恋人

やっと試験合格。
転職が決まって、朝9:00に初出社した。

みんなやさしく僕を迎えてくれて、
ここは長居できそうだと思った。

ここは、コピーライターから作家に転身した
ある有名な女史も在籍していたということで、
自分も頑張らねばと…。

ところが、なんだか面白くもない仕事が
あるもんだなぁ、と企画書を眺める。

しまいには、くだらない仕事だと結論を出すのに、
3時間かかった。

昼時。先輩の方々に飯に誘われ、
西麻布の小洒落たレストランで奢ってもらう。

いまでも濃い味だったこと以外、その店のことは
何も覚えていない。

申し訳ないなと思いながらも、
午後一で、「私、辞めます」と言って、
広尾の駅までとぼとぼと歩く。

外の空気が美味かった。

排気ガスまみれの、
通りの空気が美味かった。

午後の空いた日比谷線に乗り、
こんな電車、二度と乗るもんか、と思った。

自宅のマンションには誰もいないので、
僕は彼女が入院している病院へと
直行する。

「どうしたの?」と、彼女。

「会社、辞めてきた」

「なんで?」

「………」

僕は、つわりで入院している彼女に
早く会いたかった。

調子はどう?

かなり良いよ

そう、良かった

彼女の手を引き、
ふたりで病院の屋上へ出て、
洗足池のあたりを眺める。

また、いつものように
とりとめのない話。

次の日も、また次の日も、
僕は病院へ通い、
彼女の残した食事は
僕がたいらげた。

彼女が退院しても、
しばらく僕は家に居て、
彼女ととりとめのない時間を
過ごした。

あとで気がついた事だが、
僕はあの頃、
働くのが嫌だったのではなく、
あの会社の仕事が気にいらなかっのでもなく、
自分が働いている最中は、
抜け殻だったということだった。

あの頃、僕は彼女と一緒にいたかった。

ただそれだけだった。

冬景色宗介の気まぐれ日記

或る日

この日ばかりは、仕事を放り出して、丹沢でたき火。
メンバーは、たき火歴30年の湘南の画家S氏と、
某キャンピングカー雑誌編集長と我が息子の総勢4名。

紅葉真っ盛りの丹沢湖でひと息吐いたあと、改造クライスラーのバンと
海外製キャンピンカーとくたびれた赤いボルボの3台が山中を行く。

「落石注意」の悪路を慎重に行く。途中の湧き水スポットで、S氏が
ポリタンクで水を汲む。コーヒーには最高、とのこと。

S氏曰く、丹沢のなかでもここは最高、のシチエーションスポットに
辿り着く。
急勾配な斜面からは、時折小石が音を立てて落ちてはくるが、
眼下を流れる清流の音が心地よい。

あとは、木々が風に揺れる音と、鳥のさえずりのみ。

ケータイの電波なし。で、一同ほっとする。

たわいない話がとても心地よく、気がつくと辺りは真っ暗。
冷え方も半端なく、足元からしんしんと冷気が漂う。

闇のなかのたき火は、一種幻想的でもあり、じっと見つめていると
心身がほぐれてゆくのが分かる。

みんなでけんちん汁や中華まんじゅうを喰い、紅茶で体を温める。

この夜は曇り空で、星はうっすらしか見えない。たき火を離れると、
もののけの気配? いや、明かりに慣れすぎた生活への反省しきり。

或る日

湘南の某ホテルの一室で、或る企画に則った参考メニューの試食会。

テーブルの上に、和・洋・中華の特注料理が勢揃いすると、これらが
低カロリーかつ薬効の効いた薬膳とは、一見して分からず。ボリューム感も
それなりにたっぷり。

本物のヘルシー食の神髄を見たような気がする。

各料理長の説明に、ケータイで音取り。何枚も写真を切るも、
食材とその調理法を聴くにつけ、この料理のプライスが気になる。

ひとつひとつを吟味するも、すべてにおいて味は淡泊。中華の八角と、
イタリアンの冷製スープが出色の味だった。

帰り際に見た夕暮れに、富士山のシルエット。すかさずカメラに収める。

が、帰路腹が減り、性がないので通りがかりの一口茶屋のお好み焼きで
腹を満たす。あ~、味の落差が激しいな。

或る日

健康診断の結果、目の異常が記されていたので、一応検査のため眼科へ。

事前にネットでチェックするも、緑内障の予備軍のような記述しかみられず、

かなり気分が落ち込んでいた。

視野検査というものを受けるも、かなりこの中身が、目には辛い。

片眼ずつ、じっと箱のなかの光をひたすら追いかけ、そのたび毎に、

手に持たされたスイッチを押すという作業を延々と続ける。

まばたきをすると、一瞬の光を見逃すとかで、極端に目開き状態を続ける。

涙がボロボロと溢れ、終いには気分が悪くなり、頭痛さえ起きてくる。

看護師さんに事前に「この検査ってとても大変なのよ」と言われた意味が、

検査後につくづく分かった。

が、結果はいまのところ異常なし。でほっとするも、
今後もこの検査を定期的に続けなさい、とのこと。再び嫌な気分になる。

或る日

休日。早朝の散歩に出ると、快晴。朝日がまぶしい。今日は残り仕事を

しようと思っていたが、急きょ予定を変更し、出かける支度をする。

奥さんを連れて、東丹沢のしっぽのような低山のハイキングに挑戦。

うっそうとした、樹齢200年もあろう大木の間の急坂を歩き始めるも、

いきなり太ももが痛くなる。(あ~日頃の運動不足が悔やまれる)

が、ここで引き返しては、この晴天に申し訳ない。無理矢理歩き続ける。

辺りが雑木林に変わると、木漏れ日がきらきらと光る。

足も慣れてくると、今度は息が上がってくる。喉が渇く。

山の中腹にある神社でお参りしたあと、社内の湧き水をがぶ飲み。

また、ひた歩く。と、落ち葉をひきつめたようななだらかな道で、

思わずはしゃいでしまう。踏みしめる毎にしゃりしゃりと落ち葉の音。

こんな素敵な道を歩くのは、覚えている限り、神宮外苑のいちょう並木

の下を歩いて以来、ん十年ぶり!

途中、チョコやクッキーを補給しながら、展望台に到着。

快晴の空の向こうに、新宿の高層ビル群や横浜のランドマークタワーが見える。

思えば、ムカシはあっちからこっちをよく見ていたことを思いだし、

奥さんと感慨に浸る。

下山すると腹が無性に減り、ケンタでフライドチキンにむしゃぶりつく。

やはりダメだな、

ストイックでスマートなおっさんにはなれそうもない。

清潔な時代

今年もまた、インフルエンザが流行しそうな気配だ。

外から帰ったら、手洗いと、うがいは欠かせない。

先日TVを観ていたら、手洗いも徹底的にやらないといけないらしく、

手術前の外科医のように、とても丁寧かつながーい手洗いを推奨していた。

これは、めんどくさがりの私には無理だ。

うがいにも、コツがあるらしい。

ガラガラという音の音程を変えて、うがいをする。

アタマの角度を変化させて、うがいをする。

これも、私にはかったるい。

近頃は、街のどこにでも、消毒液のスプレーが常備されている。

一度試してみたが、手がガサガサになってしまい、

以来、一度もこのスプレーには触らないようにしている。

私が幼い頃は、みんな青っ鼻を垂らしていた。

いま思えば、とても不潔そうなのだが、

これは、ウィルスから体を守る防御システムが働いての

鼻っ垂らしらしい。

拾ったものを食べて疫痢になった友達もいたが、

彼の家は、保健所からきた人達に徹底的に消毒され、

しばらく使えない家になってしまった。

いまは疫痢という病名さえ聞かなくなった。

貧乏も減り、清潔で良い時代になったとも思うが、

ちょっと危惧することがないでもない。

思うに、日本は先進国のなかでも飛び抜けて清潔である。

そもそも水道水がそのまま飲めるというは、

日本という国が、自然からの恵みの豊かさと

インフラの整備が進んでいる結果といえる。

そして、清潔好きな国民性も相まって、

生活のすべてに、この清潔さが蔓延しているようにもみえる。

逆に考えれば、諸外国に較べ、

日本人の抵抗力の弱さも際だっているような気さえしてくる。

こんな弱い体の私だから、一度インドにトランジットで立ち寄ったときさえも、

当然、ぬるいコーラのみで喉を潤していた。

これは生水が危ないというより以前に、

自分の抵抗力のなさを自覚していた私は、

あらゆる水分を極端に控えていたことを覚えている。

考えるに、いま世間は無菌をめざしているように私には思える。

それも、ちょっとヒステリー気味に…。

菌と人類の付き合いの歴史は長いが、このままいくと

そのうち菌のない生活がくる、ということはないと思う。

ペニシリンの発見は、私たちにとってはとてもありがたい事だった。

なにしろ、この薬により、何人もの命が救われたのだから。

が、時代が変わり文明はより高度になり、薬も菌も進化し続けた。

新たな抗生物質も、時が経てば、新たな耐性菌を生む。

その耐性菌を殺すために、また更に強力な抗生物質が開発される。

この迷宮のようないたちごっこは、無意味な喧嘩や戦争にも似ている。

どこかで折り合いをつけないと、そのうち

とんでもないことが起きるような気がしてならない。

まずは、清潔を心がけるのは良いが、

潔癖をめざすような病にはかからないように、

日頃からテキトーという抵抗力をつけておきたいと思う。

夜を超えて

僕の胸の辺りを

兵隊さんが歩く

ザックザックと無言で

銃を抱えて歩いてゆく

こんなことなら

良くないことが起こりそうで

僕は街から出ることにした

兵隊さんが消えるまで

僕はいつかいこうと思っていた

あの山へ登った

悲しいだろ苦しいだろ

たき火を眺めながら

自分に聞いていた

慰めていた

そんなに疲れちまった

僕だから

たき火の向こうの漆黒に

薄汚れた映像を映しては

それを引っぺがしては

火にくべる作業が

三夜も続いた

そんな訳で

兵隊さんたちは

やっと消えたけど

残った燃えかすには

美しいものも

歓べる程のものもない

ことも分かった

僕は目の前に流れる川辺で

顔を何度も洗い

自分がどうしたいのか

何度も自身を確かめていた

河原で毛布にくるまって

その夜も空を眺めていると

とめどなく溢れる涙が

頬を流れていた

火が消えそうになる前に

僕は昨日と同じように

クルマに戻り

再び毛布にくるまって

朝まで眠りこける

きっと朝になれば

この空も

川のせせらぎも

鳥のさえずりも

そしてこの自分すらも

再び愛せるような

気がして

そうだ

街へ降りたら

まず最初に出会った人に

最高の笑顔で

挨拶をしてみてはどうか

そんなことを考えながら

再び消えた火の前に

うずくまる自分がいた

天地の便り

或る日の夜

終わらない仕事に嫌気がさして、

雨後、ひんやりとした空気のなかを歩く。

もう陽も暮れてからの散歩だが、

顔を上げると、

空にはいつになく、星が瞬いている。

雨で洗われた空気が澄んで、

星の輝きを際だたせる。

疲れた心身に、

それはまるで、

僕にやさしいことばで

語りかけるように、またたいていた。

もし、空に心があるのなら、

こんな日の夜空の星には、

人を包み込むおおらかさが、あるのだろうと思う。

空からのメッセージに、感謝。

或る休日の朝

庭に出て、伸びきった草を眺める。

そろそろ草むしりかな、などと考えながら、

その一つひとつを凝視する。

徐々に目が慣れてくると、

その青々とした雑草の勢いに、

ある種の不思議な力が、見て取れる。

しっかり生きているんだなぁと、

妙に感心してしまった。

そして、

以前から妙に気になっていた蜘蛛の巣を、

ほうきで払う。

が、あいつは、毎年のことながら、

払っても払っても、

ツゲとハナミズキの間に、上手に巣を張る。

あと23日で、再び巣を作り始めるだろう。

憎らしいが、やるなぁと思う。

そして、

足元には、蟻が列をなして長い線を描く。

少なくとも私には、

黙々と歩いているようにみえる。

ずっと眺めていると、こちらが飽きるほどに、

その列は乱れることがない。

ただ、ひたすらのようにみえる。

生きるとは、かようなものなのか。

また、地上で生きるものたちからの、

メッセージ。

感謝です。

妄想日記

某月某日

東京時代に一緒に仕事をしていた
いまは映像作家の友人主催のパーティーへ出席。
これで2回目。役者さんが多い。が、主役級はいない模様。
映画にもちょくちょく出ているというおっさんと談笑の後、
これからウチが乗り出す映像サイトについて、映像作家と
打合せ。うーん、ギャラが折り合うか?考え所。

某月某日

久しぶりの休日。奥さんとカヌーを乗りに、秋の宮ヶ瀬湖へ。
かなり寒いので、濡れるカヤックはやめ、カナディアンに乗り込む。
のんびりとした湖面に、白いススキが映る。ゆつくりパドルを漕ぎながら、
新鮮な空気を堪能。おにぎりを食べて、湖畔で爆睡。の後、辺りの散策に
歩き続ける。途中、デイパックに入れておいた水がなくなり、死にそうになる。

某月某日

かねてより企画を進めていた、某サービス業のマーケティング担当さんよりTEL。
ウチの企画にOKが出る。大手は一つひとつに上の承認が必要なので、ここまで
こぎつけるのになんと4ヶ月かかる。さて、ネット展開でのサイト構成や、ブログテーマ、
ツイッターの誘導について各論に落とさねば…。考えること多し。

某月某日

九州で開催されるある工業系イベントに向け、制作中のパンフやポスター類の
ラフが数案上がってくる。今回は一瞬のインパクトを重視ということで、アイキャッチに
力を入れる。上がりは上々。コピー回りを多少手直しして、GOサイン。

某月某日

横須賀美術館で開かれている、アメリカン・ポップアート展を観に、保土ヶ谷バイパスを横須賀までかっ飛ばす。
最終日ということで館内は人人人。やはりロイ・リキテンスタインやアンディ・ウォーホル、キース・ヘリングは
相変わらず人気が高い。私はやはりマリリン・モンローに見入ってしまう。海辺の外のテラスで飲むコーヒー&ケーキは
格別。

某月某日

レアメタルを取り扱っている会社へ、サイトリニューアルの打合せ。いま話題のレアメタルだが、
現状は、都市鉱山の貴重な金属の海外流出が止まらないらしい。リサイクルの循環を考えるここの社長の夢は大きい。
サイト構成を幾つか話し合った後、キーワードのツメにアタマをフル回転させる。同行のディレクター君は
車酔いのため、少し元気なし。発言も控えめとなる(笑)

某月某日

注文してあった楽譜が、アマゾンより届く。昔懐かしいフォークの数々。昔いじっていたギターを
久しぶりにかき鳴らそうと、密かに計画を立てている。夢はバンド結成! まっ、最低デュオでもいいかと思い
声をかけているが、未だに良い返事なし。

某月某日

かなり遅れて、独自系ネットショップ完成にこぎつける。ここはバッグを取り扱うも、売るだけでなく
生産ラインも持っている本格的なクライアント。メール等の試験を繰り返した後、本サーバへアップ。ド
キドキしながら、数日の売り上げをチェックするも、売り上げは上々。一同安堵。

某月某日

昔の広告仲間の女性より、久々の連絡。噂には聞いていたが、娘さんがシンガーソングライターとして、
そろそろデビューの兆し。ウチでジャケ写を撮ってもらいたい、ということで、川崎に住んでいる娘さんと
連絡をとる。You-Tubeで聴くも、かなりのレベル。いきものがかりを抜け!

某月某日

横浜にある親父の墓と、同市内にある母方のおばちゃんの墓へ、久々に線香をあげに行く。おばあちゃんは
私が中学生のときに逝ってしまったが、とてもやさしい人だった。小さな墓所の回りは開発が進み、いまは
高級住宅地として栄えている。昔はうっそうとして、昼間でもすっげぇ恐いところだったのにな。

イマドキの広告

石川遼のような生命保険について
考えてみた。

初めてこのCMをみたとき、私は狐に摘まれたように
きょとんとしてしまった。

なんにも伝わらない。
アタマのなかに、なんにも浮かばない。

遼君と保険がぜんぜん結びつかない。

で、ムリカラ考えた。

遼君は若いので安定感がない。
安定感のない保険なんだ?
これは良くない。
で、この保険は未熟だ、というイメージ。

いや、若くして成功している。
努力も怠らない。
誠実そうだ。
グリーンでは、抜群の安定感がある?
崩れても、持ち直す強さ。

あんな若いのに、
しっかりしているというイメージ。

インタビューに応える言動
そして物腰も、さわやか!

いまどきにめずらしい優等生、というイメージ。

優等生?
優等生というのは、非の打ち所がない。
優等生はみんなに尊敬される。

そんな保険、なのか?

きっと、
このCMで石川君はとんでもないお金を手に入れただろう。
億万長者の保険か?

石川君にこの先、どんな人生が待っているのだろう?

まかり間違っても、
決してタイガー・ウッズのようなことをしてはいけない。
こんなことは当たり前だし、彼がそのようなことをするとは
考えられないが、時として人は狂気を孕んでいる。

石川君が飲酒運転で捕まった、とか
石川君がクスリをやっいた、とか
石川君が実は人妻と付き合っていた、とか(言い過ぎ?)

あーあ、俺は何て下世話な奴なんだ!

が、彼はこうしたCMに出た以上、あらゆる場面で
好印象かつ良い成績を収めなければいけない、
という責任はついて回る。

なにしろ、このCMにほだされて保険に入った方々に対しての
責任の一端は、彼にもあるのだろうから。

彼も責任重大だな。
それとも、なんにも感じていないのかも?

という訳で、この博打のようなCMの決断を下した
広告主とこれを提案した広告会社のクリエーターに
拍手を送りたい(皮肉かよ)

人に負ぶさった広告の極み。

過去よりあらゆるイメージ広告があったが、
この石川遼のような保険、というCMは、
いわば、
最先端のイメージ広告なのかも知れないんである。

p.s

「猫とアヒルが力を合わせた保険」も売れているようだが、
考えてみれば、意味はよく分からない。
招き猫ダックというのも、かなり強引なネーミングなのだ。

昭和

山の麓の農家から

煙がたなびいて

秋の白いそれは

色に染まる木々の間に

横たわる

僕は

友達の家の庭先になっている

あけびを頬張る

「美味い?」

友達がのぞき込み

僕は

「いや、美味くない」

と答えていた

僕たちの遊び場は

友達の家の前に広がる

ブルトーザーが削った山

家がいっぱい建つという

幼いながらに

この景色は

もう見えなくなるんだろうな

そう思った

空が朱に染まり

トンボだって

沢山群れて飛んでいた

その友達が

先日亡くなったとの訃報を

受けた

あのとき

庭先に

夕方のテレビから

音が溢れていた

僕はいま

そのときの音楽を聴いて

せめて君を弔うことにしよう

やはり

あのときの歌も

泣いていたんだね

想い出

(喧嘩のあと)

ねぇ、こっち

私の目を見て話してよ!

いや、そうじゃなくて

いま僕は

将来を語っているんだぜ!

ふたりの未来

そういうときにどうして

あの

奇跡的に美しい雲を見ないで

話せるかって

いうことさ

君の目は

そう、イカしてるけど

いまはいいや

な、あの雲を見てみなよ

(彼女は顔を上げ

空に目をやると

西に浮かんでいる

陽に光る雲を捕らえる)

あっ、きれいね!

そうさ

僕はいまあの雲のことで

頭がいっぱいなんだ

だけどだよ

あの中に君がいてさ…

えっ! 
じゃあいいわ

続けて!

(手を繋いだ日暮れのシルエットは

長い影を落とした

やがて光る雲も消えて…

その日のふたりは

やがて

月明かりに照らされても

終わらない

語り尽くせない日だった)

遠い想い出

(ふと思いだしたあの人とのこと)

楽園

野辺の草を踏むと

一斉にバッタが飛び立った

手を付いて土手を這い上がると

目の前に無数の知らない虫たち

もう秋だというのに

Tシャツは汗ばんでいた

久しぶりにデイパックをぶら下げ

川辺へ出かけた

斜面を登ると

丹沢山塊の端の山々に

うっすらと白い雲が乗っている

頭上の空は青く済んでいる

コントラストの強い風景だった

川面に水が流れ

思いの外澄んだ水の上を

赤トンボが何匹も群れている

その下を黒と赤の鯉が

ゆうゆうと泳いでいる

川沿いに歩いていると

バッタが次々に舞うように飛ぶ

彼岸花の赤が青空に映える

ずっと歩く

陽差しのなかを歩く

枯れた草と

青々とした草に目をやりながら

僕は赤トンボが飛んでゆくのを

ずっと眺めている

田園の向こうに

陽に陰った森が

黒々と鎮座する

春のような景色だと思った

夏のように暑かった

秋の赤い彼岸花

ここは楽園だと

僕は思った