初めてこの地に来たのは、
ボロボロのフォルクス・ワーゲンに乗っていた頃だから、
二十歳そこそこか。
ガールフレンドを乗せて、
夏の信州へと向かう途中に寄る清里だった。
この頃、ペンションブームがあり、
私たちの上の世代が脱サラを始め、
ペンションのオーナーになった頃だ。
私のビートルはもちろんキャブ仕様だったし、
カーナビなんかある訳がないし、
雨漏りも頻繁だった。
ガールフレンドとの会話にも、
どこかぎこちなさがあったし、
そして何より、
私も誰もが若かった。
さて、今回は友人のクルマでと相なった。
彼曰く、このクルマはすでに古いと言うが、
3000ccの躯体は楽に高速を飛ばし、
急な登り坂でもストレスがない。
現代のミニバンの底力だ。
翻って、
二十歳の頃の私のビートルは、
1300ccの非力で、
とにかくバタバタとうるさくて、
確かこの先の蓼科で雨に降られ、
ガールフレンドと二人で、
後部座席の下に溜まった雨水をかき出すハメとなり、
そのことが良い思い出にもなっている。
時代が交錯する、私の高原の町。
(ツクリモノ。ニセモノ)
いまはホンモノの時代かというと、
いやいやそんなことがある訳がない。
相変わらずみんな嘘をつくし、
政治家は都合の悪いことを隠しているし、
なんたって、
いろいろな場面で、
誠意なんてないじゃないかと思うことのほうが、
増えたような気がする。
生き物の変遷については認めざるを得ない私だが、
ツクリモノ。ニセモノの美しさも、
心得ている。
そこに思い出が詰まっている限り、
私のなかでは、
日差しを受けたそれのように輝やき、
そのまぶしさは、
今日のこの光にも勝る美しさを放つ。
自分の記憶を辿る旅も悪くない。
それは、
まだまだ地図の上に無数に転がっている思い出を
拾い集めるという、
新たな旅の始まりでもあった。