冬景色宗介、沿線の景色を斬る!

ご無沙汰です。

田舎住まいの自営業

景色評論家の冬景色です。

このところ、事務仕事が増え閉じこもっておりました。

イケマセンネ?

私は元々、何処へ行くにもクルマでした。

が、最近クルマの運転が面倒でして、

先日も奥さんよりパスモというものを貰い、

説明を受け、用を足しにでかけたのでありました。

何のことはない、

最寄りの駅より電車に乗って出掛けたのですが、

まあ、驚き、疲れた一日でした。

私の場合、最初の難関は改札。

ちょっと緊張しました。

で、恐る恐るパスモをかざすと、

ピッで通れちゃうんですね?

ああ、この話はまた、後日致します。

でですね、

クルマでよく通る景色を電車より眺めていますと、

明らかに首都圏の景色の変貌に驚く訳です。

クルマを運転しているときはチラ見ですが、

電車の場合はガン見ですから…

変貌というのは、ここ10年とみましても、

首都圏からあからさまに緑が減り、

更に土を掘り起こしたりして、

わずかな余白を埋めるように、

マンションや建て売りが、

これでもかというほどに建てられています。

日本の人口は減っていますが、

首都圏では明らかに増えていますね?

でないと、こんな状態にはなり得ない訳でして、

私からすると、息の詰まる景色となる訳です。

極めつけは、敷地10坪、日当たりゼロの建て売りとか、

いま流行の駅前のタワーマンションでしょうか?

見上げて思うに、

私はあんなところで安眠できない!です。

この景色に住むことを想像するに、

私的に考えますと尋常ではない、となります。

都市の美しさというものを通り越し、

ブロイラー都市という皮肉も出て参ります。

「大きなお世話だ」との声が聞こえますが、

いや、この状態はまずいです。

防災上の問題はその道の専門家の言われる通りですが、

何というか、人としての勘ですかね?

本来、生き物として兼ね備えている本能のようなものを、

こうした環境下で過ごしていると喪失してしまう。

そんな気がしてならないのです。

たまに郊外に出て、自然と触れあい、

「いいねぇ」って感心していてもですね、

やはり人は日頃の環境です。

(元々お住まいの方は、

こうした変化に気づいているような気がしますが…)

「なんか最近だるいなー」とか

「いらいらするなー」とかが過ぎるようでしたら、

あなた、それは都会病かも知れません。

もちろん、全国津々浦々まで、

だるい人やいらいらしている人はいるでしょうが、

その方たちは、処々の不具合でしょう。

そうした方も、もちろん都会にもいます。

が、それを差っ引いても、

環境に起因する病は多いと思います。

よく

「田舎に住むなんて冗談じゃないよ」と息巻いている人がいますが、

この人の言っていることをじっと聞いていますと、

「便利」というキーワードと、

都会に住むステータス感のようなものに酔っているのが

よく分かります。

あと、仕事にまつわる恐怖ですかね?

これらをまぜこぜににして、都会は成り立っているのでしょう。

ああ、飲み屋の数の多さも見逃せませんね。

ここは、私も引っかかるところ。

羨ましい限りです。

で、よくよく考えてみると、

東京なんかでも都心の方が緑が多い。

皇居とか、代々木公園とか新宿御苑とか…

あとは、

余白がない景色が広がる訳です。

(例外は井の頭公園、砧公園、駒沢公園、等々力渓谷とか、

いや結構あるな?)

問題なのは、

都心を中心に広がるドーナツ上の景色でありまして、

ここは通勤圏と見事に重なっていますね。

鑑みるに、その方たちの人生設計は、

この辺りから発想され、限られた価値観の中で、

そこそこの一生を過ごすと推定されるのでありますが、

それは景色を見ても明らかなように、

ちょい損な選択のように私には思えます。

偉そうなことをほざいていますが、

私自身、ドーナツ圏内の横浜生まれの横浜育ちで、

若いときは、仕事のために、

多摩川を沿うように走る大井町線沿いにずっと住んでおりまして、

便利を堪能しておりました。

裏を返せば、それしか選択肢がなかったのであります。

で、このとき、思い起こすにですが、私は無意識下で

田舎を見下したようないやーな人間であったような気がします。

で、ここでやはり浮上するのが、やはり仕事の問題でして、

ここをクリアしない限り、ドーナツからは逃れられない。

(ああ、スイマセン、

逃げたくない方は対象外ですので、スルーしてくださいね!)

言い換えれば、ドーナツの景色の問題は、

就職問題とおおいに被っているのでありまして、

その壁を如何に飛び越えるかで、

新たな選択肢も増えると申せましょう。

例えばですよ、

田舎の海の見える丘の上に居を構え、

午前中は、書斎で潮風に吹かれての本社とのテレビ会議。

午後は、タブレットを片手にぷらっと近所の松林の公園へ出掛け、

或るプロジェクトの企画書を仕上げる。

とか…

(なんか、出来過ぎ。嘘くさいですね?)

いまは社会も企業事情も大きく変わりつつあります。

在宅勤務も増えて参りました。

インフラも、鉄道、道路だけでなく、

ネットを始めとする情報インフラも整いつつあります。

あとは、社会の認知と新たな価値の創造。

これに尽きるのではないかと…

とまあ、

今回は景色から推測する仕事の話にスポットを当てましたが、

景色は人生観で変わるとは、少しおおげさに過ぎますかね?

そんな感慨を抱いたのでありました。

さて、

私たちも、人生の景色を真剣に考えないとイケマセン。

大きなお世話とお思いでしょうが、

この冬景色宗介、割とおせっかい、

真剣です!

安っぽい私のヒューマニズムから考えて

叩かれても、殴られても、なかなか泣かない自分。

まず、過去を遡っても、そうしたところがある。

そして、理性で整理する。論理的に問題を分析し、

問題解決の糸口をみつける。

そんなことを日常的思考でくぐり抜けてきたような自分だが、

そもそも、私はそんな強い人間でもなく、普通のおっさんだと、

強く思うことがある。

それは、

ほんの些細なできごとや、瞬間に訪れる。

砕いて話せば、それは浪花節的な思考を始めたときに、

訪れる。

その辺りを突かれると、弱い自分・弱い私はたちまち戸惑い、

ときに、それは涙という形で現れることもあり、

それが、自分の本来の性格なんじゃないかと

自己分析することがある。

それは例えば、

戦争時のドキュメンタリー映像を観たり、

特に、若い特攻隊の出撃前の様子を映した古いフィルムなどに、

自分はつい丸裸になってしまうのだ。

今日は3月11日。

14時45分に、テレビをつける。

これは意図してつけた。

震災の黙祷の時間だ。

あれから1年が過ぎた。

追悼式でのことばが、とても身に沁みる。

静かな時間。

庭に目を移すと、窓にうっすら陽がさしている。

ああ、

現地の映像はもう観たくないので、テレビを消そう…

こんなものを延々と観るほど、こちらはタフではない。

自分は、たった一年前のこの地震の前後のことを、

よく覚えていない。

震災の後、計画停電に暗い町を歩き回ったこと、

ガソリンを入れに必死に走り回ったこと、

とても寒い日に丘の公園に一人で行き、

群青色の空を眺めていたことなどが

散発的に脳裏に浮かぶ。が、

去年の今日の記憶は、完全に消えている。

私は、今回の震災で亡くなられた方々のことを考えるにつけ、

追悼式で、御霊と呼ばれたことに、

ある種の特別な引き金が、自分のなかで引かれたように思う。

それは、自分がずっと隠していたものなのかも知れないし、

眠っていた無意識が突然吹き出してきた瞬間なのかも知れない。

(私は別段、右翼でも左翼でもなく、強いて挙げれば普段は

自由人をめざしている)

御霊。

私は、この言葉の何を知っているのか、

自分ではよく分からないが、

ただ辛くなる。

それは、先の敗戦にも通ずる、

私たち日本人の共通意識としての

「暗い淵」が見えてしまうこと、ではないかと。

安っぽい私のヒューマニズムから考えて、

今回の震災の犠牲者は、先の戦争犠牲者にも通ずる重さを、

私たちに突きつけている。

東北の方々には、一日も早く復興してもらいたいし、

そこに「絆」は欠かせないだろう。

が、

私はあのとき、

御霊となるものが何を見て、

どう感じて動き、

どうした様子で、

どう苦しんで、

果たして、

この地上から去ってしまったのか?

先を見ようとする前に、

必ず立ち止まって、そこを考えている自分に、

いまはただ、

嫌気がさしているのだが…

雑感5題

東京ガールズコレクション

上手い商売を考えたもんだ。
旬の芸能人や名の知れたモデルに服を着せ、
話題をつくる。

テレビ、雑誌も相乗り。気にいったものがあれば、
その場で買える。
派手な演出、女の子たちのボルテージも上がる。

まあ、こういうところへ出てくるモデルさんというのは、
抜群にスタイルが良いし、
着ている服が果たして自分に似合うかどうかなんていうのは
どうでも良くて、とにかく売れるらしい。

僕がもし女の子だったら、絶対にこういう所へ行かないし、
同じような服は買わないな。

流行には乗れるかも。が、着させられている感じが溜まらなく
許せない。

女の子だったら、お洒落に命をかける。
その位の意気込みが欲しいな、と思う。

と、こんな考え方が、そもそも男並みなのか?

でですね、あのモデルさんって、なんでみんな同じように、
ハーフ顔なんですかね?

俺さま目線で見ると、全く綺麗ではない。よく分からない。
まっ、いいか!

ほっといてくれよ!

タイトルにした典型が、役所から来るメタボのお知らせだ。

定期検診を受け、まあそこそこの結果。

やれやれ、面倒な病気もなさそうだし、向こう一年間は
難なく働けそう。と気を抜いていると、或る日
ポストに一枚のハガキが届く。

曰く、あなたはメタボという病気です。

うるせぇなあ! 

ほっといてくれよ!

で、コイツらは何が言いたいかというと、あなたは太っているので、
病気へのリスクが高い。ひいては○月○日に健康セミナーをやるので、
いらっしゃい。為になることを教えましょう…こんな具合。

日にちを見ると、すべて平日の、働き時だ。
セミナーは、働く方の為の土日開催は、一切やらない。

こんな税収の減っているときに、役所が何やっているんだか。

ははぁ、受け皿的な部署か団体の仕業だなと勘ぐる。

そんなことはいいから、君らはもっと身のある仕事をしろよ。

で、ほっといてくれよ!

五本指の靴下

あることがきっかけで、靴下を替えました。

シルク100パーセントの五本指の靴下です。

これって、水虫にならないとか体の毒を出すとか言われていまして、
ホントですか、というのが本音。

僕の指の形は変なので、指の一本一本が靴下とフィットしない。

で、履くときと脱ぐときが面倒で嫌になる。

先日、ちょっと食い過ぎたのか、苦しいと思った途端、
まず、この靴下を脱ぎ捨てました。

足の指だって、締め付けられると苦しい。
ウエストではなく、足の指が苦しがっている。

人間の体って、不思議です。

目覚める、に関して

僕は、最近眠くなるのが早くて、まず12時前には
寝てしまう。

早いときは、10時や9時に寝ることもありましたが、
これではさすがに朝が早すぎて、ズラシました。

で、就寝前に読書をするのですが、大好きな藤沢周平の
時代物で、2・3ページが限界です。

全然長く読めないのです。ワクワクする場面でも、
ハイ終わり。気がつくと朝でしたとなってしまう。

最近いろいろ考えまして…

で、僕が思ったのは、僕が寝ているときって
ホントにベッドにいるのかってことであって、
ひょっとすると、僕はこの地球を抜け出し、
M78星雲に帰っているじゃないかってこと。

このことに関して、ふざけている訳ではなく、
僕は割と真剣に思っている節がある。

このきっかけは、お袋。
お袋はいま要介護なんですが、なんだか彼女と話していると、
この世の常人とは違う感じがする。

で、どう違うんだろうと話していると、どうも遠い人たちと
会話を交わして、それを僕に話しているような…

まっ、それがきっかけです。

父のこと

もう、親父が亡くなって8年くらい経ちますが、
生前、僕は彼と全然気が合わなくて、
ろくに口をきいたこともありませんでした。

これは私がちいさいときからでして、親父は僕に無関心。
というか、そもそも家庭内離婚の家だったので、
僕は早く家を出たかった。

とにかく家が落ち着かないので、私は友達の家を泊まり歩いていました。

18のときでしたか、僕が将来の進路を考えたとき、
親父を一度試したことがありまして、
彼に就職の世話を頼んだことがあります。

親父は当時公務員でしたが、その時代はコネなんて話は、
いくらでもありました。

実際、親父は数人の就職の口利きをして、
役所へ送り込んでいましたから。

で、僕にすればデタラメなんですが、就職のお願いに関して、
親父は即座に拒否しまして、後日お袋にこう言ったそうです。

「あいつを世話なんかしたら、俺の恥になる」

なんだか親父のリアクションがおかしくて、
妙に納得してしまう僕でした。

彼は後年、私に遺書を託しました。

その内容は、彼の無念が滲むもので、
彼の一生を覗いたようなものでした。

親父の墓はいま、横浜の高台にありますが、
墓前に向かうと、いまでも涙がでるのは何故なのか、
私にも分かりません。

近況 4題

1.

最近、コンビニへよく行く。主目的はタバコなのだが、

なぜか、ついで買いをしてしまう。

水や雑誌類ならまだ良いが、コーヒーに始まり、おにぎり、

サンドイッチ、肉まん、唐揚げと、私の食べるものは進化している。

おかげで、どこのコンビニのなにが美味いかが分かるようになった。

また、これらをクルマの中で食しながら、iPadでネットをしたり、

メールをチェックしたり、ついでにコーヒーを頂き、タバコを吸ったり…

こうなると、もう自宅の居間の感覚。仕事のデスク感覚ですから。

ケータイもあるし、もう内も外もなし。ONもOFFもない。

これが自由なのか不自由なのか、自分でもよく分からないが、

コンビニの罠にはまっているのは確かだし、確実に太っていることは

自分でも分かっている。

街中へでかけても、同じような行動、形態、食生活。

知らない間に、確実になにかが変わっている。

2.

ちょっと古くなってしまったが、映画館で「三銃士」、

「タンタンの冒険」を観て、レンタルで「ツーリスト」、

「ナルニア国物語3」を鑑賞。

でドキュメンタリー映画「ライフ」と立て続けに観た。

先の「三銃士」とタンタンは、封切り中に行ったにもかかわらず、

なんだか面白くなかった。

三銃士は、ラストに近づくに従い、

パイレーツ・オブ・カリビアンとどこか似ていて、

海から空へ舞台を置き換えただけのような気がした。

ストーリーにも映像にも新鮮さがない。

タンタン…は、スピルバーグが永年あたためてようやく実現した、

という触れ込みになのに、肩すかしをくったように面白くない。

主人公の探偵の少年は、とにかくとんでもない事件に巻き込まれるのだが、

彼と連れの元船長が超人的な生命力で、ビックリ。絶対に死なないし、

疲れない。こうなるとハラハラドキドキを通り越して、安心して観てしまった。

3G映像は秀逸なのに残念だ。

ツーリストはジョニー・デップの正体がラストまで分からず、

思わず唸ってしまった。がナルニア…は、イカン。

で、思ったのだが、神話や童話を原作にしたハリウッド映画は、

奇想天外で特撮も凄いが、こちらがもう驚かない程に、来るとこまで

来てしまったのではないだろうか。

3.

一方、「ライフ」はドキュメンタリー映画。

副題に、いのちをつなぐ物語、とある。

オープニングは、草原に一本の木が立っていて、

背景に美しい星座が回るところから始まる。

そして北極の果てしない氷の大地を空から観たシーン。

カメラは或る一点にフォーカスされる。

四方数キロに誰もいない氷の上で、オットセイがただ一頭で子供を産む。

そして、この親子をモーレツなブリザードが襲う。

母親は子供を守るため、氷ついた体で、吹雪と風の盾となる。

なぜこんな所で子供を産むのか? 答えは簡単だった。

天敵がいないからだ。

アザラシは、いつも集団で生活するものと思っていたが、

そうとも限らないらしい。

さすが、イギリスBBC放送の製作だけあって、

映像が鮮やかかつ精緻。カメラワークを観ても、

どうやってどこから撮ったのかという驚きのシーンが続く。

時間もお金もたっぷりかかっているな。

撮影は、世界にまたがり、

南米、アフリカ、アジア、アメリカ大陸、中国、ヨーロッパ。

海、陸、空それぞれの映像とさまざまないきものが主人公だ。

この映画のメッセージが秀逸だ。

生きるとは、

食べること、愛すること、家族をつくること、そして守ること。

とてもシンプルなメッセージ。

ひねくれた私に、なぜ生きるか、という問いに、

この映像は明快に答えてくれる。

あと、いきものは、みんな分け合って生きている、といこと。

この分け合って、というのが大事な点で、

我々人間の営みに? がつくところだ。

うまく言えないが、人間以外は皆バランスを知っているように思える。

知らないのは、人間だけなんだろうな…

また、映像のなかの主人公は、ときに強烈な愛をみせる。

それは、時にいのちをかけて闘う覚悟であり、

身を犠牲にしても子供や仲間を守ろうとする強さだ。

それは私たちといういきものも同じだろうが、

遠い何処かへ置いてきたもののような気がしてならない。

たとえば、私たちが普段喰っているタコも、感動の対象だ。

タコのメスは、生涯一度っきり卵を産むが、

この一度にいのちのすべてを賭けている。

卵がふ化し、泳ぎ始めるまで6か月間、

母親はここをピクリとも動かない。

子供がやがて泳ぎ始めると、タコの母親はそれを見届け、

そこでいのちを閉じる。

これは本能だけれども、愛でしょう。

そう思えてくるなにかがある。

理屈を簡単に超えるとは、このことだと思う。

4.

私が尊敬する職業に、登山家というのがある。

登山家はすげぇーと思うのだ。

近所の山へハイキングに行くだけでへたばっている自分がいる。

ああ、情けない。

登山家は、冬山へでもアタックする。

私の知り合いだった方は、ロッククライミング中に事故に遭って

亡くなってしまったが、生前のこの方の日頃のトレーニングは半端なかった。

仕事時間中も、常に小さな動作で、腕・足を動かし、

筋トレを繰り返していた。

自宅の壁には石を埋め込み、そこで毎日崖登りの練習を繰り返していた。

酒はいつも程ほどで、楽しい酔い方をする方だった。

彼の目に、登山家に、山はどのように映っているのだろう。

登山は、帰りの余力を計算に入れ、ぎりぎりの体力と選択のなかで、

前に進む。

冬山のマイナス20度のなかを行くとは、どうゆう世界か。

私のずっと年下だが、登山家の栗城史多さんは、自書のなかで、

こう語っている。

「苦しみを受け入れると楽になる」

ちょっと分かるような分からない言葉とも受け取れるが、

きっと登山家がもつ精神の強さなのだろう。

彼は、日本人初の、単独・無酸素エベレスト登頂を果たしている。

他、世界の山々も単独登頂で制覇。

しかも、自分の行動を逐一ネットで世界に配信する機材も、

自ら運ぶ。

これは、並の登山家にも不可能だと思う。

彼は、選ばれた人間かも知れないし、少し表現を変えれば、

神に一番近い人なのかも知れない。

が、彼の肉体は、日本人男子の標準以下だし、

登山のエリート教育を受けた訳でもなく、

金なしコネなしの普通の大学生から登山のスタートを切った人だ。

彼の本のなかで、満天の星を見下ろす、というくだりがあるが、

これこそ常人には見ることのできない景色。

富士山のご来光も見た方も然り。

羨ましくも、凄いなと思う。

私はこれから死ぬまで、果たしてこうした景色を見ることができるのか?

すべては、まず挑戦しなくてはなにも始まらないのだが、

まずは、コンビニ通いをやめることから始めなくてはと思う。

裏街

私が生まれ育った横浜の或る街は

物心ついた頃からいろいろ変な奴がいて

小学生の頃すでに同じ学校内に

万引きのグループが存在し

数々の悪行を繰り返していた

友達のなかの何人かは

ガキのクセにすでに学校をサボる奴や

毎年のように苗字が変わる奴とか

山を火事にしちゃうのとか

いろいろいた

外国籍の生徒も多く

そんな仲間同士の争いも多々あったし

女の子もとてもませていた
U

私も大きくなってその街を引っ越し

新しい街で学生を始めた頃

横浜は相変わらずヤバイところで

行くところ行くところで喧嘩が始まる…

ひとことで言えばそんなところだった

当時の私は、遊ぶといえば

横浜の街しか知らなかったので

ざっくりいえば

日本中どこもそんなもんだろうと思っていた

みんなでクルマに分乗し

行き着くところは厚木基地側のディスコか

本牧のディスコと相場は決まっていた

ジルバ、チャチャ

仲間はみなオドリが達者だった

ステージで一列に並んで踊る

とにかくぶんどって踊る

格好つけるだけの夜に

その頃は賭けていた

当時、私たちにとって

伝説と言われていた

ケンタウロスという集団は

ハーレーの野太い音を轟かせ

街を疾走する謎のグループだった

こいつらの正体が分からず

絶対に遭遇したくない存在だった

後に女優の余貴美子さんが

この方たちと遊んでいたときいて

ホントに驚いた

そのケンタウロスが

いまでも活動していると知ったのは

最近のことだ

本牧からほど近い中華街はその頃

夜ともなると豹変し

伊勢佐木町の裏通りと同じように

かなり危ないところだった

それでも私たちはここで酒を飲み

福富町の地下の店にしけ込み

何度も朝を迎えた

チンピラに絡まれ

マンションの屋上で争いになり

もう少しで刺されそうになったことがあるが

いま思えば私も相手のチンピラも

事件にならずにホントに良かったと思う

去年あの辺りを歩いたが

中華街は観光地として明るく生まれ変わったものの

伊勢佐木町の裏通りはやはり廃れ

別の意味で不気味な雰囲気が漂っていた

街の臭いとは不思議なものだ

横浜駅周辺も一歩裏へ入ると

とんでもない奴らが溜まっていた

チンピラに薬漬けの危ない奴

狂ったロックンローラーに

男か女かよく分からない格好をした集団

そんななかをかき分けて

私たちがいつもめざす場所は

横浜駅西口のディスコ「ソウルトレイン」だった

ここのステージも何度か仲間とぶんどって踊ったが

やはりと言うべきか

周りからいろいろ目をつけられ

狙われた

一度ここで他のグループから襲撃にあい

怪我を負った嫌な思い出がある

いまは結構な事件になることだろうが

こんなことが当時は割と多かった

このディスコで知り合った横須賀の友達が

俺の街へ遊びに来いよ、という

その街は横須賀中央駅近くのどぶ板通り

店は「サンタナ2」

名前だけは有名なディスコだった

ここでパーティーだったのだが

踊っているうちにどうも外の様子がおかしい

店にいる連中もザワザワしている

後で聞いた話だが

その日のパーティーを狙った他のチームの連中が

襲撃にくるという話がすでにあったらしい

私がなにも知らずにはしゃいでいると

いきなり入り口から数人のヤバそうな奴らがなだれ込み

そこからいきなり殴り合いが始まり

音楽が止まって騒然となったことがある

事はそれで終わったのだが

まあロクな事ではない

或る日

仲間うちの誰かが「東京ってどうよ」というひと言から

みんなで東京へ遠征することが決まった

国道246を北上し

きったないシャコタンのボロ車の集団が

夜の新宿へと繰り出した

事前情報では

めざす場所に東京の西部一帯を牛耳っている連中が

集まっているということだった

要はなにも知らないガキの集団が

新宿の或るディスコに乗り込み

敵さんと一戦交えて勝利し

調子に乗ってしまったということだ

以来

私はコイツらと距離を置き

自分に嫌悪し

焦り

塞ぎこみ

とにかくなにかを始めなくてはと考え始めた

数年後

私は奇跡的に就職試験で或る一社にパスし

自分を変えた

いや

このままでは絶対に世の中に受け入れられない

みんなに教えられ

いや怒られながら

必死に自分を社会へ馴染ませようと

毎日が必死だった

他からみればどうでも良いことでも

こっちは緊張の連続

精神的にも肉体的にも

追い詰められてゆく毎日だった

いまとなっては笑える話だが

私はここで別の世の中を教えてもらった

ガキの頃の友達も

就職してからの友人も

いまは良いつきあいをさせてもらっている

裏街から出てきた自分の価値観や世界観は

いまでも相当ズレていて

そこは自分でも承知しているつもりだ

しかし人生も後半を過ぎて

老後を考える時期に来た

このズレは死ぬまで治らないし

育ちは消せないものだと最近分かった

せめて残りの人生を

このズレが良い方へと誘ってくれないかと

いつも思っている

  

幸せ以前

闘鶏は、鳥と鳥を戦わせるゲームのようなものだ。

主にシャモという鳥の短気な性格を利用した。

だから、シャモは軍鶏とも呼ばれている。

闘鶏用の鳥は、大事に育てられる。

環境、食事など、それこそ最高のものが与えられる。

トレーニングは、もっぱら鏡に映った自分の姿。

自らの姿に闘志を燃やし、戦意を高める。

そして、戦いに勝てば、生きながらえ、

次の戦いが待っている。

が、一端負ければ、総てが終わり、

人さまの食用に変わる。

ブロイラーは、生まれながらに食用として育てられる。

環境は良くない。

狭いスペースで一生を過ごし、

ほぼ餌を食すだけの毎日を過ごす。

例えば仮に、

私は生まれてどの位経ったのか、という問いがあるとする。

が、彼らにそんな感覚は分からない。

きっと一定の明かりの下で飼われているので、

昼と夜の違いさえ知らないのだろう。

鳥に、そもそもそんな感覚はないという考え方もある。

この場合は、そうした話以前のことを言いたかった。

鳥にそうした時間感覚があるのかと問われれば、

それはないとは言い切れない。

自然に過ごす鳥のなかには、夕暮れに山に帰るものもいれば、

或る決まった日数に帰巣するものもいる。

季節ごとの渡り鳥も、

きっと時間感覚のようなものを備えているのだろう。

先日、或るドキュメント番組の再放送を観た。

舞台は中国の山中。

秘境と呼ばれているこの地での撮影は希少らしく、

カメラの存在に慣れてない、村人のはにかみ様が印象に残った。

生活はとても貧しいらしく、土地は痩せ、

村全体が丘陵地帯に傾いて建っているようにみえる。

家は土を練ったもので固められ、当然、電気もガスもない。

食べるものは粗末にみえ、イモばかりの毎日だという。

カメラを構えると、村人全員が正装で現れた。

正装といっても、それはどこか見窄らしいが、

そこはかとない威厳に溢れている。

それは、彼らの表情だった。

特に男の人の顔は眼光が鋭く、一様に口元が引き締まっている。

これは年寄りに顕著で、そのなかの一人に通訳が尋ねる。

年寄りは、自分の過去を語る。

それによると、彼はこれまで5回奴隷に売り飛ばされ、

動物のように扱われた様を語った。

話のなかで、彼の奴隷仲間の一人は目のまぶたを縫われ、

一生その目が不自由になった者もいると話した。

以上の3点の話。

どれも憂鬱だ。

鳥も人もやっと生きている。

幸せなんていうものは、別の世界の生き物が感じる

とびきり不思議で高度なものらしいことが分かる。

それをほんの少しでも感じられる私たちは幸せだ、

なんてことは、この場合言いたくもないし、

比較してなにになるのかとも思う。

ただ、

神という存在が、

生けとし生きるもの総てに平等を与えたか、

という空虚な問いだけが、

私の「逃げの思考」として、

時々頭を駈け巡る。

それが余計に自らを苛々させる、

そんな具合だ。

符合

ヒトラーはユダヤ人を迫害し、

殺戮を繰り返した歴史に名を残す独裁者だが、

一方で彼は、芸術愛好家であり、

自身もアーティストの素養があった。

また彼はペットを可愛ることでも有名で、

動物愛護にも熱心だったという。

変といえば変、奇妙と言えば奇妙だが、

彼のなかには、誰にも分かり得ない、

彼なりの或る一定の法則があったのだろう。

これは、ヒトラーを理解しているとかそういう意味ではない。

単に心理を想像しているに過ぎないのだが。

ヒトラーと同年同日に生まれた、かの喜劇王チャップリンは、

映画を通して、世界に笑いと愛を振りまいてくれた。

喜劇と悲劇は、よく紙一重だという。

彼の作品のなかに「街の灯」があるが、

主人公(チャップリン)は盲目の女性に恋をする。

が、その女性は浮浪者のチャップリンが、大富豪だと思っていた、

という設定。

やがて、ひょんなことからお金をつくったチャップリンは、

目の治療費にと、女性にお金を渡す。

このお金で目が見えるようになった女性は、

やがて、街で貧しい主人公に会い、

哀れみからお金を恵んであげることになるが、

このとき、

女性が手の感触でチャップリンの存在に気がつき、とても驚ろく。

照れる主人公の幸せそうなおどけ様は秀逸で、

このラストシーンは深く脳裏に焼き付いた。

さて、

アメリカの初代大統領リンカーンは、奴隷解放を宣言して暗殺された。

それから、ちょうど100年後、ジョン・F・ケネディが生まれ、

彼もまた人種差別撤廃に熱心だったが、

リンカーンと同じく暗殺された。

リンカーンとケネディは、

それぞれの父親が駐英大使という同職に就いており、

同じく4人の子供に恵まれ、

お互いの秘書が、リンカーンはケネディ、

ケネディはリンカーンという名だったらしい。

で、それぞれの暗殺犯の生まれも、

ちょうど100年違いという念の入れよう。

ここまでくると、都市伝説なのかとも思えてくる。

以上、

奇妙な符合だが、同時にアメリカの病巣と闇のようなものは

いつも謎に包まれていて、それはいまもって

くすぶっているように思える。

続いての話。

大劇作家で詩人のオスカー・ワイルドは、

後に続く作家たちに多大な影響を及ぼし、

日本においても、

森鴎外や夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎など

蒼々たる先人に影響を与えたとさえ言われている。

彼の作品は数少なく、いまではそれ程メジャーな印象も与えない。

が、彼は作品より、その破天荒な生き方と彼の性癖に

目がゆくこととなる。

彼はまぎれもない同性愛者でいろいろな殺傷沙汰を起こし、

生活は堕落し、服装もかなり奇抜だったとある。

そして最後は梅毒にかかり、孤独のなかで死んでいった。

彼の名言に、

   
     「外見で人を判断しないのは愚か者である」

というのがある。

少しだけ、僕もそう思います(?)

で、それからちょうど100年後の同月同日に、

何故か僕が生まれたのだ(笑)

僕はいま現在のところ、早寝早起きを心がけ

仕事に精進している(?)

現在まで、同性に性的な興味は一切なく、

奥さんも子供もいて、一応仲良く暮らしている。

がしかし、いまひとつ納得できるものとか、

すげぇと言える良いものが書けていない。

ここが悩みの種で、

そろそろ同性の魅力というものを研究し、

海パンでも履いて街へ繰り出し、

ちょっとヘンに

堕落してみようかなと考えている。

ツイテルツイテナイ?

ゴールドの輝き、消えました

神奈川県人ドライバーとしては恥ずかしい、

あの警察がウヨウヨしている小田厚道路で、

捕まってしまいました!

速度規定内で走っていましたが、

前に走っているクルマがノロノロしていまして、

ああ、迷っているのかなと思い、さらにスピードが落ちて。

で、どうしようもなく抜きまして、でですね、

だが、なんとそのクルマが覆面パトカー。

捕まった原因は、車線変更違反でした。

引っ掛けられたという訳です。

で、切符を切られまして、かなりイライラしています。

素直に反省ができません(爆)

減点1、罰金6,000円也。

こんなのはどうでもいいんですが、

ゴールド免許が消えました。

ここが悲しいですね。

「あんたら、いつもこうやって捕まえているの?」と私。

「私たちは規則どおり50㌔走行しておりました」と警官。

小田原の空は綺麗なのに、こいつらときたら、と思いましたね。

紅葉と駿河湾

箱根へ来た目的は、もちろん紅葉でして、

一号線・湯本から宮ノ下へ向かう道は、

葉が、なかなか良い色をしていました。

が、大渋滞はいただけません。

めちゃくちゃ混んでいます。

平日でもカンケーねぇんです。

しかし、芦ノ湖あたりへ来ると、杉の木が多いので、

紅葉は、イマイチ美しくない。

やはり、箱根は裏道に美しさあり。

自然が織り成す彩りは、極上のアートです。

仙石原の一面のススキも圧巻でした。

箱根スカイラインから見る景色も、

かなりのスケール感。

目線と雲の高さが同じ。

ポカンと浮かんで、遠くに駿河湾が見渡せます。

箱根はゲージツだ!

ピカソの作品は、

ポーラ美術館と彫刻の森美術館にありまして、

私的にはポーラ美術館の雰囲気が好きです。

紅葉の森の中に、沈み込むように建てられた外観はモダン。

エスカレーターでもぐり込むように入ると、

館内は白一色。

光は充分に差し込む設計です。

で、ピカソですが、わぁという存在感。

なかでも、「Salle Pablo Picasso」という作品は、

存在感が凄いです。

他とはまるで違う。

他に、ルノワール、ダリ

シャガールとか巨匠の作品がズラリと並びます。

わざわざ来る価値はあります。

あと、ゴッホって、すげぇです。

ここで観るのは二度目ですが、

パワーが凄い!

グイグイと迫ってきます。

ともかく、後はぐったりしてしまいますので、

ケーキでも喰わないと後がもちません。

ここにも、ピカソ

彫刻の森美術館にもピカソはいます。

ピカソコレクション館。

この人の作品を観るにつけ、ホント多才というか

いろいろな作品に巡り合えます。

版画なんかもガンガンありました。

私は、彫刻も絵も、学問的に何も知りません。

が、そんなことはドーデモいいと思っています。

好きなので、それで良しとします。

しかし、回りで凄いといわれても、

好きじゃない作品は好きにはなれない。

それで良いと思います。

な訳で、再び大渋滞の箱根を後にしました。

楽しいような、悲しいようなドライブでした。

清里にて

風が冷たいので、Gジャンを羽織る。

それにしても空がデカい。

以前、清里の清泉寮に来たとき、確か

長男を馬に乗せてあげた記憶があるので、

確実に15年以上は経っているだろう。

遠くに、アルプス連峰が鎮座し、

その後ろに富士の峰が光る。

流れる雲が映像のように、

草原とその背後に広がる森が絵のように、

相変わらず清泉寮からの景色は飽きることがない。

途中、

中央高速の双葉S.Aでコーヒーを飲みながら

ハーブ園を歩いているとき、

今日の日差しはミラーボールのようだなと

感じた。

木々の葉が、ハーブが、

クルクルと角度を変えて光っていた。

須玉インターを降りて紅葉の道を

駆け上がってきたのだが、

ワインのような濃い赤色の葉と

黄色く光る葉のコラボレーションが

微妙に濃淡を変え、

やはり風に揺れていた。

だが、途中訪れた清里の町は、閑散としている。

日曜日だというのに、あまり人影もなく、

もちろん賑わいとは程遠い衰退ぶりだった。

お洒落な洋風の建物も、

おとぎの国に出てきそうなお店も、

ひと気がない。

売り物件の看板も目立つ。

(みんな、どこへ行ってしまったのだろう)

思えば、80年代に清里ブームがあり、

ここは、とにかくいつも観光客でごった返していた。

そういえばあの時代、

旧軽井沢も同じような様相を施していたことを思い出す。

る・る・ぶという旅雑誌が飛ぶように売れ、

みんなが高原をめざした。

(あの頃のみんなは、どこへ行ってしまったんだろう)

いまは山ブームだが、

その流れに乗った方たちは、

もうこんな時代遅れの場所へはこないのかも知れない。

しっかりキメた山スタイルで、

私の後ろにそびえる八ヶ岳あたりを

ハードにストイックに

歩いているのとでも言うのかな。

(ツクリモノ。ニセモノ)

閑散とした町に、皮肉にも

ユーミンの古い歌が流れている。

陽気な日差しが、

この町をあざ笑っているかのようだ。

蕎麦屋へ入って、

ノンアルコールビールとてんぷらと

月見そばを注文する。

ジャズが流れる店内に3組の客がいたが、

その客が帰るともう誰も入ってこない。

私は、

蕎麦屋のジャズがあまり好きではなく、

要するに安易だと思う性質なので、

iPadをひらいて情報を遮断する。

ネットの世界では、

相変わらず、

刻一刻といろいろな出来事や情報が、

嫌というほどに溢れている。

そこに安堵する自分という生き物の変遷について、

やはり時間というものは、なんというか

人を変えてゆくものだなと、

今更ながらにハッとしてしまった。

思えば、初めてこの地に来たのは、

ボロボロのフォルクス・ワーゲンに乗っていた頃だから、

二十歳そこそこか。

ガールフレンドを乗せて、

夏の信州へと向かう途中に寄る清里だった。

この頃、ペンションブームがあり、

私たちの上の世代が脱サラを始め、

ペンションのオーナーになった頃だ。

私のビートルはもちろんキャブ仕様だったし、

カーナビなんかある訳がないし、

雨漏りも頻繁だった。

ガールフレンドとの会話にも、

どこかぎこちなさがあったし、

そして何より、

私も誰もが若かった。

さて、今回は友人のクルマでと相なった。

彼曰く、このクルマはすでに古いと言うが、

3000ccの躯体は楽に高速を飛ばし、

急な登り坂でもストレスがない。

現代のミニバンの底力だ。

翻って、

二十歳の頃の私のビートルは、

1300ccの非力で、

とにかくバタバタとうるさくて、

確かこの先の蓼科で雨に降られ、

ガールフレンドと二人で、

後部座席の下に溜まった雨水をかき出すハメとなり、

そのことが良い思い出にもなっている。

時代が交錯する、私の高原の町。

(ツクリモノ。ニセモノ)

いまはホンモノの時代かというと、

いやいやそんなことがある訳がない。

相変わらずみんな嘘をつくし、

政治家は都合の悪いことを隠しているし、

なんたって、

いろいろな場面で、

誠意なんてないじゃないかと思うことのほうが、

増えたような気がする。

生き物の変遷については認めざるを得ない私だが、

ツクリモノ。ニセモノの美しさも、

心得ている。

そこに思い出が詰まっている限り、

私のなかでは、

日差しを受けたそれのように輝やき、

そのまぶしさは、

今日のこの光にも勝る美しさを放つ。

自分の記憶を辿る旅も悪くない。

それは、

まだまだ地図の上に無数に転がっている思い出を

拾い集めるという、

新たな旅の始まりでもあった。

或る秋の日に・・・

夏の終わりに

キャンプに出かけた

ディレクターズ・チェアに腰をかけ

コーヒーを飲みながら語らい

その日は

いつまでも湖面を眺めていた

あのとき

時間は幾らでもあるような気がした

夜明けに目が覚め

例のチェアでタバコを吸い

ふと見上げると

赤富士の姿が悠然と広がる

湖面も鏡のように

その姿を映し出す

それはつかの間だったが

いにしえからのいわれ通り

私は幸せになれるような気がした

キャンプから帰って数日後に

おふくろが倒れた

仕事を放り出して

いろいろやったような気がする

おふくろはいま

病院を無事に退院したものの

介護なくしては暮らせない

難しい問題も山積している

時間が足りないなと思った

一度だけ

なんとかやりくりして

再度行きたいと思っていた

出雲大社の分社へ足を運ぶ

雨上がりの日差しがまぶしい

気持ちの良い風が

社内の笹林を揺らしている

少し気が晴れたと思った

天気も良いので

そのまま海へ向かう

茅ヶ崎で渋滞にはまり

都合良く

ゆっくり考え事をする

(幸せは

相対的なものか絶対的なものなのか?)

それは

きっと自分の価値観に沿って

感じるものなのだろうと・・・

久しぶりの江ノ島は

なにかイベント事があったようで

人でごった返していた

ここからの夕景が見たかった

弁財天は行かず

おみやげ屋も覗かず

橋の近くに置かれた椅子に座り

海と空をじっと見ていた

それは飽きるまで

暗くなるまでそうしていた

あまり知られていない裏通りの喫茶店で

オリジナルブレンドだという

コーヒーを飲む

うまいかまずいかよく分からないが

独特の苦味と香りは良いものだった

秋の虫が鳴いている

人の雑踏がさらに消えてゆく

(幾ら生きても年を重ねても

分かったようで分からないこと

分からないようで分かったことが

増殖する)

私は

幸せの正体を掴んだような気がするが

果たしてその実相は

また駆け足で逃げてゆくような気もする

(まるでチルチルミチルだ)

打ち寄せる波

何も釣れていない釣り人

孤独そうな老人が

ベンチからじっと

暗く揺れる海を眺めていた