一枚の絵

ロンドン

雨に包まれて

人の急ぎ足と教会の鐘の音

バンクーバーの空港

カウンターでもめる

香港行きの黒人の旅行客

東京の空に

見たこともない

美しい満月ひとつ

ガンジス川で

沐浴の女の横を

死体が流れ

裸足の子供たちが走り回る

チョモランマの頂に

ゴミの山眠り

それを照らす満天の星

モンゴルの平原で

馬が草を食み

中東の空に

スクランブル発進した戦闘機が

爆弾を抱え

北京の裏の旧市街に

カナリア飼いの集団が

お茶を啜って

煙草をくねらせ

ナイロビの黄色い砂漠を

バギーカーが行く

アフリカの少女は

教師を夢見て

おとなを夢見て

地中海の海に

男と女の愛のクルーズ

夕日が沈み

冬のローマはバールで賑わい

ドーモォの壁に日本語の落書き

 死んじまえ!

レオナルド・ダ・ビィンチ空港に雪がちらつき

僕はやはりチケットを払い戻し

再びテルミナの駅で

あの一枚の絵についての世界観を

もう一度考えようと思った

目覚めの詩

読みかけの本

記憶は

目覚めるたびに消えて

静かな時計のカチカチ音 

さわるシーツの感触

うっすら見える白い壁紙

人の歩く気配

新しい朝に

やはり僕は生まれた

カーテンからこぼれる陽の光 

流れるような風の音 

水を含むと

その冷たさが喉を通る

間違いのない

僕の朝

流れるジャズ 

眠いネット検索

ひとりの思考 想像は駈け巡り

本を読みかけて 

夕べ消えた僕は

創世して映るこの世界の景色を

遠いところより考えていた

仮死 そして

生まれ変わり 

蘇り よみがえり 黄泉がえり

やはり予想どおり

常に一抹の不安のなか

この小さく些細な朝に

僕は感謝するのだ

ベリー・ショート&ポエム

栗毛色に光る長い髪を振りほどいて

振り返る

美しいいつもの君が

突然

腐った魚の頭にみえて

ああ

これは世界の終わりだと思った

(よくある話さ)

夢を捨てる

そっぽを向くとは

僕にとって

少なくともそうした精神状態は

すなわち日常の死を表すことであり

そこにわずかでもクリエイティブが残っているとすれば

振り絞る力でさっさと

過去を消さなければならない

(そういうもんさ、この仕事は)

自由に憧れ自由になろうと

僕は

自由の象徴である空の王者

オオワシに会いに行った

するとオオワシは鋭い目で僕を見下ろしてこう言った

「なんと言っても地上だな

大空ではなく

お前の地上には自由があふれている」

そう言うと

オオワシは険しい表情で

また空高く舞い上がった

(いまの環境のなかで最善を尽くそう)

人生で最も大切なものはと

私は息子たちに聞いた

「人生で最も大切なこと?

それは

強さとやさしさじゃないの」

そう

そう思っている限り

お前たちのポケットには

いっぱい愛が詰まっているよ

(少なくとも僕はそう教えたと思う)

未来はこの中にある

彼らは笑いながら自らの頭を指さし

ピストルを手にしてコインを回し

決して胸に手を置こうとはしなかった

ユダヤの金融商人と中国共産党とアメリカ軍産複合体の面々は

こうして上機嫌で部屋を出て行った

もちろんその後

世界は破滅したけどね

(彼らに世界を委ねるな!)

アートじゃ飯は喰えないと言って

ジャックはキャンバスとペンを捨て

ビジネスの世界に飛び込んだ

果たして彼の事業は大成功を収め

大金を手にし

それでも彼は或る日突然空しくなって

自らの会社を売り飛ばして旅に出た

行き先は荒野

荒野には

相変わらずみすぼらしい絵描きと痩せた詩人が

夢を語り合っていた

が突然突風が吹くと彼らは風のなかに消えてしまった

ひとり残されたジャックは頭を抱えた

そして涙を流して発狂するのだ

(現実ほど厳しいものはないって)

「コクリコ坂から」は、なかなかと思う。

スタジオジブリの作品は結構観ている。

初めは子供のお付き合いだったが、

観続けていて良かったと思っている。

「丘の上のポニョ」は、正直よく分からなかったが、

この「コクリコ坂から」は私にも充分理解できた。

強いて挙げれば「耳を澄ませば」のストーリー流れに、

ちょっと似ていなくもない。

宮崎駿は、いわばファンタジーアニメの大家だが、

息子の吾朗氏のこの作品は、方向性が少し異なる。

原作から見え隠れするのは、古き良き時代を描いただけ、なのか?

私の中で、この作品に出てくる生活や風景は、

自身の遠い記憶の中のノスタルジーでもあるし、

その世界そのものがメルヘンのような気もする。

舞台は昭和30年代後半の、横浜の本牧か根岸辺りだと思う。たぶん…

海の見える緑の多い丘に、ごく自然に古びた洋館が建ち並ぶ町。

ここで、主人公のメルは毎日懸命に生きている。

物語は、メルの起床シーンから始まるが、その淡々とした描写から、

彼女の高校生としての実直な性格が見て取れる。

この主人公の性格は、私の中で「となりのトトロ」に出てくる

さつきという女の子とダブってみえる。

宮崎アニメに欠かせない女の子像である。

が、この作品は他の宮崎ワールドと違い、ストーリーがかなりリアル。

そこが好きか嫌いかは、観る人の好みの問題だと思う。

高度成長期の日本の風景や、戦後を引きづった背景、

そして東京オリンピックに沸き立つ街の様子も、

つぶさに描かれている。

挿入歌の「上を向いて歩こう」が懐かしく素敵だし、

なにより、この時代の空気を端的にあらわしている。

なにしろ、この時代は誰もが上を向いて歩いていた。

涙がこぼれないように、ではなく、下を向かないという意味で…

主人公メルが通う高校にある建物カルチェラタンは、

歴史を感じさせるこの物語の重要なモチーフだ。

ここを舞台に彼女の淡い恋が始まるのだが、

事情は複雑かつリアルなもので、ラストに向かって感動の波は高まる。

特に、船に飛び乗るシーンで、

一瞬メルと風間君が抱き合うシーンがあるが、

このカットが、今回のこの作品のキーなのかとも思う。

当時の日米安保条約に反対する学生達の機運や、

その無骨さ、そしてクソまじめに討論したり、

哲学を語る奴が出てきたり…

いまでは見かけない、愛すべき当時の若者達でいっぱいだ。

ひとことで言えば、絵に描いたような青春群像。

それが、このストーリー全体を、とても爽やかなものにしている。

猥雑でにぎやかな街の様子、そして、当時の桜木町の駅や山下公園、

京浜東北線沿いの風景も、昭和らしさがリアルに描かれている。

私はこの頃小学生で、この舞台の街からかなり近い所に住んでいた。

なので、この目でこの辺りを見たり歩いたりした記憶があるので、

そこが私的にリアルであり、

ノスタルジーと言えばそうかも知れない。

さて、

主人公と同じ世代の方々に、この映画はどう映っているのだろう?

また、いまどきの若い人たちは、この映画をどう捉えるのだろう?

懐古の機運は、いまや世界的らしい。

アメリカでも、ヨーロッパでも、

60~70年代の音楽やファッションに、再び注目が集まっている。

また、ベトナム戦争の検証も、今更ながら、再び始まっていると聞く。

この映画は、ノスタルジーなのかファンタジーなのか。

時間の流れの中で、誰もが抱いているものが想い出となるとき、

それは記憶という名の物語になる。

物語はいずれ事実とは異なり、

都合勝手の良い記憶に書き換えられる。

だからこそだと思うが、

物語が独り歩きを始めたとき、

それはこの世界にふたつとない秀逸な作品になるに違いない。

そういう意味で、このストーリーは、

私にとって、

朽ちた宝石を磨くように、観るほどに輝きを増し、

忘れられないものとなった。

怪しい乗り物

日本にいて

震災とかいろいろなことがあって

ちらっと海外移住でもと考えている。

本気かというと少し本気のような気がする。

主にチェックしているのは、東南アジア。

タイ、カンボジア、マレーシアなど。

なんで東南アジアなのか?と言われると、

近いからとしか言えない。

強いて上げれば、のんびりしたい。

で気がついたのだが、

もう何年もパスポートを持っていない。

ムカシ、

ちょこっと南太平洋とヨーロッパしか行ったことないし…

パスポートのことを思いだしたら、

連想で、飛行機のことを考えていた。

飛行機は手強いぞ!

で、先日の夕暮れ時、空を見上げると

いつものように羽田発と思われる飛行機が、

西へ向かっているのが見えた。

夕日に照らされ、機体がキラッと光る。

このとき、私は激しく怪しいなと思った。

なにが怪しいかなのだが、

飛行機が飛んでいるということが、です。

あれって、目の前でみるとデカイですよ?

金属の塊です。

じっとゆっくり考えるとおかしい。

私はガキの時、落下傘と模型飛行機マニアで、

作るのはヘタなんですが、

飛ばすのはなかなか上手だった。

あるとき、私は大きな落下傘を5つを握りしめ、

非常階段の3階からホントに飛び降りようとしたんです。

だって、本人はゆっくり下りると思っているし、

死ぬなんて絶対に思いませんから…

で、手すりから身を乗り出して下りようと思ったとき、

それを見ていた用務員のおじさんから怒鳴られました。

「おまえ、そういうことをすると死ぬんだぞ」って。

あれから、どうも飛ぶことと死ぬことが、

アタマの中でイコールにセットされていたようで、

ホントに恐いんです。

が、乗らなくてはならないこともあります。

機内で救命胴衣の説明を聞いたとき、

私はとんでもないものに乗ってしまったと思いました。

離陸とのきと着陸のときは、さらに身震いの連続です。

中東上空でのことでしたが、積乱雲の中に入ってしまったようで、

激しい雨と雷と乱気流も経験しました。

アレは、富士急の乗り物なんか目じゃないです。

高飛車の方が良い。

世界を飛び回っているビジネスマンは凄いな…

尊敬します!

あっそうだ、予定を変更、

船で沖縄へ行こうかな、なんて…

10秒メシとはなんぞや?

以前、テレビでキムタクだったと思うが、

凄く忙しくて食事の時間もろくにとれないときに、

ウィダー・イン・ゼリーをどうぞ!みたいなコマーシャルを観て、

コイツ、アホかと思ってたことがある。

そんなに忙しい奴がいる訳ねーだろ、第一、メシはゆっくり味わう、

そして、ご飯でもラーメンでもパンでもなんでも良いが、

その料理の味というものがあると思うのだ。

それを味わってはじめて食事なんだと考えた訳だが、

最近になって、あるキッカケから、このウィダー・イン・ゼリー他、

こんな風なゼリー状ちゅうちゅう吸う食い物を、

頻繁に摂取するようになってしまった。

で、この食い物をひと言で語ってしまうと、

割と美味い、腹持ち良好、そして素早い食事時間短縮と、良いこといろいろ。

で、主な材料は寒天とかゼリーなので、ダイエットにもOK!

意外と良いことずくめなんですね?

あのときのキムタクは、ホントのことを言っていたんだと、やや反省もしてみた。

で、なんでこんなもんばかり喰っているんだということですが、

いや、外出していて、ホントに時間がない事が結構ありまして…

マックは嫌だろ、コンビニベントーも喰いたくない、そんなときに割り切れる食い物が

ソイジョイやウィダー・イン・ゼリーだったのだ。

これはメシではないんだよ、と自分に言い聞かせて喰うこれらの食い物は

なんとなく納得できた。

で、確かにメンドーなこと一切なし。

思うに、私と同じく10秒メシしている方って、かなりいるんじゃないかと思いまして…

どうでしょう?

さて、あるキッカケと前述しましたが、私の場合、忙しいの他、

いきなり歯を抜くことになったということもありまして、

途方にくれていたんです。

夕飯も、ステーキではなく、ハンバーグ。イカ刺しではなく、豆腐。

で、忙しさも相まって10秒メシの登場ということとなってしまいました。

しかし私は最近、これらを喰い飽きて、またコイツかよと遠ざけるようになった。

なんでもそうですが、ずっと喰っていると、飽きてしまいます。

寿司屋の息子の寿司ぎらいのようなものです。

忙しいという字は、心を亡くすと書きますね?

心なんか亡くしちゃうのだから、

メシなんか美味しいものを喰ったって分からない。

やぶれかぶれで、前後の見境なく、

さて、今度は5秒メシを探そうと思う。

コレって、私が思うにきっと「水」だろーな~

間違いない!

忘れかけた詩

ひとつふたつ

ことばを紡ぐ夜は

忘れていた人を想い出す

まだ幼い笑顔

美しく

真っ直ぐだった

ただ

いまは灰になりけり

部屋に転がったオルゴール

木づくり水車のオルゴール

カラカラと回すと

五木の子守歌

忘れかけた遠い世界

いまはもうない僕の部屋に

美しい君がいた

加湿器の湯気が立ち上る

汽車の走る音

受験勉強の頃の自分がいた

あの頃

一体何の夢があったろう

いまは昔

或る夢砕け

それでも僕は歩く

真昼の酔い心地のように

かすかな三日月の輪郭

すべて忘れなさいと

自分に言い聞かす

春に聞いた初めての話

泣くしかなかっただろう

それはいまでも

波間の向こうに

あなたがいるような

宵の空を見上げたり

位牌に手をあわせるも

心むなしく

前を見よと教えられても

やはり戻り振り返る

自分がいた

やさしく強く

心正しく清く

そんな文句にそそのかされて

それでも

人は一途に生きているのに

天地の便り

或る日の夜

終わらない仕事に嫌気がさして、

雨後、ひんやりとした空気のなかを歩く。

もう陽も暮れてからの散歩だが、

顔を上げると、

空にはいつになく、星が瞬いている。

雨で洗われた空気が澄んで、

星の輝きを際だたせる。

疲れた心身に、

それはまるで、

僕にやさしいことばで

語りかけるように、またたいていた。

もし、空に心があるのなら、

こんな日の夜空の星には、

人を包み込むおおらかさが、あるのだろうと思う。

空からのメッセージに、感謝。

或る休日の朝

庭に出て、伸びきった草を眺める。

そろそろ草むしりかな、などと考えながら、

その一つひとつを凝視する。

徐々に目が慣れてくると、

その青々とした雑草の勢いに、

ある種の不思議な力が、見て取れる。

しっかり生きているんだなぁと、

妙に感心してしまった。

そして、

以前から妙に気になっていた蜘蛛の巣を、

ほうきで払う。

が、あいつは、毎年のことながら、

払っても払っても、

ツゲとハナミズキの間に、上手に巣を張る。

あと23日で、再び巣を作り始めるだろう。

憎らしいが、やるなぁと思う。

そして、

足元には、蟻が列をなして長い線を描く。

少なくとも私には、

黙々と歩いているようにみえる。

ずっと眺めていると、こちらが飽きるほどに、

その列は乱れることがない。

ただ、ひたすらのようにみえる。

生きるとは、かようなものなのか。

また、地上で生きるものたちからの、

メッセージ。

感謝です。

妄想日記

某月某日

東京時代に一緒に仕事をしていた
いまは映像作家の友人主催のパーティーへ出席。
これで2回目。役者さんが多い。が、主役級はいない模様。
映画にもちょくちょく出ているというおっさんと談笑の後、
これからウチが乗り出す映像サイトについて、映像作家と
打合せ。うーん、ギャラが折り合うか?考え所。

某月某日

久しぶりの休日。奥さんとカヌーを乗りに、秋の宮ヶ瀬湖へ。
かなり寒いので、濡れるカヤックはやめ、カナディアンに乗り込む。
のんびりとした湖面に、白いススキが映る。ゆつくりパドルを漕ぎながら、
新鮮な空気を堪能。おにぎりを食べて、湖畔で爆睡。の後、辺りの散策に
歩き続ける。途中、デイパックに入れておいた水がなくなり、死にそうになる。

某月某日

かねてより企画を進めていた、某サービス業のマーケティング担当さんよりTEL。
ウチの企画にOKが出る。大手は一つひとつに上の承認が必要なので、ここまで
こぎつけるのになんと4ヶ月かかる。さて、ネット展開でのサイト構成や、ブログテーマ、
ツイッターの誘導について各論に落とさねば…。考えること多し。

某月某日

九州で開催されるある工業系イベントに向け、制作中のパンフやポスター類の
ラフが数案上がってくる。今回は一瞬のインパクトを重視ということで、アイキャッチに
力を入れる。上がりは上々。コピー回りを多少手直しして、GOサイン。

某月某日

横須賀美術館で開かれている、アメリカン・ポップアート展を観に、保土ヶ谷バイパスを横須賀までかっ飛ばす。
最終日ということで館内は人人人。やはりロイ・リキテンスタインやアンディ・ウォーホル、キース・ヘリングは
相変わらず人気が高い。私はやはりマリリン・モンローに見入ってしまう。海辺の外のテラスで飲むコーヒー&ケーキは
格別。

某月某日

レアメタルを取り扱っている会社へ、サイトリニューアルの打合せ。いま話題のレアメタルだが、
現状は、都市鉱山の貴重な金属の海外流出が止まらないらしい。リサイクルの循環を考えるここの社長の夢は大きい。
サイト構成を幾つか話し合った後、キーワードのツメにアタマをフル回転させる。同行のディレクター君は
車酔いのため、少し元気なし。発言も控えめとなる(笑)

某月某日

注文してあった楽譜が、アマゾンより届く。昔懐かしいフォークの数々。昔いじっていたギターを
久しぶりにかき鳴らそうと、密かに計画を立てている。夢はバンド結成! まっ、最低デュオでもいいかと思い
声をかけているが、未だに良い返事なし。

某月某日

かなり遅れて、独自系ネットショップ完成にこぎつける。ここはバッグを取り扱うも、売るだけでなく
生産ラインも持っている本格的なクライアント。メール等の試験を繰り返した後、本サーバへアップ。ド
キドキしながら、数日の売り上げをチェックするも、売り上げは上々。一同安堵。

某月某日

昔の広告仲間の女性より、久々の連絡。噂には聞いていたが、娘さんがシンガーソングライターとして、
そろそろデビューの兆し。ウチでジャケ写を撮ってもらいたい、ということで、川崎に住んでいる娘さんと
連絡をとる。You-Tubeで聴くも、かなりのレベル。いきものがかりを抜け!

某月某日

横浜にある親父の墓と、同市内にある母方のおばちゃんの墓へ、久々に線香をあげに行く。おばあちゃんは
私が中学生のときに逝ってしまったが、とてもやさしい人だった。小さな墓所の回りは開発が進み、いまは
高級住宅地として栄えている。昔はうっそうとして、昼間でもすっげぇ恐いところだったのにな。

スパムメール

私の場合、仕事柄
一日あたりの受信メール数は
ざっと300~500通くらいだろうか?
が、そのほとんどが迷惑メール。
いわゆるスパムメールだ。

約10年位使っている古いメルアドなので、
自分の人生と同様、自らの落ち度も多々あるし、
収集ソフトに狙われてもいる歴史も長い。
だから、数も半端ない。

しかし、スパム行為は違法だ。
が、今のところ全く減る気配はない。

敵さんは、違法に収集したメルアドに
一斉にメールを送信する。
まあ、一回あたり何万~何十万通だろう。
これを、一日に何回となく繰り返す。
そのうちいいカモがメールを読んで
その気になり、URLをクリックして、
まさかの個人情報やカード番号を
入力したりしてしまう。

このカモがいる限り、敵は喰ってゆける。
だからスパムは一向に減らないのだ。

スパムの中身はというと、
出会い系やエロサイトに加え、儲かる系、
痩せる系など、ほぼ人の弱みを突いたものばかり。

売れ線はしっかり押さえてある(笑)

一度暇なときに、このスパムメールを幾つか読んでみた。
(なんでも勉強なのだ)

なかなかのコピーテクニックを駆使したものから、
相手のことを何も考えてないアホ文章まで、
そのアプローチとレベルの多彩さに驚く。

イケテルコピーは、もうプロなみだ。
上手い、と思わずつぶやいてしまうのもある。
インチキと分かっていても、
思わずクリックしてしまいそうな名文は、
或る意味凄いな、と感心しきり。

こういう事を仕掛ける連中は、これが
正業なんだろうか?

プロなんだろうな。

タイトルなんかも奮っている。
Reが付いていて、あれっと思ってしまうものや、
「例の件につきまして」や「ご連絡」、
「返信遅れてスイマセン」など、
皆さんなかなか工夫されている。

先日、「お見積もりの件」というタイトルのメールを開いたら、
予想競馬の勧誘だったので、かなりイラっとしたが、
なかなかやるな、とも思った。

スパムのフィルタリングレベルを上げるのも良いが、
仕事柄、先方さんの大切かつ重いデータを
はじき飛ばしてしまうこともあり、
結構セキュリティの絞り方は難しい。

新規スパムでも、或るものは、
数回手作業ではじき飛ばさないとメールソフトも学習しないので、
そのときばかりはゴキブリを追いかけるように、
こちらもちょっとムキになっちゃうね。

それにしても、このスパムを仕込んでいる方々、
あんたの人生楽しいかい?

忙しいのに、なんだか
そんなことを考えてしまう
久々の雨の日の午後だった。